ZAC2097 七話




 テムジンは男の顔を冷たい表情で見つめていた。男はそんな視線に気が付く様子も無く笑みを浮かべ続けている。勿論、男が本当に気が付いていないはずはないだろう。
 ――この狸め・・・
 テムジンは奇しくもこの男に対してハイマン准将と同じ感想を抱いていたが、その事に気が付く事は無かった。気が付いてしまえば自己嫌悪に陥るところだっただろう。
「そんな顔をしないで欲しいものですな。先程も言いましたが、この取引は貴方にとっても利益のあるものとなるはずですよ」
「ふん、どうだかね。第一そんな計画を俺が阻止するなんて出来るはずもないな、俺はただの学生なんだから。その点をどうもあんたは理解していないようだな」
 テムジンは皮肉をだいぶこめて言った。だが男は首を振って答えた。
「あなたはご自分の能力をだいぶ過小評価しておられるようだ。貴方のハッカーとしての腕前は国内でも五指に入るという話もありますよ」
 それを聞くとテムジンはそっぽを向いた。傍目には不機嫌になったように見えるかもしれないが、テムジンは驚愕していた。まさかハッキングの事までこの男が調べ上げているとは思わなかったからだ。男が勤めているという政府機関は情報省なのかもしれない。

 テムジンがそっぽを向いたまま考えていると、男は頼んでもいないのに先を続けていた。
「それでですな、私・・というよりもは私の組織が貴方に差し上げる報酬というのは貴方のハッキング技術とも多少は関わりがありましてね」
 その言葉に多少なりとも興味を覚えたテムジンは、ようやく男に向き直った。
「まず第一に貴方は現在、軍やその他関連組織から追われる身となっていますが、これを完全に掃除しましょう」
「当然だな、俺達は何もしていないのだから」
 ふてぶてしく答えるテムジンを、男は呆れたような顔でみた。
「何を言っているのです。軍の研究所から最新鋭の改造機を奪取し、さらに国防省その他への不法なハッキング。これだけでも十年は刑務所暮らしは間違いないんですがね」
 テムジンは再びそっぽを向きかけた。
「まぁそれはいいですよ。ところで第二の報酬ですが」
 男はそこで言葉を切ると意味ありげな視線をテムジンに向けた。
「第二の報酬としては、貴方が今まで行ってきた不法なハッキング行為を不問に処す、というところでどうですか」
 テムジンは嫌な顔をしながら素早く反論した。
「さっきからハッキングだとかなんだとか言われているが俺はそんなものやった記憶が無いぞ。あんたの勘違いじゃないのか、それとも何か明確な証拠でもあるのか」
 テムジンは自信たっぷりにいった。自分のハッキング技術に自信があるからだ。だから相手にばれるようなハッキングを行ったことは無いはずだった。だが、男はまるでそれを予想していたかのようによどみない口調で答えた。 「証拠ですか。それでは言っておきますが貴方は何年か前にとある企業のホストコンピュータに不法アクセスを行いましたね。しかもその事実を企業側に送りつけている」
 テムジンはゆっくりと視線をそらしていた。そしてその事実を思い出していた。
 それはまだテムジンがネットワークへのアクセスを始めた頃の話だった。その時テムジンは、知り合いと一緒にとある企業にクラッキングを仕掛けてしまったのだった。その後になって知り合いがライバル企業から報酬をもらったネットワーク犯罪者だと知ったテムジンは、その知り合いをネットワーク上で徹底的に抹殺した後で企業に注意を促す文章を送りつけていた。しかも不法アクセスのログを証拠として添付していた。
 今にして思えば軽率な行為だったのかもしれない。だがその時は己の正義感から行うしかなかったのだった。そしてテムジンはそんな青臭い正義感を男に馬鹿にされたようで不機嫌になっていた。
 テムジンはそんな不機嫌も手伝って、男から見えないようにゆっくりと機関短銃の銃底を掴んだ。
 いざとなったらこの男を殴り倒してここから逃げ出すつもりだった。証拠とはいってもその文章にテムジンの名を示すものはないのだから、あとでいくらでも言い逃れはできるはずだった。
 だが男はテムジンに冷水を浴びせ掛けるように続けていった。
「第三の報酬です。強化人間の少女の軍籍からの抹消」
 テムジンは呆然として男の顔を見つめた。
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですよあの少女、ブラウさんでしたか・・・彼女の軍籍を抹消させます。正確に言えば軍籍というよりもは研究対象ですがね。その研究自体を止めれば、何はともあれ彼女は自由の身ですよ」
 テムジンは呆然と男の顔を見つめた。時間稼ぎのために適当なことを言いながらテムジンは視線を左右に惑わせた。男はそんなテムジンの戸惑いを面白そうに見つめていた。
「貴方の性格は既に調査済みです。ご自身の安全や身の振り方は極めていい加減なのに、近しい人の事となると自分の能力と責任を超えた範囲まで努力しようとする。だから貴方なら断れないはずだ」
 テムジンには、そういいながら微笑む男の顔が悪魔のそれに見えていた。


 目の前の小男はにたにたと笑いながら端末のモニターを覗き込んでいた。ノックス中尉は不安になって思わず男を連れてきたヘイウッド曹長を見た。
 ヘイウッド曹長も不安に思っていたのかノックス中尉に目配せをすると、端末の置いてある部屋から研究所の廊下に出た。
 二人はどちらからともなくため息を付くと廊下に置かれていた長椅子に腰を下ろした。いつの間にか咥えていた煙草に火をつけたヘイウッド曹長を横目で見ながらノックス中尉はもう一度大きなため息をついた。
「俺がこういうことを言うのはどうかとも思うんだが、ああいう奴しかいなかったのか」
 ノックス中尉が室内で端末をいじっているであろう小男をさして言った。だがその小男はある意味においていまだ所在がつかめない強化人間達の行方を捜すための最終兵器だった。

 今まで強化人間達の行方をつかめなかった最大の原因はハイマン准将の孫、テムジンのハッキング技術だった。
 ノックス中尉達も当初は軍の警務隊を通じて警察機構からの情報を検索していたのだが、ある時その情報がいじられた形跡があることに気が付いたのだった。
 それは特定の地域からの情報だけ不自然になっていた。しかも巧妙にそれを偽装していたからそれに気が付くのが遅くなっていた。そしてその事実に気が付いた時にはもう遅かった。
 研究所の部隊が密かにその地域に派遣されたが、発見できたのは何日も前にコマンドウルフが通過した痕跡だけだった。そして弱まっていた痕跡を追う事は難しかった。
 間違いなくそれはテムジンによるハッキングだった。それ以降も幾度と無く捜査情報の偽装や直接的な研究所への妨害を受けたからだ。そして業を煮やしたノックス中尉はテムジンのハッキングに対抗する為に優秀なハッカーを探し出すようにヘイウッド曹長に命じたのだ。
 ヘイウッド曹長が室内にいる小男をどこかから連れてきたのはそれから数日後経った今日の事だった。

 話を持ちかけられたヘイウッド曹長もこれ以上無いほどの惨めな表情になった。
「自分だってその手のコネさえあればあんな男を連れてはきませんでしたよ。しかし仕方が無いじゃないですか、腕利きのハッカーを探したら偶然あんなのだっただけですよ」
 珍しくふてくされた様に言うヘイウッド曹長を苦々しい目で見るとノックス中尉はいった。
「どうかな、俺は思うんだがハッカーってのはみんなあの男みたいにみすぼらしい服装をして社会性の欠片も無いような奴らなんじゃないのかね。しかも一般常識は通用しないし、自分が満足すれば十分だと思っているんじゃないのか。
 どうせここに来たのだってボランティアだとかなんだとかじゃなくて軍用の端末を弄りたいだけなんじゃないのか」
 返事も期待せずに言った言葉だったが、以外にもヘイウッド曹長はまじめな表情になってノックス中尉を見つめた。
「それなんですがね・・・あいつが腕利きのハッカーだってのは間違いないらしいんですが、その後であいつを見つけたフォーラムで聞き込んだ噂なんですがね、あいつは個人的に准将の孫に恨みがあるらしいんですよ」
 興味を覚えたノックス中尉は視線でヘイウッド曹長に続きを促した。
「あくまでも噂です。あの男と准将の孫は一時期コンビを組んでいたらしいです。しかし何だか分かりませんがいさかいがあって、そのコンビは喧嘩別れをしたそうです。そのときあの男はこっぴどく准将の孫にやられたんだとか・・・」
「よくある話だと思うのだがな。どうせ悪党同士が金勘定の段になって仲たがいをしたんだろう。あんな男と一緒に仕事をしたというのだから准将の孫・・・テムジンとかいったかそいつもあの男みたいに汚らしい犯罪者みたいな奴なんだろう」
 面白くもなさそうにノックス中尉が言うとヘイウッド曹長は肩をすくめるだけで何も言おうとはしなかった。
 その時、そこへケイン少尉が慌てて駆け込んできた。
「中尉、コマンドウルフの反応が見つかりました」
 ケイン少尉は息を切らしながら何かの画像が映し出されているデータパッドをノックス中尉に差し出した。ノックス中尉はそれを引っつかむと映し出された地図を素早く判読した。
「これは・・・西方大陸へ向かうつもりなのか」
 地図を一通り見たノックス中尉は、そのデータパッドをヘイウッド曹長に渡した。
「なるほど、これはこの港街へ向かうルートですか・・・あのあたりは対空レーダ監視群が配置されたばかりでしたな」
「ああ、だから今まで行方をくらましていた奴らも気が付かなかったのではないかな。対空レーダだから地上の目標の監視は難しいと思うがゾイドサイズの物体なら監視できる程度のセンサも置いてあったのだろうな」
 笑みを見せながらノックス中尉はケイン少尉に出撃を命じようとした。だがその命令が発せられる前に唐突に部屋の扉が開いてハッカーの男が姿を現した。
「テムジンがダミーをばら撒いたようだ。国内の監視網からの情報は当てにしないほうがいい・・・いやむしろこの研究所が電子的に封鎖されたといったほうが正しいのかな。ここに送られる情報は全て奴が監視しているようだから」
 ケイン少尉とヘイウッド曹長は胡散臭げな視線を男に向けていた。だがノックス中尉は無言でデータパッドを男に差し出した。
「これは間違いなくダミーだな」
 即答する男にケイン少尉が素早く反論した。
「ダミーである可能性は著しく低いものだと思うが。貴様はしらんだろうがこのレーダ群は新設されたばかりのものだから、これへの欺瞞を素人が考え付くはずもない」
 男はケイン少尉に気だるそうな視線を向けると面倒くさそうにいった。
「おたく頭が悪いんじゃないか。ぼくは奴がここに送られてくる情報を全て監視しているって言ったぞ。だから奴は新設されたなんて知らなくても情報の加工を行える。だからあいつは面白いんだよ」
 それからぶつぶつと意味のない事を言い続ける男を、ケイン少尉とヘイウッド曹長は疑惑の視線で見つめた。
 ノックス中尉は一人、眉をしかめてデータパッドを見つめていた。


 ふと寒気を感じてテムジンは周囲を見回した。この界隈ではありふれた安っぽい酒場が見えるばかりだったのだが、何故かテムジンは自分が誰かに見られているような気がした。
 テムジンは自分の弱気を打ち消すように頭を振ると、酒場の隅に設けられていた汎用端末に向き直った。
 その端末は、今時の流行など知らないかのように生産をとうの昔に停止したモデルで、テムジンに言わせれば動いているのが不思議なくらいだった。使用率は高いらしくキーボードやポイントデバイスはとっくの昔に黄ばんで読めなくなっていた。ただ、メンテナンスは意外にしっかりとやっているらしく操作上の問題はあまり無かった。

 テムジンは素早く端末を操作して隠された自分専用の領域に入り込んだ。そして領域に転送されていたいくつかのファイルを閲覧した。そのファイル群はテムジンが研究所の電算機ネットワークに仕掛けておいたプログラムが送り出しているものだった。
 潜入した時に用心の為に仕掛けておいたものだった。むしろ趣味ともいえるものだったが。そのプログラムはネットワークの共有ファイルを片っ端から指定した領域に送り出すようになっている。しかもそれが露見しないように別のファイル移動と同時に行われるように設定されていた。このプログラムはテムジン自慢の自作プログラムだった。
 そのプログラムを使ってテムジンは研究所内部の情報を操作していた。一度転送されたファイルを改竄してから、タイミングを見計らうようにプログラムを設定してから逆ルートで転送するだけだ。簡単で露見しやすい方法だが、内部プログラムの動作に過ぎないから意外にここまでばれないでいた。ただし露見したときのことを考えて領域にアクセスする端末はできるだけ変えるようにしていた。

 テムジンは表示されたファイルの中身を見て僅かに眉をしかめた。研究所から警備部隊が急派されたことが書いてあるだけの文章ファイルだったが、予想に反して警備部隊は二つのグループに分かれていた。
 一つはテムジンが昨夜仕掛けておいた囮の場所へ、そしてもう一つは間違いなくこの地点を目指しているように思えた。テムジンは首をひねりながらそのファイルを見つめた。この方面には主要な軍事基地は存在しないから、常識的に考えればこの分派された部隊はテムジン達を追跡しているということになる。
 だが、コマンドウルフが通過した形跡は極限まで消去していたし、万が一その形跡が発見された所でその情報が研究所に届く前にその情報自体を抹消していたからはっきりとした確信を持って追跡しているとは思えなかった。
 テムジンはキーボードを操作し慎重にそのファイルに情報を付け足していった。テムジン達が今いる街から100Kmほど離れた地点で警察機構が痕跡を偶然発見したという情報だった。
 すぐに気が付くほどの情報だがおそらく研究所は警察機構に確認する事は出来ないはずだった。研究所はクーデター計画に深く関わってくるからだ。だから警備部隊はできうる限り他の組織との接触は避けるはずだった。
 とりあえずはこれでいくらかは時間が稼げるはずだった。そして警備部隊がそれに気が付いた頃にはもうテムジン達は遠く離れた所へ移動している。我ながら完璧なプログラムだった。その自信が表情に出ていたのかもしれない。備え付けの端末をずっと弄っているテムジンに飲んだくれたような親父が声をかけた。
「ようあんちゃん。何にやにやしてるんだよ」
 テムジンはため息をつきながら迷惑そうな表情を露骨に作って酒場の主人に端末の使用料を払った。そして親父を無視して店を出ようとした。
 だが、テムジンは店を出る直前に背後から蹴られて、無様に狭い路地に転がってしまった。
 その直後テムジンは慌ててひざ立ちになると、ジャケットの背に隠していた拳銃に手を伸ばした。だが、引き金に指を掛ける直前で動作を止めると、ゆっくりと立ち上がって自分を蹴り倒した親父をにらみつけた。
「そんなに怖い顔するなよあんちゃん。そんなにさっさとお家に帰る気かよ。まだ宵の口なんだぜ。え?てめぇはそれとも早く帰ってカアちゃんの乳でも飲むのかい」
 典型的な酔っ払いだった。アル中の気でもあるのか、顔がやけに赤く染まっていた。テムジンは怒りよりも馬鹿らしさを覚えて首を振った。
「おっさん。俺みたいな餓鬼を相手にしているくらいなら、さっさとお家に帰って太った嫁さんでも安心させたらどうなんだ。ああ、そうだなおっさんみたいな馬鹿親父だったら嫁さんも愛想つかして一人で先に寝ちまうわな」
 皮肉たっぷりに言うと、親父はもともと赤い顔をさらに真っ赤にした。そして周囲の酔客たちが親父をはやし立てた。あながちテムジンがいったのも間違いではないらしく親父は真剣に怒っているようだった。
 その怒りの矛先が酒場の客のほうに向いたのを見て、テムジンは白けて路地の先へ歩き出した。だが、親父は執念深い性格らしく背後から殴りかかってきた。
 しかしテムジンももうやられっぱなしになるつもりは無かった。半分予想していたから素早く避けると、拳を泳がせている親父のわき腹を狙おうと身構えた。
 だが、テムジンの努力は報われなかった。テムジンが親父を殴る前に、一人の少女が親父の腕を掴んで押し倒していた。少女、ブラウは素早く親父の腕を背中に押し上げた。声にならない悲鳴が親父の口からこぼれた。
 テムジンは勿論、酒場の酔客も呆気に取られてその光景を見ていた。アル中とはいえ体格もいい大の大人が、華奢な少女に手玉に取られているのだから驚かないほうが不思議だった。
「テムジンに暴力を働くのなら私が相手をしますよ」
 落ち着いた様子で、しかし怒りを込めながらブラウが親父の背に乗って言った。
 テムジンはそれを聞くと頭を抱えた。どうやら自分を心配して駆けつけたようだが、いくらなんでもこれは目立ちすぎだった。一度頭を振って弱気を追い払うと、テムジンはブラウの手をとって脱兎のごとくその場を逃げ出した。




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