ZAC2097 二話




 テムジンは既に明るくなり始めた通りをふらふらと歩いていった。しかし、歩きながらでさえおさえ切れない眠気が襲ってくる。
 通りに面する店は、すでに何軒かが開店している。
 テムジンはその一軒によると、手早く食料を買い込んだ。もう顔見知りの店の親父が呆れたような声でいった。
「あんた大丈夫かい。随分顔色が悪いようだがね」
「大丈夫だよ。これでも体力には自信があるんだよ。それに研究があまり進まなくてね」
 親父に精一杯の努力を払ってどうにか笑みを見せたが、親父にも無理をしていることを察知されてしまったようで、親父は心配そうな顔でいった。
「理系の学生さんが大変なのがわかるが、他の学生さんはもう少し余裕のある顔をしているよ。あんたもほどほどにしておきな。第一あんたの両親だって病気にさせるために大学までいかせてるわけじゃないんだからね」
 説教じみてきた親父に苦笑してテムジンがいった。
「俺の父親も研究畑でね。毎日夜中まで帰ってこないし、帰ってこない日も多い。そんな家に生まれればそんな生活が普通になっちまってね・・・もういまさら生活習慣は変えられないよ。人は人さ」
 いいながらもテムジンは寂しさを感じた。
 大学に通い始めた当初はそれほどでもないが、最近では他人と触れないこの生活に段々と寂しさを感じるようになっていた。ホームシックなどというのでは無い。何となく自分の立場がどこにあるのか不意にわからなくなるのだ。
 親父はそんなテムジンの様子に気が付くことなく、まだ説教を続けている。その親父に軽く挨拶するとテムジンは家路を急いだ。

 テムジンは大学から数十分の所にあるアパートに住んでいる。そのアパートは路地の奥まった所にあった。日当たりも悪く、交通の便も良くないが、その分家賃は安かった。
 そのアパートの入り口から自分の部屋のある階上へ登ろうとすると、テムジンの耳にゾイドの駆動音が聞こえてきた。ふとテムジンが路地の先を見ると、陸軍警務隊仕様のディノチェイスが回転灯を光らせながら走り去るところだった。
 首をかしげながらテムジンは階段を再び登りだした。そういえばここまで歩いている時も警務隊のゾイドを何機か見ていた。犯罪捜査にしては様子がおかしかった。普段は警務隊が市内で犯罪捜査を行なう時は警察の立会いを必要としていた。無制限の捜査を軍の一部局でしかない警務隊におこなわせるわけにはいかないからだ。
 だから、警務隊が独自に行動しているというのは、重要度が高い事件を追っているということだった。警察に事情を説明する時間も無いか、それとも事情を知られたくないかどちらかだからだ。
 自分の部屋の前に立っても、そんな事を考えていたからテムジンは扉の鍵が開いていることに気が付くのに時間がかかってしまった。不思議に思いながら、テムジンは取り出しかけていた鍵を仕舞った。
 ――昨日は鍵をかけ忘れていたのかな
 深くは考えずに扉を開けると、狭い部屋の窓際に置かれた端末の前に一人の少女が座っているのが見えた。少女はテムジンの端末を操作していたが、扉が開いた音に気が付いて振り返ったようだ。端整なその顔と狭苦しくて汚らしいテムジンの部屋とでは全くつり合いがとれていなかった。
 勿論その少女に心当たりは無い。少女は臆することなくテムジンを見つめている。そして呆気にとられてテムジンが少女の顔に見とれていると、横合いからいきなり腕が伸びてきた。
 どうやら扉の脇に誰かが潜んでいたようだった。その腕は素早くテムジンを部屋に引きずり込むと、首を絞めてきた。
 体力には多少は自信のあるテムジンだったが、その腕から逃れる事は出来そうになかった。テムジンが首を絞められている間も少女は彼を見つめていた。
 彼女を見つめ返しながらテムジンは思った。
 ――今日は厄日だ
 そこまで考えると、テムジンは気を失った。

 ハイマン准将は気を失って倒れた孫を見た。部屋に入ってきたのが誰なのかよく確認せずに首を絞めていた。もう軍を退役して30年以上たっていたが、格闘戦の腕は鈍っていないようだった。
 しかし、この部屋の持ち主を確認せずに首を絞めたのはまずいかもしれない。孫の首を絞めたという道義的な問題は准将にしてみればどうでもいいことだが、テムジンが起きてきたら何を言われるかわかったものではない。
 面倒くさくなった准将は責任を全部端末を使っている少女にかぶせる事にした。こちらの要求だけ話してこの部屋から逃げ出せばテムジンも何を言う隙もあるまい。そう考えると随分と気分が楽になった。
 端末の方をちらりと見ると、少女は何事も無かったかのように再び端末に向き直っていた。


 テムジンは端末に付属しているキーボードを叩く音で目を覚ましていた。気を取り戻してからもう数分たっていたが、様子がわからないので目を閉じたまま寝たふりをしていた。
 部屋にまだいるであろう賊の正体がよくわからなかったからだ。自分を誘拐してもそれほど意味があるとは思えなかったし、この部屋には端末を除けばそれほど価値のあるものは無かった。
 その端末にしてもテムジンを襲ってまで強奪するようなものではない。
 ようするに犯人に心当たりは無かったのだ。
 だが、段々と馬鹿馬鹿しくなってきた。ここは自分の部屋であり、その部屋の中でびくびくするのはどこか間違っているような気がしてきた。それにあの端末は自分が苦労して組み上げたものだ。
 ようするに短気なだけなのだが、本人に自覚は無い。それどころか部屋の配置を熟知している自分の方が有利だと勘違いして、賊に反撃しようとしていた。
 端末を叩いているのはさっき見た少女だろう。だとすれば賊は最低でももう一人いることになる。
 少女の体格はごく普通のものだったから、一気に襲い掛かれば難なく取り押さえる事が出来るだろう。
 残りの犯人も少女を人質に取れば簡単に降伏するかもしれない。そう考えていた。
 そろりそろりとテムジンが薄目を開けると、男がこちらに背を向けて入り口の扉を見張っているのが見えた。まだ端末を操作している音は止まる様子は無かった。
 それを確認すると、テムジンは一気に体を起こして端末に近寄った。端末の前にはさっきと変わらない様子の少女がいた。
 少女は驚いた様子でテムジンを見上げていた。それを確認すると素早く少女の後ろ側に回って体を押さえつけた。羽交い絞めにして身動きが出来ないようにする。
 テムジンが動いた気配を感じた見張りの男が驚いた様子で振り向いた。
 その男の老齢ともいえる外見と何よりも見たことのある顔である事がテムジンに違和感を感じさせた。そしてそれが少女に対しての隙となった。
 次の瞬間、羽交い絞めにしていた手が振り解かれ、テムジンの体は宙に浮いていた。そして背中をしたたかに床面に叩きつけていた。
 テムジンが呆然として体を起こすといると、後から肩を叩かれた。慌てて振り返ると、見張りをしていた男がいた。
「お前が悪いのだぞ。強化人間の背後を取って無事でいられるものがおるわけがあるまい」
 にやにやと笑うその男が自分の祖父であるリガルド=ハイマンであることに今頃テムジンは気が付いていた。

 テムジンは背中の痛みがまだ消えないなか、祖父であるハイマン退役准将と端末を操作していた少女に茶を出していた。
 あれからハイマン准将は不機嫌そうな口調で久しぶりに訪ねたのだから茶でも出せと要求していた。准将にしてみればテムジンの首を絞めてしまったことの照れ隠しなのだが、テムジンはそこまで気が付いてはいなかった。
 テムジンはこの退役軍人の祖父が苦手だった。ハイマン准将は、純粋な地球人だった。ZAC2029年のグローバリー3号の不時着直後に共和国陸軍に任官した後、第一次および第二次の中央大陸戦争とそれに続く大陸間戦争に従軍し多大な功績を挙げていた。
 准将は退役後傭兵組織を作り上げ一時期治安が悪化していた中央大陸全土や西方大陸で仕事を続けていた。今でも西方大陸北部を中心に仕事を続けているはずだった。
 一方、テムジンの父親はそんな准将にコンプレックスを抱き軍人ではなく研究者としての道を選んだ男だった。そしてテムジンは研究者の端くれに身を連ねるようになった今、ゾイド関連の研究一人者として名を知られている父親に対してコンプレックスを抱いていた。
 テムジンは父親よりもさらに祖父に対してコンプレックスを感じるようになってしまっていた。もっとも一族の中で唯一軍人の道を選ばなかったテムジンや父と祖父の仲も悪かったから今までそれほど顔を付き合わせることもなかった。

 茶を出しながら目を伏せていたテムジンだったが、意を決してハイマン准将に目を向けた。
「それで、爺さんは何で俺の首を絞めたりしたんだよ」
 ハイマン准将は顔をしかめながらいった。
「ノックもせずに部屋に入ってくるお前が悪いのだろうが」
 無茶苦茶な理論だったが、テムジンはそれで押し黙ってしまった。そして二人ともそっぽをむいた。少女は脇からその様子を不思議そうな顔で見ていた。
 やがて沈黙に飽きたのかハイマン准将が口を開いた。
「お前コンピューターだかハッキングだかが得意だったな、その技術をこの娘に教えてやれ」
 テムジンは驚いてハイマン准将の顔を見つめた。どこかで聞いたような話だったからだ。
「何だって?この子に侵入を教えるのか・・・なんで」
「理由は言えん。知ればお前のためにならん」
 露骨に嫌そうな顔をテムジンは見せた、そしてそれまで黙っていた少女の顔を見ながらいった
「冗談じゃない、理由もなしに侵入技術なんて教えられるものじゃない。大体この子は誰なんだ」
 少女はテムジンが見つめても顔色一つ変えずに出された茶をすすっていた。その反応に毒気を抜かれてテムジンはハイマン准将に向き直った。そしてテムジンはハイマン准将が自分に頭を下げているのを見て絶句した。
「頼む、わしがこの手の分野で頼れるのはお前しかおらんのだ。」
 准将が誰かに頭を下げている事など想像もしていなかったテムジンはそれを見て段々と自分が間違っているのではないかと考え始まっていた。
 そしてしばらく沈黙してからため息をついていった。
「わかったよ。この子に侵入技術を教えればいいんだね」
 それを聞くとハイマン准将は素早く顔を上げて満面の笑みを見せながらいった。
「話がわかるじゃないか。さすがわしの孫だ。とりあえず目標は国防省だからそこへ侵入できるだけの技術は教えてやれよ」
 それだけを言うと、ハイマン准将は用は済んだとでも言うように後のことを少女に任せると素早く部屋を出て行った。
 だがテムジンはそんな事にも気が付かなかった。
 ――国防省に侵入するだと、それじゃあさっきのアーチャーというのは・・・
 テムジンは黙って少女の顔を見た。少女は茶を飲み終えてテムジンを見つめている。
 取り残された二人はしばらく無言のままだった。


 目の前にたって文句を言い続ける警察機構の現場指揮官を、ノックス中尉は冷めた目線で見ていた。
 指揮官は飽きることなく似たような抗議を言い続けていた。聞かされているノックス中尉はいい加減飽きてきているのだが、そんな様子にも気が付かずに指揮官は数分間も続けていた。
 だが、その抗議はノックス中尉にも十分理解できる内容だった。指揮官は市街地で警務隊が独自に行動をおこなっているのを問題視していた。通常の手続きである警官の立会いどころか、事前の通告さえないままに捜査が強行されたからだ。
 今までは警務隊と警察機構との関係はさほど悪いものではなかった。そもそも警務隊の捜査内容はここ数十年の間、脱走兵の連れ戻しと軍がらみの汚職捜査ぐらいしか無かった。
 脱走兵の捜索は、むしろ頭数の多い警察機構に依頼するケースが多かったし、汚職捜査も警察機構と綿密な連携をとっておこなわれていた。それ以外の軍内部での犯罪は、警務隊が軍内部で処理する事が出来ていた。
 だから市街地での捜査にもかかわらず警察機構の関与を完全に排除する今回のような捜査法は今までに例が無かった。
 ノックス中尉自身も今回の捜査を違法行為だと捉えていた。しかし上官からの命令は警察機構への情報封鎖を指示していた。

 まだ続きそうな指揮官の抗議が一瞬途絶えた隙をついてノックス中尉が口を挟んだ。
「今回の捜査では民間への情報漏洩は許容できない。これは今回の捜査が軍機に触れるものであるからなのだが、それゆえ警察機構の捜査への介入はこれを厳禁する。・・・我々はそう上層部から命令されているのだが」
 中尉は軍機の一言でこの場を逃れようとしたが、指揮官は即座に言い返した。
「その論理は無茶苦茶だ。それでは警務隊が軍機とだけ言えば市街地での無制限な捜査をおこなう事が容認されてしまうではないか。そんなことは警察は許容する事が出来ない」
 ため息をつきながら中尉はそれに答えた。もうこれ以上こんな堂々巡りに付き合っている暇は無かった。
「とにかく今回の捜査は原則非公開とする、後日警察機構に対して担当者を説明に向かわせる。それと捜査の妨害は軍部への介入とみなし実力を持ってこれを排除する」
 中尉の冷たい言い様と視線に押されるようにして指揮官はたじろいで一歩下がった。
 陸軍全体で見れば警務隊の装備は比較的軽武装であったが、それでも警察機構と比べれば数段強力な装備を有している。
 警務隊がその装備である機関短銃やコマンドゾイドに装備された機関砲を用いれば警察機構の捜査部隊など瞬時に一掃されてしまうだろう。それがわかっているものだから指揮官も慎重な態度をとり始めた。
「・・・とりあえずはこの場は引きあがるとしよう、だが警察機構は軍部の横暴な態度を忘れたわけではない。近いうちにしかるべき上層部にたいして正式に文章で抗議をおこなうのでそのつもりで」
 それだけを言うと指揮官は警察車輌に乗って去っていった。
 中尉は指揮官の乗った車輌が通りの向こうに消えるまで黙って見送っていた。

 指揮官が行った後、ふいに中尉の背後から副官の声が聞こえた。
「やっとうるさいのが行きましたか、これ以上面倒な事はごめんですよ」
 中尉は振り返って副官、ヘイウッド曹長に苦笑しながら向き直った。
「うるさいのというのは無いだろう。実際、私だって彼の立場なら同じ事を言っていただろう。警察機構の捜査権を無視して強行された捜査など前例の無いことだからな」
「どちらかというと自分には警察の面子を気にしていたように見えますがね・・・」
 ふと中尉は、下士官である曹長と士官である自分の立場の違いを考えていた。自分は組織全体のことを考えて指揮官の心情を考慮したが、曹長は自身や部隊のことを考えていた。

 そんなことを考えて眉をしかめていると曹長が状況を説明した。
「市街地から外部へのルートは私服に見張らせています。それ以外にもこれ見よがしに重装甲のゾイドを歩かせています。内部は現在コマンドゾイド部隊によって探索中です。
 それにしてもあの指揮官、自分らが警務隊所属ではないとわかったらどんな顔をしますかね」
 何気ないよう様子で言う曹長に、中尉はさらに眉をしかめた。中尉達の所属は実は警務隊ではなく、半官半民のとある研究機関の警備部隊の所属だった。
 だから本来なら市街地での強行捜査どろか、捜査権自体が存在しない部隊だった。
 それが所属を偽ってまで捜査を強行しているのは軍技術部と企業体が開発した強化人間が外部からの支援を受けて逃走したからだった。
 だが、その強化人間に関する資料は追跡部隊である中尉たちにさえ非公開のままだった。だから不自然なことに中尉たち自身も追跡対象に対して情報が不足したまま捜査をおこなう事になった。
 中尉たちに知らされたのは追跡対象である強化人間の外見と闘争を支援したと思われる人間の情報だけだった。
 その情報は中尉たちをさらに困惑させる事になった。強化人間として送られてきた写真はどうみても十代半ばの少女のものだった。その華奢でさえある姿と強化人間というおどろおどろしいイメージはどうしても重ねる事は出来なかった。
 脱出を支援した人物というのも、また問題だった。退役軍人であるリガルド=ハイマン准将の名は軍を去ってから三十年以上過ぎ去っているのにもかかわらず鳴り響いていた。先の大陸間戦争で奇跡とも言える撤退作戦を指揮したその名はある種の尊敬と畏怖と共にあった。
 だからその二つの情報だけを与えられた部隊の士気は高くなかった。
 いまは全員が中尉の命令に従っていたが、何かあれば士気は崩壊するだろう。中尉にとっては頭の痛い状況だった。

 その時、通信機に取り付いていた兵が二人の方に振り返っていった。
「市内を捜索中の部隊から通信です。ハイマン准将を発見、現在追跡中との事です。それと・・・准将はアパートの一室から一人で出てきたとの事です」
 中尉と曹長は一瞬顔を見合わせた。その部屋にさらなる支援者か強化人間が潜んでいる可能性は高かった。中尉は通信機を取ると待機している部隊に向けていった。
「准将が出てきたアパートを強襲する。突入班準備」
 中尉は命令を出し終えてから何故か悪寒に取られている自分を感じていた。




戻る 次へ
inserted by FC2 system