ZAC2097 一話




 モニターに映し出されるデータの羅列を追っていたテムジンの耳に激しい雨音が聞こえてきた。正午頃から湧き出した雨雲がとうとう雨を降らせ始まったようだった。
 その雨音に追い出されるようにして、最後まで残っていた研究生が帰り支度を始めた。
 モニターを見つめ続けるテムジンの様子に苦笑しながら、その研究生は軽く挨拶をして研究室から出て行った。テムジンは研究生が去っていくのを確認すると大きなため息をついた。
 同時に素早くキーボードからコマンドを入力する。その操作でモニターに映し出される画面が大きく変化した。今までの画面はテムジンが他の学生に対してカモフラージュするための偽の画面だった。
 軽く頭を振るとテムジンはモニターに向き直った。これからする「仕事」は他人に見せられるものでは無かった。テムジンは国防省への侵入を行なおうとしていた。

 テムジンが夜遅くまで研究室に入り浸っているのには理由があった。決して研究に熱心というわけではない。テムジンは周囲の学生と比べてそれほど学業に集中するというタイプではなかった。
 彼が研究室に残ったのは、ヘリック共和国の各大学機関や国営研究所を繋ぐ研究ネットワークにアクセスできるからだった。
 戦後三つに分割されてしまった大陸各部との通信を円滑に行なうために張り巡らされた光ファイバー有線ネットワークによるネットワーク網は、現在では当初の予定を大きく越えて入り組んだ構造になっていた。70年代後半に許可された民間業者の参入と民間人の利用の解放が混沌を招いたのだった。
 だが研究ネットワークはそのような商業ネットワークからは切り離されているはずだった。だがテムジンはこの大学に入学して、研究ネットワークにアクセスするうちに商業ネットワークに繋がる支線を発見していた。
 その支線は研究ネットワークが開設された最初期に、不足するケーブル数を補うために商業ネットワークのケーブルを利用するために設けられたものであるようだった。
 だが、実際には研究ネットワーク単体での運用が可能となるほどシステムが発展したのに、商業ネットワークへの支線は残されたままだった。
 おそらく支線の敷設に携わった技術者の担当部門からの配置換えなどによって、支線そのものの情報が失われたのだろう。
 それで誰からも忘れ去られた支線のみが残った。だが、その支線からの商業ネットワークへのアクセスはほぼ無制限のままだった。これは国が国土の復興に必要だった研究ネットワークを重要視したためだろう。

 テムジンはその忘れ去られた支線を使って商業ネットワークへのアクセスを繰り返していた。それも企業や国営団体へのサーバーへの不法なアクセス、すなわちハッキングを行なっていたのだ。
 ハッキングはテムジンの個人的な趣味だった。
 軍でゾイドコアの効果的な制御を研究していた父親の影響で、テムジンもコンピュータを子供の頃からいじり回していた。そのせいか、十歳になる頃にはすでにコンピュータを自分の手足のように操る事ができた。
 テムジンには何となくコンピュータや他の機械の操作法が直感的に理解できる才能があった。操作法だけではなく、その機械の動作までを短い時間で理解する事ができた。
 その才能をフルに使う場として、テムジンは毎晩のようにハッキングを続けていた。
 だが、テムジンにはそれが違法行為であるという感覚は薄かった。テムジンはハッキングをしても入手した相手の情報を売り渡そうとしたりという気はまるで無かった。相手に迷惑をかけるのが嫌だったのだ。
 だから一時期はハッキングした相手に警告としてハッキング可能なルートのデータを送っていた時もあった。不思議と、彼のハッキング行為そのものがすでに相手に損害を与えている可能性については考えていなかった。
 テムジンにとってはハッキング行為とはスリルのある遊びでしかなかった。だが最近ではハッキングする相手を探すのが一苦労だった。
 セキュリティがあまりにも甘いところにハッキングをかけても面白くとも何とも無いからだ。自覚はあまり無かったが、テムジンはハッカー集団のなかでもトップクラスのハッカーだった。その面子がハッキング相手を選ぶようになっていた。

 テムジンが最近ハッキング相手として狙っているのは国防省の端末だった。
 西方大陸でのガイロス帝國との権益が衝突しつつある今、国防関係のセキュリティは最上級レベルにまで上げられていた。
 実質上侵入不可能なレベルだといってもいい。帝國のスパイによる侵入を予想して迎撃要員として常時複数のオペレーターが待機していたし、侵入を拒む障壁も強固なものが幾重にも張り巡らされていた。
 裏を返せばここへの侵入を行なえれば共和国で最高のハッカーであるともいえた。

 テムジンはこれに挑戦するために数日前から下調べを繰り返していた。この日も下調べのためのアクセスを開始していた。
 下調べといっても民間に公開されているエリアから非公開エリアへのアクセスやオペレーターの動きを見張るだけだ。それだけでもかなりの情報が得られた。この調子なら明日か明後日にもハッキングを行なう事ができそうだった。
 だが、公開エリアにアクセスしたテムジンは普段とは様子がおかしい事に気が付いた。公開エリアを抜け出して非公開エリアを覗いてみてテムジンは驚愕した。
 彼以外のハッカーがすでに非公開エリアへの侵入を試みている最中だった。


 見たところ、そのハッカーが侵入に成功している様子は無かった。それどころかオペレーターたちによって退路を制限され逃げ回っているようだった。
 テムジンは首をかしげながらその様子を見ていた。ハッカーの動きがどこと無く不自然なような気がしていた。
 どこが不自然なのかはよくわからなかったが、何故か違和感を感じていた。しばらく考えていたが、唐突にテムジンはその理由に気が付いた。
 そのハッカーはまるで素人のような動きをしていた。通常、侵入に多用されるダミーの数は国防関係のような侵入困難な場所に侵入をかけるにしては少なすぎたし、侵入から逃れようとしている今も見当違いの場所に逃げ込んだりとやり方が素人臭いのだ。
 侵入が発覚して慌てているにしても、誰もが侵入が困難であるような場所にハッキングをかけるにしてはずさん過ぎるやり方だった。
 しかし、そのハッカーの反応速度はテムジンも舌を巻くほど素早いものだった。それは端末の処理速度自体も高速のものである事をうかがわせたが、それ以上に端末を使用しているであろうハッカー自身のレスポンスの速さも無視できないものであるはずだ。
 そのせいか、ハッカーは度々無視できないほどの失敗を犯していたが、オペレーター側も完全にはその足取りを探知するまでにはいたらなかった。
 しかしこのまま状況が推移すればこのハッカーはオペレーターに捕まえられてしまうだろう。
 その時テムジンは誰かに見られているような気がした。慌ててテムジンは周囲を見回した。だが狭苦しい研究室に誰かが隠れられるスペースなどは無かった。
 首をかしげながら画面に向き直って、テムジンは絶句した。迎撃要員のオペレーターの一人がテムジンからのアクセスを解析しようとしていた。

 テムジンは慌てて端末に向き直った。
 そのオペレーターは他のオペレーターと違ってエリア全体へのアクセスを監視していたようだった。
 一応テムジンは非公開エリアへアクセスできる最下級のIDでアクセスを偽装していた。ほとんど公開エリアと変わらない程度の情報にしか触れることはできないIDでしか無かったが、普段はそれでも監視などを行なうだけなら十分間に合っていた。
 だが、オペレーター達が迎撃態勢をとっている今は、おそらくその最下級のIDを保有しているレベルの職員は端末からのアクセスを制限されている状態なのだろう。オペレーター達の邪魔になる可能性があるからだ。
 そして何故かアクセスをやめない最下級IDの使用者を不自然に思ったオペレーターがテムジンの事を探り始めたのだ。
 よく考えればこれは十分に考えられる事だった。それにもかかわらずテムジンは非公開エリアへアクセスしてしまった。
 ――これではあの素人ハッカーを笑う事はできないな
 自嘲気味にそう思いながらテムジンはそのオペレーターから逃れるすべを考えた。
 だが、研究ネットワークからアクセスしているテムジンはオペレーターが腕利きであれば比較的簡単にアクセス元を断定されてしまう。
 研究ネットワークからのアクセスであることから先の実際にアクセスしている端末の特定は難しいものだったが、少なくともテムジンだけが知る支線の存在は知られてしまうだろう。
 そうなれば商業ネットワークへのアクセス自体が不可能になる。
 テムジンはため息をつきながら本腰を入れてオペレーターへの妨害に取り組む決心をつけた。

 最初にテムジンは自分のアクセスの解析に取り組んでいるオペレーターの動きを探った。
 だが、すぐにそのオペレーターはしばらく脅威にはならない事を確信した。ハッカーほどではないが動きが素人臭かった。おそらく新米のオペレーターが何となく他のオペレーター達の仕事に割り込めずに気が付いたことに取り組んでいるだけだ。
 そのオペレーターのことはとりあえずは無視する事にした。そのうえで全体を見回した。
 しばらくテムジンは端末の前で唸りながら状況の打開法を探っていたが、しばらくして解決法を見出した。ようするに現在の不自然な状態を元に戻せばいいのだ。
 具体的に言えばハッカーをこのエリアから逃がせばいい。逆転的で困難な発想ではあったが、テムジンはすぐにやりがいのありそうなその作業に嬉々として取り組み始めた。

 まずテムジンはダミーのIDを公開エリアにアクセスしていた職員の動きから取得した。
 そのダミーIDをつかって再び非公開エリアにアクセスする。途端に例のオペレーターが動揺するのを感じた。そのオペレーターは結局その新しいほうのIDも解析しようとし始めた。
 これでさらに解析する速度が低下するはずだった。しかも新しい方のIDはどうせ使い捨てるつもりだったから派手にダミーやウイルスプログラムを送り出した。
 その派手な動きにつられて他のオペレーターも注目しだした。そのアクセスがハッカーの支援者によるものだと考えているようだった。
 いつのまにか最初にテムジンが使っていたIDの解析は止まっていた。テムジンはそれに満足するとそのIDでのアクセスを中止し、新しいIDの方に集中した。
 その合間にハッカーとコンタクトを取ろうと試みていた。
 直接相手の端末を特定して通信を送ることは時間的に不可能だったから、しばらく考えた末に公開エリアに目に付く部分にハッカーへの通信文を載せた。内容はエリアからの脱出方法だ。
 しばらくしてそのやり方通りにハッカーがエリアから脱出していった。それに合わせてテムジンもダミーの端末を幾つも潜り抜けて非公開エリアから脱出した。勿論今回使用したIDはもう二度と使うつもりは無かった。

 しばらくテムジンは放心状態で端末の前に座り込んでいた。
 そのままの姿勢でいると端末から警告音が鳴った。どうやらさっき仕掛けたツールにハッカーが引っかかったようだ。
 そのツールは強制的に特定の相手とアクセスしあうことが可能だった。公開エリアに残した文章にアクセスした端末を探るようにそのツールは設定してあった。
 テムジンは大儀そうに端末に向き直ると、幾つか候補が絞られているそのツールのアクセス先から正規のユーザーらしきものを除いていった。
 そして最後に残ったアクセス先に通信文を送った。


<<<君に話したい事がある。下記の通信領域にアクセスしてほしい。
 先輩ハッカーより無謀な素人ハッカーへ>>>

 通信文を送り終えると、テムジンは指定した通信領域を確保した。
 指定したもの以外のアクセスを無制限に禁止するように管制部分のプログラムに命令を与えると、後はただ待ち続けるところだった。
 ただ、相手がアクセスしてくるかどうかはわからなかった。一応脱出を支援したものであるように匂わせてはいたが、それで相手が感謝するかどうかはわからない。
 ようするにアクセスするかどうかは相手次第というわけだった。
 いくらも過ぎないうちに通信領域にアクセスしてきたものがあることを伝えるメッセージがテムジンの端末に入った。
 しかしいくらたっても相手はメッセージを送ってこなかった。ひょっとすると、こういうシステムを利用した事が無いのかもしれない。
 テムジンはこちらからメッセージを送る事にした
<<<この手のシステムになれていないのかな?
 とりあえずはじめましてだね、俺がさっき通信をおくったものだ>>>

 しばらくしてようやく相手からのメッセージが入り始めた。
===通信領域にはいったことは無い。貴方の名前を知りたい===
<<<こういう場合は聞いた方から名乗るのが礼儀だろう?
 恩を売ろうというんじゃないが君をさっき助けたのは俺だぜ>>>
===協力には感謝している。私のことはアーチャーとでも呼んで欲しい===

 テムジンはそこまで読んで首をかしげた。アーチャーと名乗る相手の反応速度はさっき感じたように高速だったが、通信システムにアクセスするのは初めてだという。
 なんとなくアーチャーの言う事には信憑性が感じられなかった。
<<<俺はテムジンだ。一つ聞きたい、君のコンピュータの経験はどれくらいだ?
 通信領域へのアクセスは初めてだというが、君の反応はとても早い>>>
===コンピュータを使った経験はあまりない。===
<<<しかし君の反応は素人のそれではないようなきがするが・・・>>>
===今使っている端末はかなり高性能なものだ。そのせいではないか?===
<<<端末がどれだけ高速でも君自身の反応速度によってかなり左右されるとおもうのだが・・・
 ところで端末の演算装置は何を使っている?>>>
===・・・わからない===

 テムジンはそのメッセージを受け取って絶句した。
 いくらなんでも自分が使っている端末の能力も把握していないという事は無いだろう。ようするに自分が信用できないから教えないという事かもしれない。それにしても演算装置の型さえ教えないというのは妙だった。
 それだけを秘匿しても意味は無いからだ。
 しかしアーチャーはさらに驚くメッセージを送ってきた。
===もういちど国防省に侵入したい。侵入方法を教えてくれないか===
<<<本気で言っているのか?今の君の腕では到底国防関係のエリアに侵入する事はできない>>>
===だからやり方を教えて欲しいのだ。やり方さえ教えてくれれば支援は必要ない===

<<<なぜそんなに国防省にこだわるんだ?何か知りたい情報でもあるのか?>>>
===目的については言う事は出来ない===

 あまりにも不自然すぎるアーチャーの言い様にテムジンはハッカー仲間から聞き込んだ噂のことを思い出した。
 なんでも最近ガイロス帝國からのスパイが潜入していて、そのスパイは商業ネットワークを利用して国防関係の情報を入手しようとしているという。
 そのスパイがこのアーチャーであると仮定すると何もかもが当てはまるような気がしてきた。
 コンピュータの操作に長けているくせに、ネットワーク関係の知識が全く無いのも共和国のネットワークに慣れ親しんでいないせいだろう。
 国防関係のエリアにほとんど何の準備もしないまま侵入しようとするなど正気の沙汰ではないが、それも帝国本国からの指示なのかもしれない。
 そうだとすると、自分の行為は利敵行為となるわけか。そう考えると段々馬鹿馬鹿しくなってきた
 テムジンは特に愛国者というわけではないが、少なくとも帝國のスパイを歓迎する必要は無い。
 根拠など何も無いのに、いつの間にかテムジンはアーチャーを帝國のスパイだと決め付けていた。

<<<君がそういう態度を取るのなら俺が教える事なんて何も無い>>>
===気に障るようなことをいったのなら謝る。しかし私にはあなたが必要なのだ===
<<<国防省から情報を盗み出すためか?君は帝國のスパイなのではないか?>>>
 反応はやや遅れて送られてきた。
===私はスパイではない。それは大変な誤解だ===
<<<なら君の目的を教えてくれないか?俺だって共和国人だ。この国の国益を侵すことはしたくない>>>
===目的を教える事は出来ない===

 これでは堂々巡りだ。アーチャーが帝國のスパイかどうかは別にしても、目的も明かさない相手に気を許す事など出来ない。
 テムジンは軽い怒りをアーチャーに覚えながら端末に最後のメッセージを打ち込んだ。

<<<目的も明かさない相手とはコンビなんて組めない。君がどんな目的で国防省に侵入しようとしているにせよ、相手を信用する事から始めるんだな。
 とにかく俺は君を助けようとは思わないね>>>
 そのメッセージを送り終えると、テムジンは通信領域から抜け出した。
 ふとテムジンが窓の外を見ると、もう明け方といっても良い時間になっているようだった。陽光が薄く外を照らし出していた。
 それを見て急にテムジンは疲れた気分になった。今日はもう借りているアパートに帰って寝る事にした。




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