第七話:硫黄島沖海戦






    1945年 2月22日 硫黄島

 最初に異変に気がついたのは対空電探である22号電探の操作員だった。それまで22号電探は味方機が発する妨害電波の影響で探索がまったく出来ないでいた。それが急に出力がクリアになったのだ。
 操作員が最初に疑ったのは機械的な故障だった。22号電探は決して信頼性が高い機器ではないからだ。それにこれまでに大和は何度も主砲を発射している。一応は外部に露出したアンテナは主砲発砲の衝撃に耐えうるだけの強度があるとはされているが、実際に証明されたことは無いから破損する可能性は常にあった。
 だが操作員の予想に反してアンテナに破損は見られなかった。ここに来てようやく電探の情報が艦橋に報告されていた。

 報告を受けた艦橋では喧々諤々と議論がなされていた。電探を搭載した二式大艇に何らかのトラブルが発生したのは明らかだった。やはり二式大艇は撃墜されたのではないのか。そう考える参謀は多かった。
 ふと大石中佐は西園寺をみた。西園寺はこの男にしては珍しく考え込むような姿勢をとっていた。それに気がついた通信参謀が声をかけた。通信参謀は常日頃から電波兵器に携わっているせいか司令部の中では西園寺に悪感情を抱いていない珍しい参謀だった。
「どうかしたのかね西園寺君。何か気になることでもあるのか」
「もしかすると電波妨害装置が故障したのかもしれません。あれはまだ研究室での実験段階のものですから。電探を搭載した二式大艇の整備は万全でしたし、操作員を含めて乗員の指揮や錬度もかなり高い機体です。人為的な故障というのは少しばかり考えづらいものですな」
 大石中佐は西園寺の本音に気がついていた。彼の話が全て嘘だというわけではないだろうが乗員のミスという可能性がまったく無いとは考えづらい。おそらく西園寺はあらかじめこう言っておくことで電探機の乗員の責任を被ろうとしているのだろう。それに気がついていないのか一人の参謀が嫌味ったらしくいった。
「ようするにすぐ故障するような兵器を東北大学は送ってよこしたということだな」
「失礼ですが実験段階のものでも良いから戦線に投入しろといったのは海軍さんでは無かったですかな。電波妨害装置は夜明けから今まで連続での稼動を行ったものと思われます。これは実験段階の弱電機器としては十分に性能を発揮したといえるでしょう」
 西園寺は涼しい顔で反論していた。その参謀はさらに何かを言いかけたが周囲の白けた雰囲気を感じると咳払いを一度すると押し黙った。
「今は電探機の状況よりもこの艦隊をどう運用するかを議論すべきだ。電波妨害が停止したということは米軍が編隊を誘導するのに何の支障も無くなったという事でもある。機敏な指揮官であればもう我々に対する攻撃隊を発艦させたかもしれない。だが艦隊が硫黄島への砲撃を行っている限り航空機攻撃を回避するのは不可能に近いだろう。我が第一遊撃部隊は決死の覚悟で出撃していたが、それでも貴重な艦艇と陛下の赤子をお預かりしている以上は可能な限り無用な危険は避けなければならないだろう。艦長、艦砲射撃用の弾はあとどれだけかな」
 重々しい口調で山口中将が言うと艦長は砲術長に残弾を確認するのに高所電話をとった。
「ホチ、こちら艦長だ。榴弾はあとどれだけ残っているのか」
「このままのペースで撃ち続けるのであればあと二十分といったところです。同期装置を作動させたわけではありませんが武蔵も本艦とほぼ同じペースで撃ち続けていますから残弾は同程度だと思われます」
 艦長の短い質問だけで砲術長は理解したようだった。的確な情報だけを砲術長はいった。
「砲撃を切り上げますか。今のところ米師団の主要部隊は壊滅させたようですが・・・」
「いや、電探が敵を索敵するまでは砲撃を続けよう。ただし、敵を発見次第外洋に出られるように準備だけは整えておこう」
「長官、電探で敵を発見した場合はどうするのですか。電探で発見してからでも最大戦速で移動すれば航空隊はともかく敵艦隊であれば振り切ることも可能だと思いますが」
 西園寺が山口中将に尋ねると中将は不思議そうな顔をしていった。
「何を言っておるのだ君は。帝国海軍の戦艦が余力を残しながら敵を前にして逃げ出すわけが無いだろう。私がいった無用の危険とは敵航空機に対してのみだ。いくら対空砲の充実した大和といえども雲霞と群がる航空機には分が悪いだろう。元々戦艦とは敵戦艦と戦うことを考えて建造されているのだから当然だろう。だから艦隊の目標は明確だ。航空機からの攻撃を出来る限り回避したうえで第二部隊と合流し敵戦艦を叩く」
 それを聞くと西園寺は満足そうにうなずいた。周囲の参謀の険しい視線をものともせずに西園寺は電探室に監督に出て行った。
 だが大石中佐は西園寺が艦橋を出て行くときにつぶやいた言葉を聞いてしまった。これでようやく大和にふさわしい敵と戦える。大石中佐は思わず振り返って西園寺の後姿を見たが、すでに西園寺は電探室に姿を隠していた。
 ひょっとしてあの男は電探の操作員を名目にして戦艦同士の戦いを見たかったから大和に乗り込んだのではあるまいな。大石中佐はそれを否定することが出来なくて大きなため息をついていた。


    1945年 2月22日 硫黄島西方

 ミズーリの逆探に反応があったという情報をラドフォード少将は冷めた表情で聞いていた。わざわざ孤島に襲撃をかけに来るような艦隊がレーダーを装備していないはずも無い、そう考えていたからだ。問題は敵艦隊の編成だった。
 日本軍の行った電波妨害が唐突に終了してから、ラドフォード艦隊には日本軍艦隊と遭遇した部隊からの報告が入ってきていた。しかし他部隊からの情報の信頼度は限りなく低かった。特に敵艦隊の評価はまったくあてにならなかった。
 最初に敵艦隊と戦端を開いたのは第58任務部隊の第4戦隊だった。第四戦隊は元々ラドフォード少将が指揮するはずの部隊だった。だが第5艦隊はラドフォード少将を臨時戦艦部隊の指揮官に指名した。その結果、第四戦隊は司令部を欠いたまま砲撃戦に巻き込まれてしまったのだ。
 本格的な再編成を行う時間が無かったことから戦艦部隊の司令部は第四戦隊の人員で構成されていた。むしろ既存の第四戦隊司令部を流用したというほうが真実に近いだろう。既存の艦隊司令部はそれだけで価値のある兵器とも言えた。訓練された参謀と指揮官の組み合わせは決して短くは無い期間をもうけなければなじむことは無いからだ。
 戦艦部隊司令部に既存のものを流用した第五艦隊の判断はある意味で当然のことだった。だが第四戦隊はそのとばっちりを受けてしまった。第四戦隊は司令部人員のほとんどが異動してしまったからだ。退避を命じられた第四戦隊は残留者の中で最先任だったエンタープライズ艦長を臨時の司令にすえていたが、彼につけられた司令部人員は戦艦部隊ではやることが無い航空参謀だけだった。
 そして第四戦隊は間の悪いことに敵艦隊の只中に飛び込んでしまった。護衛艦の大半を引き抜かれた第四戦隊で最初に沈められたのは先任艦長の乗ったエンタープライズだった。その後は指揮権の譲渡も行われないままに混乱していったようだった。
 第四戦隊の混乱は現在でも続いていた。その証拠に現在の第四戦隊の司令は不明なままだった。そのおかげで第四戦隊の各艦からは司令部を通すべきである通信がばらばらに届いていた。その通信のほとんどは戦隊司令に指示を求めるものであり、敵戦艦部隊と交戦を控えるラドフォード少将の司令部で処理できる範囲を超えていた。第四戦隊のことはミッチャー中将の上級司令部に任せるしかなかった。
 結局生き残った第四戦隊の艦長たちからは有益な情報は得られなかった。あるものはたった一隻の戦艦が空母を沈めたといい、またあるものは十隻もの戦艦が出現したといっていた。それどころか襲撃には潜水艦が参加していたというものまでいた。冷静に考えれば戦艦部隊に潜水艦が随伴することなどありえないし、退避行動をとっていた空母群を潜水艦が待ち伏せていたというのも考えづらかった。これでは第四戦隊からの情報が確度が低いのも当然だった。
 第四戦隊の次に敵艦隊と接触した第54任務部隊はそれよりもはまだましな方だった。曲がりなりにも第54任務部隊は戦艦ばかりで構成されていたからかもしれない。だがこちらも指揮系統は崩壊していた。詳しい状況は分かっていないが、ロジャース少将はウエスト・バージニアと運命を共にしたらしかった。
 第54任務部隊はウエスト・バージニアとアイダホが撃沈されていたが、他の三隻はまだ戦闘が可能だった。ラドフォード少将はそれを聞いて一瞬目を輝かせていた。運がよければ第54任務部隊と挟み撃ちに出来るかと思ったからだ。
 だが、より正確な報告を聞いて楽観的な考えは霧散していた。第54任務部隊の受けた被害は甚大だった。司令部は壊滅し、前衛の駆逐艦にも少なからぬ損害が出ていた。生き残った三隻の戦艦も元々が旧式の低速艦であった上に戦闘で受けた被害によってさらに速力が落ちている艦もあった。
 大きい損害を受けた割には士気は高かったが、艦隊としての速度などを考えれば第54任務部隊はすでに戦力外と考えるべきだった。その判断を下すのはラドフォード少将ではないが、おそらく第54任務部隊は戦列を離れることになるだろう。
 むしろ第54任務部隊が交戦した敵艦隊の編成情報のほうがラドフォード少将には貴重だといえた。大まかではあるが敵艦隊の構成がこれで把握することが出来た。今までモンスターと呼ばれていたヤマトクラスが二隻に旧式のコンゴウクラスが一隻、それに水雷戦隊が一個か二個。ラドフォード少将も敵艦隊の規模はこの程度だと考えていた。今まで戦っていたナガトクラスを旗艦とする艦隊とあわせれば日本海軍の残存艦のほとんどが参加しているようだった。
 第54任務部隊は水雷戦隊の何隻かを確実に撃沈し、コンゴウクラスにも被害を与えていた。しかしラドフォード少将はその報告を喜ぶことは出来なかった。生き残った艦長たちの何人かがヤマトクラスの主砲は40センチではないと言ってきていたのだ。勿論それ以下の砲だというのではない。46センチクラスの砲を積んでいるというのだ。
 最初に聞いたときはラドフォード少将はその話を信じることが出来なかった。多分、アンラッキーなヒットで僚艦を失って自信を喪失してしまった艦長の妄想であろうと思ったのだ。だが詳しく聞いているうちに考えが変わっていった。
 艦長たちの話は自艦に対する損害を受けてのものだった。ヤマトクラスの主砲を食らった部分はことごとく貫通していた。これで沈まなかったのは運不運によるものに過ぎない。それにヤマトの主砲弾がウエスト・バージニアの砲塔装甲を易々と貫いたのを目撃したものもいた。勿論ウエスト・バージニアは40センチ砲に対応した装甲が張られており、最も装甲厚のある砲塔部分がこう簡単に貫かれたのは解せなかった。
 もちろんこれも不運だったとして片付けられる程度の証拠でしかない。だがラドフォード少将は艦長たちの話を今では完全に信じていた。
 ――46センチ砲くらいでは驚くことではない、ここまでステイツと渡り合った海軍の最強戦艦だ。投射量ならこちらのほうが数で上回っているのだ。これはモンスターをしとめる絶好の機会なのだ。
 ラドフォード少将は自分に言い聞かせていた。彼の艦隊は急速に日本艦隊との戦闘へ向かって突進していった。


    1945年 2月22日 硫黄島西方

 逆探に反応のあった電波源が米軍の水上艦、それも大型艦に搭載されている電探であるという事実は大和艦橋要員に武者震いを起こさせていた。それも無理は無い、いままでこの大和が敵戦闘艦と砲撃戦を行ったことが無いからだ。
 大和が進水したときにはすでに海軍の主力兵器は空母とその艦載機になっていたから前線で華々しく砲撃を行う機会には恵まれなかったのだ。先のレイテ戦においては一応、空母を撃沈するという戦果は挙げているもののそれはとても砲撃戦といえるものではなかった。
 この作戦においてようやく大和はその真価を発揮することが出来たといえる。すでに第一部隊は硫黄島に接近するまでの間に旧式戦艦を二隻撃沈していたが、今度の敵は最新鋭戦艦である筈だった。今までのような敵ではない、相手にとって不足は無い。誰も口にはしなかったが、そんな雰囲気が艦橋に漂っていた。
 ふと人の気配を感じて大石中佐が振り返ると艦橋の入り口近くに西園寺が陣取っていた。いつの間に電探室から帰ったのか、ご丁寧にも西園寺は首から大型双眼鏡をつるして海上に向けていた。
 大石中佐は危険だから下の夜戦艦橋にでも入っていろと言うつもりだったが、それに先んじて西園寺は中佐に向き直って言った。
「いよいよ大和の真価を発揮するときが来ましたな。ご安心ください。我が33号電探が敵艦に先んじた射撃値を叩き出してご覧に入れます」
 にこやかな笑顔でそういう西園寺に大石中佐は何かを言う気力が失せてしまった。どうせ何を言っても西園寺は聞かないような気もしていた。
「どうせ貴様は退避しろといっても聞かないのだろうな。俺はまだ良いが民間人がうろつくのを良く思わん参謀も多い。出来る限りおとなしくしていろよ」
 大石中佐が疲れた顔で言い終わる前に見張り員が叫んだ。
「敵艦を発見、戦艦、アイオワ級の模様」
 西園寺はあわてた様子で双眼鏡を敵艦の方向に向けた。大石中佐はすばやく海図盤に向かった。電探によって発見されていた敵艦のより詳しい進路が兵によって記入されるのを見ながら敵艦隊の動きを推測していった。結果はすぐに出た。敵艦隊はこちらからみて北方を見るようにして反航する体勢から徐々に南方に転針していた。その動きを見る限り敵艦隊は硫黄島から離脱しようとするこちらの頭を抑えようとしていた。おそらく接触するころには丁字を描いているだろう。
 海図盤と睨み合っていた大石中佐と航海参謀は顔を見合わせてうなずきあった。二人とも同じ結論に達したのだった。此方も転針するつもりなら今しかない。だが二人が山口中将に意見具申する前に、西園寺が年の割には高い声でいった。
「あれはミズーリですな。だがやけに速度が遅い。第二部隊はきっちりと仕事をしたようですな」
 そんなことはみれば分かる。参謀の一人がすさまじい形相で西園寺を睨みつけていた。西園寺はそんな視線に気がつくことなく何かを期待している目で山口中将を見つめていた。
 山口中将は西園寺の様子にわずかに苦笑しながら海図盤に近づいた。大石中佐は航海参謀を促した。だが航海参謀が何かを言う前に山口中将はそれを手で遮った。
「このまま敵艦隊に頭を押さえつけられるのは面白くないな。だがこちらがあんまり早く舵を切りすぎても敵艦隊との距離が離れすぎてしまうか・・・」
 最初から戦闘しか考えていない、そんな声で山口中将は言った。第一部隊は英国海軍直伝の見敵必殺精神を発揮することになりそうだった。そして中将の弁を聞いた西園寺は満足そうにうなずいていた。
「やはり同航戦しかないな。よし二水戦と31戦隊に本艦回頭と同時に突撃を命令、ただし31戦隊は接近する敵前衛艦隊を阻止。二水戦は敵戦艦群を狙え。
 本艦は敵先頭艦との距離が40000を切った時点で取り舵をとれ、最終的に距離20000程度で砲戦を行いたい。できるな」
 山口中将は最後は艦長と大石中佐に言っていた。中将の脇で艦長は首をすくめると茶目っ気たっぷりな口調で言った。
「分かりました。本艦が帝国海軍最強艦であるところを見せ付ければよろしいのですな。航海長聞いてのとおりだ」
 艦長に言われるまでも無く大石中佐は海図に予定進路を書き込んでいた。このままの速度ならば回頭までに時間の余裕はあまり無いはずだった。手早く針路を決定しなければならない。大石中佐は海図中に書き込んだ針路を艦長に見せた。艦長はわずかにうなずくと艦橋内に聞こえるようにいった。
「艦長の号令あり次第取り舵80度、応急班はあらかじめ右舷側に待機しておけ」
 本来なら応急班を指揮するのは後鐘楼に陣取る副長だがあえて艦長が激を入れるために直接指示していた。意外なことに戦艦戦隊の先頭を行く大和が回頭に入る前に敵艦隊は発砲していた。
 着弾は大和が回頭を終えて最後尾の榛名が回頭に入ったところだった。勿論命中弾は無い。それどころかあさっての方角に全てが近弾となって水柱をあげていた。
 そして敵艦隊からの2射目は無かった。こちらの動きにあわせて敵艦隊も急速に回頭する姿勢を見せていたからだ。敵艦隊の距離はお互いの戦術行動によって急速に縮んでいった。すでに第二水雷戦隊と第31戦隊は突撃に入っている。相手の前衛艦隊も加速していた。
 お互いの保有する最新鋭の艦艇による戦闘は、まるで開戦前に研究されていた艦隊決戦かのような状況で開始されていた。



戻る 次へ
inserted by FC2 system