ZAC2097 六話




 その部屋は鉄格子が無いだけで実質上独房と変わりは無かった。ハイマン准将は大きく欠伸をしながら、備え付けのベットに横たえていた体を起こした。
 だが起き上がったところで別にする事も無かった。テムジン達が研究所から逃げ出してからハイマン准将はずっとこの部屋で放置されていた。食事を運んでくる兵も必要最小限のことしか話そうとしなかった。
 ハイマン准将はいい加減くさっていた。これでは誰にも愚痴のはきようが無い。脱走も考えたが、意外と警備が頑丈である事に気が付いてからは面倒になってそれ以降考えていなかった。
 大体テムジンがあんなところに現れるのが悪いのだ。さっさと逃げ出していればこんな面倒くさい事にはならなかったに違いない。
 ちゃっかりと責任を孫に押し付けると准将は少しは気が軽くなった。
 誰もいない部屋の片隅から声が聞こえてきたのはその時だった。

「ハイマン准将ともあろう方がこんな部屋に閉じ込められているとは思いませんでしたよ」
 准将は一瞬驚愕した顔をしたが、すぐに仏頂面になっていった。
「貴様が俺に持ってきた仕事だろうが。こんなに面倒な仕事だとはわしは聞いていないぞ」
 ハイマン准将が言い終わる前に、鍵のかかっていた部屋の扉を開けて笑みを浮かべた中年の男がのっそりと部屋に入ってきた。その男は背広を着てサラリーマンのような格好をしていたが、一見しただけでは研究所の一員にしか見えなかった。
 別段整った顔というわけでもなく、男はどこにでもいそうな顔をしていた。おそらく街角で見ても数分後には誰の記憶から失せているだろう。そんな印象が男からは感じられた。
「おや、これは心外ですね。私は確かに危険が大きく伴う依頼ですとお伝えしていたはずだったのですが」
 全く表情を変えずにそういう男にハイマン准将は苦々しい口調でいった。
「それで、情報局の貴様が今度は何のようだ。いっておくが脱獄の助けなら間に合っておるぞ」
「まさか、そんなことはしませんよ。そんなことをしたら私まで危険にさらされるではないですか。大体、准将がここを出てもあまり意味が無いでしょうし」
 それを聞いたハイマン准将は鋭い視線を男に向けた。まるで准将が役立たずだと言われたように感じたからだった。もっとも客観的に見てその事に間違いは無いのだが、准将がその事に気が付く事は無かった。
「貴様はわざわざわしに嫌味を言うためにこんなところまで来たのか」
 男はわざとらしく首をすくめるといった。
「いやいや、私もそんなに暇があるわけではありませんよ。そろそろ例の強化人間のお嬢さんと准将のお孫さんと接触する必要ができたものですからその事と現在の状況をお知らせに来たのですよ」
「状況だと・・・なにか変化でも起こったのか」
 怪訝そうな顔になって准将はいった。そして男が真剣な顔になっていった。
「今までは情報の漏洩が責任問題になるのを恐れていたのかこの研究所から強化人間が情報をもって脱走していた事が知られてはいませんでした。
 しかしそろそろ外部の人間も情報の漏洩に気が付く頃です。お嬢さんたちが派手に逃げ回ってしまいましたからね。
 しかし事情を知らない第三者が例の情報を入手してしまうと共和国軍の体制は大きく混乱してしてしまうでしょう。
 我々、共和国情報部としてはそれは望ましくない事態です。そこで早めにお嬢さんたちに接触して情報を与えるべきだという事になりましてね」
「ふん、貴様らも随分と甘くなったものだな。まあそんな事はどうでもいい。ところでこの研究所のシュラウダーとかいう中佐を見たことがあるか」
 怪訝そうな顔になって男はいった。
「いいえ、見たことはありませんよ。確かシュラウダー中佐というのはこの研究所の研究主任でしたね。はて、例のグループの一員であった事は間違いありませんが・・・必要でしたら情報を収集して届けさせますが」
「ふむ、その情報はわしではなくテムジンに届けてやれ。どうもあの男は妙な感じがしたのだが」
「承知しました。さて、それでは私はこのあたりで失礼させていただきますか」
 男が扉の方を気にしながらいった。そしてハイマン准将がそれに反応するよりも早くに男の姿は部屋から消えうせていた。同時に外から鍵のかけられる音がした。
 数分もしないうちに当番の兵が食事を持って現れた。兵はいつもと違う准将の怒ったような表情に一瞬呆然としたものの、すぐにもとの無表情にもどって食事を置くと部屋から首をかしげながら出て行った。
 ハイマン准将は何も考えないまま飯を食い始めた。
 閉じられた扉に何となくハイマン准将は嫌な予感を感じていた。


 吹きすさぶ風の冷たさにテムジンは思わず身震いをした。そして何となく何日も森林地帯を逃げ回っている自分に空しくなって周囲を見回した。
 テムジンが天辺に立っている大岩のすぐ脇にはコマンドウルフ改がその四肢を横たわらせていた。
 コマンドウルフ改はテムジンとブラウによって全身に偽装を掛けられていた。あらかじめ少し離れたところで伐採した木材を立てかけて、十分に葉の付いた枝を掛けると遠めには周囲の森林と同化しているように見えた。
 だがテムジンのいる大岩からは容易に白い塗装が見て取れた。だからブラウはその大岩を今晩の野営地に決めていた。
 それは良いのだが、その大岩は風の当たる場所にあり、とても野営に適しているとは思えなかった。
 テムジンは覚悟を決めて首を振るとブラウに向き直った。
「焚き火用の枯れ木を集めてこようか」
「ああ、それなら偽装中に集めましたよ」
 こともなげに言うブラウに苦笑するとテムジンは少しでも風の当たらない場所を探し出そうとした。風が強いと火がつきづらい上に煙が不自然に立ってしまう。
 テムジンがきょろきょろと目線を泳がせていると、ブラウはさっさと大岩の半ばあたりの岩棚に歩いていった。その場所は天井が張り出しているから雨露もしのげるし、左右に張り出した岩によってある程度の風も防ぐ事ができた。
 早くも火をつけたブラウの脇に座り込むとテムジンは持ってきた端末を開きながらいった。
「これから行くあてはあるのか?あのコマンドウルフを抱えて不振に思われないという意味なのだが」
「無いですね。まずあのコマンドウルフはかなり改造されていますから、民間所有を偽装するのはかなり困難ですね。そもそも民間所有のコマンドウルフなんて数が少ないですから」
 わかりきっていた事だが、はっきりといわれるとテムジンは落ち込んだ。
「いっそのことコマンドウルフはここにおいていこうか」
 テムジンが言うとブラウは悲しげな表情になっていった。
「ひどいですよ兄さん。せっかくここまで一緒に来たお友達を見捨てるんですか」
 そういってブラウはテムジンに迫ってきた。テムジンは結局冷や汗をかきながら前言を撤回するしかなかった。
 満足そうな顔をしているブラウを横目で見てため息をつくと、テムジンは端末に研究員のベッカーから渡されたディスクを差し込んだ。それまでは逃亡するのに必死で、ディスクを詳しく調べる時間が無かったからだ。
 ブラウは食事の準備をしていたから、飯を食い始めるまでそのディスクの中身を調べるつもりだった。それだけの時間があれば何が入っているのかぐらいは理解することができるだろう。
 だがテムジンは予想外の内容に驚かされる事になった。

 最初に目に付いたのは共和国軍の西方方面軍の訓練計画表だった。その計画表ではトライアングルダラスに程近い街に未知のBC兵器が着弾したところから始まっていた。
 だがテムジンはすぐにその計画表が不自然であることに気が付いた。まずBC兵器を運搬してくる手段が不自然だった。最初の計画表では長距離弾道ミサイルとあるにもかかわらず、途中からホエールカイザーによる直接空輸に変化していた。
 確かにあり得る状況パターンを考えていったともおもわれたが、それにしてもこの変化は急だった。
 だがテムジンは首をかしげているうちにさらに不自然な部分に気が付いていた。いくつかの部隊ではBC兵器の使用がおこなわれる以前から出撃準備がおこなわれる予定になっていた。当然のことながら目標とされた街へはその部隊群が先行して到着する事になっていた。
 さらに準備があらかじめおこなわれている部隊ではBC兵器使用後の計画まで立てられているのに対して、そうではない部隊に関してはその欄は空白のままだった。
 しばらくテムジンは首をかしげていたが、唐突に気が付いた。ようするにこれは計画表ではなくてあくまで状況に対して部隊の動きを予想したものに過ぎないのではないか。そう考えればつじつまが合う部分があった。
 だがそう考えても、部隊によって行動予想に幅が出てくるのは仕方が無いにしてもその幅が大きすぎる気がした。しかも状況が開始される前に状況に対する準備がなされているのはあまりにも不自然だった。
 テムジンはそれ以上考える事が出来なくなって端末から目を離した。気が付くと食事の準備は終わりブラウがテムジンを見つめていた。
「そのディスクは何が入っていたんですか」
「よくわからないな・・・最初は訓練計画表かと思ったんだけどそれにしては不自然すぎる点が大量に出てきたんだ」
 正直にそういうとテムジンはお手上げという格好をした。
「それ以上はもう少し調べてみないといけないな」
 そういうとテムジンは火にかけられていたレーションの包みに手を伸ばした。
 だがその手はブラウによって遮られた。腕を掴んで放さないブラウに不振なものを感じてテムジンが顔を上げるとブラウの顔が恐ろしく緊張しているのがわかった。
 ブラウは無言のままテムジンの腕を放すと傍らに立てかけてあった突撃銃を引き寄せた。
 テムジンも気迫に押されて機関短銃を構えた。二人はできる限り音をさせないようにしてコッキングレバーを引いて初弾を薬室に装填する。
 そのままブラウは岩陰に潜んで闇に紛れようとしていた。だがテムジンはちょうど良い暗がりを見つけることができずにまごついていた。
 あせって暗がりをようやく見つけた時すでにブラウは周囲の闇と完全に同化していた。そのまま銃身を野営地に指向したまま待機を続けた。
 テムジンもぎこちないもののそれにならった。
 そして一人の中年の男が現れた。

 男は森林地帯ではまるで似つかわしくない背広を着込んでいた。顔には笑みを浮かべながら男は焚き火の前に座って火に木をくべている。
 テムジンはまるで緊張感の無い男の様子に脱力していた。ブラウもそれは同じらしく闇の中から戸惑った様子がうかがえた。だがそんな戸惑いも男の一言で崩された。
「テムジンさんだったかな、ハイマン准将のお孫さんは。それに強化人間の方はブラウさんですな」
 テムジンとブラウは戸惑って顔を見合わせていた。二人とも闇の中にいてお互いに顔が見えないことに気が付いてはいなかった。


 意を決してテムジンは暗がりから姿を現した。男がテムジンが残した端末をいじり出したからだ。
 男はテムジンに背を見せたまま端末の操作を続けていた。テムジンは機関短銃を構えたままいった。
「端末から手を離してくれ。それはあんまり安い物じゃないんだ」
 ようやく男は振り返ると満面に笑みを浮かべながらいった。
「これは失敬、あなたがテムジンさんですな。とりあえず私もこのディスクの中身に用があるものですからもう少し我慢していただきますよ」
 それだけを言うと男は再び端末を操作した。モニターには将兵のリストが表示されている。それを男は確認しながらゆっくりとスクロールさせていった。
「あんた誰だ?そのディスクの中身を知っているのか?」
 テムジンは苛立って男の前に立って質問した。
 男はそんなテムジンの様子に気が付いた様子も無く淡々とした口調でいった。
「はて、どこから答えればいいものかその質問の仕方ではわかりかねますな。まあ宜しいでしょう。
 私はとある政府機関に勤めております。いわば公僕です。それとあなたの祖父、ハイマン准将の現在の雇い主でもあります」
「爺さんの雇い主だって・・・爺さんならとっくに捕まっちまったぞ。それから念のために言っておくが俺は爺さんの代わりに働いたりはしないからな」
 テムジンは男がハイマン准将の関係者だと知った時から緊張感が失せ始めていた。そのかわり徒労感が押し寄せてきた。
 あの爺さんはいつも自分に無理難題を押し付けてくるが、今度もそうなりそうな気がしていたからだ。
 テムジンは男の前にどっかりと腰を下ろした。男はテムジンに意味ありげな表情を見せた。
「このディスクの中身ですが・・・私も何が書き込まれているのかおおよそはわかっていましたが、詳細は知りませんでしたよ。
 さて、テムジンさんもこのディスクを見たようですがこれが何か理解できましたか?」
「理解する前にあんたが来たんだよ」
 少しばかりの皮肉を込めていったのだが、男は顔色一つ変えることなくいった。
「単刀直入に言いましょう。これは一種のクーデター計画です。権力の奪取を目的としているわけではないという意味では正確に言えばクーデターではなくテロだともいえるのですが」
 テムジンは首をひねっていた。どうしても安定した共和国の体制とクーデターという言葉が結びつかなかった為だ。
「クーデターというが、それは誰が何の為に起こすのだ?はっきり言って今クーデターなどおこしても民衆の支持は得られないと思うのだが」
「言いませんでしたか、この計画は権力の奪取を目的としているわけではないと。いってみればこれは現政権による権力の強化を目的としているのですよ」
「なんだって・・・じゃあルイーズ大統領が考えたとでもいうのか」
「いえ、ルイーズ大統領や多くの閣僚はこの計画を知らないのでしょう。計画を推進しているのは軍部のごく一部ですから」
「わからないな・・・軍部は何をしようとしているんだ。権力を奪取しない計画とは結局のところ何なんだ」
 途方にくれた顔でテムジンが言うと男は端末をテムジンに返しながらいった。
「この画面を見てください。ここに街が見えるでしょう。計画ではニカイドス島にあるミサイル基地からこの街に向けてBC兵器を搭載したミサイルを発射します。その後そのミサイルの発射経路を追跡していた基地に細工してそのミサイルはガイロス帝国から飛来したと発表するんですよ」
 呆気にとられてテムジンは男の顔を見つめた。
「そんな事が可能なのか。大体そんな事をして意味があるのか。つまり権力の強化にどう繋がるのかという意味なんだが・・・」
「そうですね・・・実はガイロスでは共和国との開戦に向けての準備が全面的に進められているという噂があります。しかし共和国ではその事への危機感が高いとは言いづらい状態です。
 大多数の国民はいまだ戦火を対岸の火事か何かのように感じているのです。これは国民レベルにまで開戦の意思が広まっている帝国と比べるとこれは随分危機感が欠落しているのでしょうな。
 しかし一番の問題は国民の緊張感の無さを危険として感じており、この問題を一挙に解決する為に国民意識を改革しようと試みるグループが出現したという事なのです」
 テムジンはそういわれてようやく話が見えてきたような気がした。
「ようするにその計画というのはガイロスによる攻撃を偽装する事で緊張感を高めようというのだな」
 男は満足そうに頷いた。
「その通りです。さて、そこであなたに依頼したい事があるのですが」
 テムジンは続けようとする男をさえぎっていった。
「ちょっとまってくれ。だけどそんな事件を起こしてもガイロスからの攻撃じゃない事はすぐにばれるんじゃないか?そもそもガイロスってのは本当にBC兵器なんて持ってるのかな。ありもしない兵器が飛んできたらさすがに誰か疑うんじゃないのか」
「この場合はガイロス帝国が兵器を持っていようがいまいがそれほど関係はないと思いますね。
 何故なら両国ともに今すぐには相手国を完全に制圧する事は不可能だからです。相手が保有する兵器の確認など完全に敵国を占領でもしない限り不可能です。
 しかし共和国はもちろんのことガイロスも共和国を今すぐに制圧するだけの軍事力は保持していないでしょう。
 つまりしばらくの間撃ち込まれたとされる兵器の保有を確認する事はできないというわけですな。二打目が来ないのもストック分がないせいだとでも言えばごまかしは聞くでしょう。
 それとこのからくりに気が付く人がいたところで世論はすんなりとごまかされると思いますよ。そうなってはもう事態を収拾させるのは難しいでしょう」
 テムジンは暗然たる思いで空を見上げた。こんな計画を知ってしまった以上もう普通の学生には戻れない気がした。男はそんなテムジンの気持ちを分かっているのかいないのかこう続けた。
「ところでテムジンさん、あなたにこの計画を阻止していただきたいのですが。もちろんただでとは言いませんよ。それなりの報酬はお支払いいたしましょう」
 いまだに満面の笑みを浮かべる男を、テムジンは胡散臭げな顔で見つめていた。




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