ZAC2097 五話




 テムジンはぶつぶつと文句を言いながら研究所の中を歩き回っていた。格納庫においてあった白衣を着ると、元々理系の学生であるテムジンは完全に研究者に変装することが出来ていた。
 警備兵が何度も近くを通り過ぎていくが、誰もテムジンに注意を払おうとはしなかった。しかしテムジンは内心びくついていた事は確かだった。
 次第に慣れてくると今度はブラウの割合に無責任な態度が思い出された。
 ――やはり偽装する時に妹扱いしたのが悪いのだろうか・・・
 どこかブラウの行動がいい加減な祖父のそれと被ってテムジンは大きなため息をついた。
 テムジンは、ブラウから預かった一枚のディスクを取り出した。ディスクは一般的に使用されるものでごくありふれた物のように見えた。
 だが、そのディスクには仕掛けがしてあった。最初ブラウから渡された時にテムジンは自分の携帯端末でディスクの中身を確認しようとしたのだが、ディスクを挿入する直前になって違和感にとらわれた。
 注意深くそのディスクを調べてみると一見しただけではわからない仕掛けがしてあることに気がついた。
 それはディスクを挿入すると発火する単純な罠だった。だが巧妙に隠匿されていたから素人では気が付かずにそのまま使用してしまっただろう。
 そこまではテムジンにもわかったが、それ以上調べる事は出来なかった。ディスクの記憶媒体の部分だけを抜き出して別のディスクに入れる事は可能ではあったが、ディスクをこじ開けただけでも発火装置が作動するかもしれなかった。
 繊細な光学的に記憶する媒体は簡易な発火装置であっても簡単に破壊する事が可能だった。
 結局このプロテクトを施した人物、すなわちブラウの脱出に手を貸した研究員を探し出すしかなかった。
 だが、それにしても奇妙な話だった。何故その研究員はブラウを研究所から脱出させたのか、そしてハイマン准将の行動も不可解だった。
 あの祖父が金もゾイドも関わっていない話に乗ってくる事は無かった。だが、その研究員がハイマン准将を雇えるだけの資金を有していたとはいささか考えづらい話だった。
 だとするとその研究員もまた誰かから雇われたのかもしれない、その誰かが准将にも金を渡している。そう考えるのが自然なような気がしていた。
 ――何にせよその研究員に確かめなければならないか・・・
 テムジンは目的の研究室のドアを叩きながらそう考えていた。

 ドアをノックすると、すぐに室内から神経質そうな男の声がした。
「誰ですか」
 素早くテムジンはドアから研究室の中へ入った。室内には三十代半ばの白衣を着た男が一人訝しげな表情で座っていた。
「あの・・・ベッカーさんですよね?」
「そうだが、君は誰だ?」
 不振げな表情をしたまま男は答えた。だが、すぐにテムジンをどうこうしようという気はないようだった。テムジンは素早く例のディスクを男に見せた。
「何故君がそれを・・・」
 男は驚きを隠せない顔になった。テムジンはかいつまんで今までの状況を男に説明した。
 男、ベッカーはそれから数分間沈黙したままだった。テムジンが手持ち無沙汰で格納庫にいるブラウのことを考え始めたとき、唐突にベッカーが話し始めた。
「まず結論から言おう。そのディスクには何も記憶されていない」
 淡々と独り言でも言うかのようにベッカーは言ったが、テムジンは驚いて彼の顔を見つめていた。
「あのディスクをもってブラウを逃亡させたのは別のルートから流される情報から目をそらさせる為に過ぎない。おそらくブラウの逃亡を支援した君の祖父はその情報を受け取ったものが送ってきたのだろう。当初の計画ではブラウの逃亡は成功しないはずだったからな。そのディスクは発見されて研究所は完全に外部の手によって閉鎖されるはずだった
 だが、ブラウの逃亡が比較的穏健に成功した事で逆に追撃部隊は研究所の手によっておこなわれてしまったようだな、これは計算外だった」
 話を聞いているうちに段々とテムジンは目の前の男に怒りを覚えてきた。これではブラウはただの駒扱いではないか。まだ一方的に話し続けるベッカーを遮ってテムジンはいった。
「もう結構だ。これ以上あの子をそんなくだらない争いに巻き込ませたくない。あんたはあの子を駒として扱った、だから俺達もあんた達がどうなろうと知った事じゃない」
 そういって部屋を出て行こうとしたテムジンにベッカーが一枚のディスクを投げてよこした。同時にどこか寂しそうな表情でいった。
「これを知っても君は同じ事が言えるかな?・・・そのディスクを良く見てから結論付けてくれ。もちろんプロテクトはかかっていない」
 テムジンは不機嫌な表情を変えぬままディスクを掴み取るとブラウの待つ格納庫へと歩いていった。


 ノックス中尉はまだ不機嫌な表情のまま、尋問をおこなっていた部屋から出てきた。結局シュラウダー中佐に言い含まれたまま強化人間捜索に駆り出されてしまったからだ。
 そのかわりハイマン准将の尋問は、そのまま続けてケイン少尉に行なわせる事にしていた。シュラウダー中佐の事を信用する事が出来なかったからだ。
 どのみち今日は夜遅くになっていたから尋問は打ち切られた。ハイマン准将は十数分間の説得の末、研究所の仮眠室に泊まってもらうことにした。もともと純粋な研究機関である研究所に拘留に適した部屋が無かったためだった。
 ハイマン准将も部屋から出てきたが、まだ不機嫌そうな表情を崩していなかった。准将はまるで上官のように振舞っていた。
 その後ろに付いたケイン少尉とヘイウッド曹長のほうが逆に居心地が悪そうにしていた。普段は経験豊富で老練な下士官であるヘイウッド曹長がハイマン准将の前だとまるで新兵のように見えた。
 それがおかしくてノックス中尉は思わず笑みを浮かべそうになったが、曹長の後ろから姿を現した男を見て元の不機嫌な表情に戻った。

 その男、シュラウダー中佐の連れてきた強化人間はローテという名前をいった後は何一つしゃべろうとしなかった。無表情というよりもは無感情な雰囲気が感じられるローテの存在はノックス中尉にはただ不気味に思えるだけだった。ノックス中尉は意思でもって視線をローテから外した。
 しかし、並外れた巨躯や大柄な軍服の上からでもはっきりとわかる筋肉の束がローテの存在を無視できないものにしていた。
 確かにローテの体格は、体力に自信のある兵たちの中に混じってさえ目立つものだったろう。だが、それ以上に彼の存在感は、何か彼の持つ雰囲気によって高められているようだった。
 ノックス中尉は、ローテを体格以外に不思議なところは無いのに、一見しただけでも明確に記憶できるような気がしていた。
 奇妙な事に、ハイマン准将は徹底してローテを無視していた。それどころかシュラウダー中佐に対してさえ関心を持っていないように見えた。
 だが、ノックス中尉はハイマン准将がこっそりと中佐達二人を観察している事に気が付いた。ほんの僅かな時間の事だったからノックス中尉以外は誰も気がついていなかったろうが、ハイマン准将の一瞬の視線は今まで見たことが無いほどに鋭いものだった。
 その事がノックス中尉はひどく気にかかっていた。ハイマン准将はシュラウダー中佐を知っているのかもしれない。
 ノックス中尉はその事を考えながら歩いていた。
 だから廊下の角から研究員が大股で歩きながら出てきた時に避ける事が出来なかった。
 その研究員とノックス中尉はお互いに大きく姿勢を崩した。どうにか壁に手を突いて倒れなかった研究員は中尉達のことを見て驚いた表情で、しどろもどろな口調で謝罪した。
 ノックス中尉も素早く謝罪して起き上がった。気が付かないうちに周囲に対して注意が散漫になっていたらしい。研究員は目を伏せがちにして歩き去ろうとしていた。
 ふと中尉は違和感にとらわれた。その研究員の顔を見たことがあるような気がしたのだ。もちろん研究所の職員なのだろうから面識があるのは自然だった。
 だが、研究員と警備部隊との交流は少なく、顔を見たことの無い研究員も多い。そもそもあの顔は研究所以外のところで見たような気がした。
 歩みを止めて考え込んだノックス中尉にヘイウッド曹長が声をかけた。中尉は曖昧な返答をすると、曹長に振り返った。
 その時、ハイマン准将の顔を見て研究員のことを思い出して、ノックス中尉はとっさに叫んだ。
「今の研究員を捕まえろ!ハイマン准将の孫はあいつだ」
 ノックス中尉が言うが早いか、その研究員―テムジンは駆け出していた。
 そして同時にローテが駆け出そうとした。そこへ一瞬遅れてハイマン准将が体当たりをかける。
 老人とは思えないハイマン准将の体当たりだったが、ローテは一瞬倒れ掛かっただけですぐに駆け出した。ハイマン准将は相手を無くして派手に転がり込んだ。ヘイウッド曹長とケイン少尉は倒れこんだ准将につまづいてすぐに駆け出すことが出来なかった。
 ノックス中尉は舌打ちをすると、二人にハイマン准将を拘束するように命じてから自分も駆け出した。

 テムジンは正体が露見するのをある程度予想していた。ぶつかった中尉はおそらく警備部隊の責任者というところだろう、だから自分の顔写真なども見ているはずだと考えていた。
 咄嗟に顔を見せないように伏せて歩き出したものの、案の定すぐに後から叫ぶ声が聞こえた。しかしその事を予想していたテムジンは素早く駆け出していた。すぐに最高速で走っていく。
 邪魔になる白衣を脱ぎ捨てるとあとは格納庫まで逃げ延びるしかなかった。幸い格納庫まではすぐそこだった。
 しかし、たかが数百メートルしかないはずの道のりは追われている事がわかっている今のテムジンには無限とも言える距離があった。そして格納庫の入り口が見えてきたところで後ろから誰かが追ってきていることに気が付いた。
 しかも足音から判断するとかなりの速度だった。テムジンは後ろを振り返ってすぐに後悔した。
 並外れた体格の大男が凄まじい速度で迫ってきていた。とてもではないが、あの体格で出せる速度ではなかった。その光景にテムジンが逃亡をあきらめかけた時、非常事態のためにとブラウが渡してくれた通信機から声が漏れ出した。
「テムジン、格納庫に入ったらすぐに右側に飛んで伏せてください」
 それだけを言うと沈黙してしまった通信機を唖然とした表情でテムジンは見た。
 すぐ後から大男が駆けてきたが、テムジンは寸での差で捉えられる前に格納庫に入り、何も考えられないまま右に跳躍した。
 そして、テムジンがいた空間に巨大なつめが振り下ろされた。
 呆気に取られたテムジンの目に改造されたコマンドウルフの姿が映っていた。
 そのコマンドウルフのキャノピーが開いてブラウが姿を現した。
「早く乗ってください。この基地から逃げ出します」
 テムジンはその言葉に従うしかなかった。


 ノックス中尉が格納庫に駆けつけたとき、すでにコマンドウルフは逃走態勢に入っていた。コマンドウルフの両脇に装備されたスモークディスチャージャーから発煙弾が発射されすぐに着火し煙が噴出してきた。
 そこまで中尉が確認すると、扉の脇にいたローテが素早い動作で扉を閉めていた。それよりも早く扉から僅かに漏れ出した煙がノックス中尉の元にただよって来た。
 ノックス中尉はその煙の臭いを嗅ぐと眉をしかめた。
「睡眠ガスか・・・」
 漏れ出した量から考えても、ガスマスク無しでの格納庫への突入はしばらくは不可能だった。
「侵入者はどうした」
 ノックス中尉は脇に控えるローテに尋ねた。
「逃げられた。あと少しのところだったのだが・・・隊長は離れていてくれ。私は格納庫に突入する」
 ローテの意外な言葉に呆気に取られて、ノックス中尉は格納庫への扉を見た。どうみても格納庫に入るのは不可能に思えた。
 活動自体は可能でも、睡眠ガスは煙幕効果も持っているから内部に入ったところで的確な状況判断が可能だとは思えなかった。それよりもは脱走しようとしているコマンドウルフを追跡した方が早いと思われた。
 そのことをローテに説明したが、ローテはさらにいった。
「私ならば睡眠ガスの影響をさほど受けないと思う。それに私の視覚野には赤外線波長域も含まれているから、ある程度の判断を下せるほどには情報は入手できる」
 ノックス中尉はそれを聞いて驚くよりも先に呆れていた。それが本当ならばローテの身体能力は人間をはるかに凌駕している事になる。
 結局戸惑っている時間が惜しかった。ノックス中尉は素早くローテに許可を与えると、自分は統合的な指揮を執りに研究所警備部隊の司令室へ走っていった。

 キャノピーが閉鎖された時からテムジンは違和感を感じていた。
 ブラウが操縦していたコマンドウルフは通常型と比べて大きく外見が変化していた。通常型では可視化された素材で構成されているキャノピーは完全に装甲で覆われていた。
 それは帝國軍のゾイドで多用されている装甲式のキャノピーともまた違った外見を持っていた。全く開口部が存在せず。複眼式の赤外線と可視光センサが全身に散らばるように配置されていた。
 センサの数から言えば通常のキャノピー式よりも多くの情報を得られるのだろう。キャノピー内部のディスプレイの質もそれをうかがわせた。
 それ以外にも武装の点でも通常のコマンドウルフと違う部分が多かった。二連装のビーム砲が据え付けられている部分には大型の光学センサが付属している単装長砲身の砲が装備されていた。
 だが、何よりも目を引くのは各部のセンサと同じ部位につけられている多数のアンテナだった。そのアンテナの数からテムジンはこの機体が電子戦型であると考えていた。それにしてもわざわざコマンドウルフに大改装を施す意味があるほどの事とも思えなかった。
 テムジンは首をかしげながらこれも通常型とは違い大型化されているコクピットの後部座席に座った。それと同時にテムジンを取り巻くようにデータが平面状に空中投影された。思わずテムジンは身構えてしまった。
 どうやら後部座席は電子戦員が乗り込むところらしく周囲の電子的な情報が映し出されていた。しかも強力なレーザによってホログラフィとして投影されるようだった。
 テムジンもそのシステムの存在そのものはわかっていたが、軍用として実用化されていたとは思わなかった。コクピット内のホログラフィ投影用のレーザを設置するという事は意外に多くのクリアすべき点が存在するからだ。
 まず戦闘時の高加速、高減速時において多大なGが発生している時でも安定した出力を発揮しなければならないし、鮮明なホログラフィを発生させられるだけの高出力レーザの光からは乗員を保護しなければならない。
 なによりも高コストだからとても量産機に搭載できるシステムではなかった。
「そっちのシートからは電子機器が操作できますからテムジンは基地の警備隊の目をごまかし続けてください」
 物珍しさから周囲の機器をいじくっていたテムジンに前部の座席で頭部全体を覆う大型ヘルメットを被ったブラウがいった。テムジンは戸惑いながらそれに返した。
「いや、使われている端末自体は汎用型の機器とほとんど操作部は同じだから操作は何となくわかるんだが・・・俺は電子戦の経験など無いのだが」
 自身なさそうに言うテムジンに、さも興味がなさそうな声でブラウがいった。
「なんだ、出来ないんですか」
 その言葉に単純にテムジンは反応していた。やや不機嫌な声になりながらブラウに承諾を告げると早速、手元の端末を操作しだした。
 結局テムジンは自分をその気にさせたブラウが前部座席で悪戯っ子のような笑みを見せていた事には気が付かなかった。

 ノックス中尉が司令室に飛び込んだとき、まだスタッフの半数は席についていなかった。
 眉をしかめながらノックス中尉は自分の席につくと端末を操作しだした。警備部隊は小規模なものだから隊長であるノックス中尉自身も司令室内では情報の加工などをおこなわなければならなかった。それに長く続いた平時は多くの将兵から緊張感をうばっていた。
 すぐに部屋に残りのスタッフが飛び込んできた。自分の席に付いたスタッフが申告してくるのに生返事を返しながらノックス中尉は周辺に展開する部隊を洗い出していた。場合によっては逃げ出した強化人間たちを脱走兵かスパイ扱いにして外部の部隊に処理を委託する事も考えていた。
 ふとノックス中尉は違和感にとらわれて顔を上げた。そこには研究所の敷地内から逃亡を図るコマンドウルフがレーダー画面に映し出されていた。しかしその動きはまるで素人のようだった。
「センサ、あのコマンドウルフの位置は正確に出ているのか」
 各種センサからの出力部に取り付いていた兵に声をかけると、その兵は首をかしげながらいった。
「そうだと思いますが・・・さっきから妙なエコーを大量に拾っています」
 その兵が最後まで言い終わる前に無人偵察機を操作していた兵が叫んだ。
「敵機が偵察機の視界に入ります」
 そのこえで司令室にいた全員が偵察機からのカメラ画像を映し出し始めた部屋中央部の大型モニターを見つめた。
 だがそこにコマンドウルフの姿は見えなかった。
「そうか・・・敵はコマンドウルフの電子戦機能をつかって軍用回線に接続して偽の情報をおくっていたのか・・・」
 通信端末に取り付いてた兵の一言に全員が静まり返った。
 静まり返った部屋の中でレーダー画面の耀点だけが存在を主張していた。




戻る 次へ
inserted by FC2 system