ZAC2097 四話




 秋口の寒気を感じて、テムジンは寝床にしていた大木のうろから体を起こして周囲を見渡した。
 二日前に降った雨はまだ森林地帯にじめじめとした湿気を残していた。その湿気がテムジンの記憶を呼び起こしていった。
 ふと視線を感じて脇のほうをみると、機関短銃を抱えたまま横になっていたブラウと目が合ってしまった。側車から取り外した軽機関銃も彼女の脇に転がっている。
 ブラウは何もいわないまま、小首を傾げ不思議そうな顔でテムジンを見ていた。テムジンはその表情を不審に思ってたずねた。
「俺の顔に何かついてるのかい」
 そう言ってからテムジンはあまりにもぶっきらぼうだったかと反省していた。だが昨日のブラウの行動がテムジンにそういわせていた。

 ブラウは部屋から出た後、路地をでたらめに走り回っているような気がした。しかし、そんな事を考えられる余裕は路地の端に停車している側車と二人の警務隊員を見たときに吹き飛んでいた。
 上等兵の階級章をつけた兵が、走りこんでくるブラウとテムジンに気がついて咄嗟に機関短銃を持ち上げようとした。その兵の後ろ側にいた下士官は、兵が邪魔になってまだブラウのことを認識できていないようだった。その動作は緩慢なだけだった。
 だがその時のテムジンはそこまで理解できていたわけではなかった。テムジンは咄嗟に横の路地に逃げこもとしていた。兵に機関短銃を撃つ意思が感じられたからだ。
 その瞬間、ブラウが動いていた。素早く膝を下ろして、拳銃を素早く構えた。立っている方の膝の上に左手の肘をのせていた。そして引き金を引いた。
 機関短銃を構えていた兵がそれで倒れこんだ。ブラウはそれに動じることなく、わずかに銃身をずらしてもう一度引き金を引く。
 下士官がいまだ理解できないという顔のまま兵の後を追うようにして倒れた。二人とも致命傷となる場所は避けているようだから、運が良ければ助かるだろう。
 テムジンはその光景に絶句しながらもそう考えていた。そしてブラウの後ろを走っていたテムジンはブラウにぶつかって転びそうになった。それをブラウが抱きとめた。
 その時になってようやくテムジンはブラウの体がわずかに震えている事に気がついた。
 だからテムジンはブラウを抱きしめるようにしてかかえこむと止まっている側車に乗り込んだ。
 単車の方にまたがったテムジンは、しかしふと自分が単車の免許を持っていないことに気がついた。どうやって操縦すればいいんだ?
 その呟きが聞こえたのか。側車の方に乗り込んでいたブラウが苦笑しながら立ち上がった。
「私が運転します。テムジンはこちらへ。その軽機関銃の操作はわかりますね」
 しどろもどろになってテムジンはブラウと場所を交換した。
 はじめてブラウが苦笑という明確に感情を表す表情をして、なおかつ自分の名前を呼んだことにテムジンが気がついたのは昨日の晩、安全に夜を越せるであろうこの大木のうろを見つけてからだった。

 ブラウはテムジンの問いを無視するように見つめてきた。その視線に戸惑ってテムジンは朝食の準備を始めた。
「葉っぱです。額についてます」
 二人とも黙々と準備をしていたからテムジンには最初ブラウが何を言っているのか気がつかなかった。慌てて額に手を伸ばすと眠っている間についたのであろう木の葉がこびり付いていた。
 赤面しながらそれをはがすと、ブラウは何が面白いのかにこにこと笑っていた。それでテムジンの緊張もほぐされていった。
 ――不思議な子だ
 そう思ってテムジンは自然な態度でブラウに接する事が出来た。いつの間にか彼女が強化人間であるという感覚は失せてしまっていた。

「これからどうする?」
そうたずねるテムジンにブラウは即座に返した。
「研究所に行きます」
 テムジンは訝しげな顔になっていった。
「研究所ってブラウを・・その生んだところ?」
「そうですよ」
 困惑したような声音でテムジンはいった。
「でも、研究所に戻ってどうするのさ?また昨日の警務隊みたいのに追い掛け回されるのが落ちだぜ」
「それは無いと思います。灯台下暗しとも言います」
 テムジンは頭を抱えたくなっていた。その時唐突にあることを思い出した。
「そういえば入手した情報があるって言ってよね。それって何なんだ」
「わかりません、プロテクトがかかっていますから。それを解除する為にも研究所に行かなくてはいけません。もともとの計画では准将が助けてくれる事になっていたのですけれども」
 そういいながらブラウはテムジンの表情を盗み見た。思ったとおりにテムジンは仏頂面になっていた。
「あんな我侭爺さんが助けてくれるもんかい。わかったよ、それじゃあいつらよりも早く研究所へと急ごう」
 そういって立ち上がるテムジンにブラウは何故か笑みを隠すことが出来なかった。


 ノックス中尉は顔を精一杯しかめながら目の前の男、ハイマン准将の愚痴を聞き流していた。
 ハイマン准将は昨日からずっとしゃべり通しなのに、ただ聞いているだけのノックス中尉たちよりもよほど元気があった。それがなおさらにノックス中尉たちの士気をそいでいった。
 これではどちらが拘束され尋問されてているのかよくわからないではないか。そう思っても最初の五分で相手のペースに巻き込まれたノックス中尉に状況を変える力は無かった。

「おい、ちゃんと聞いているのか新品中尉君。言っておくが今の話は士官学校の特別講義でも傭兵仲間にも話していない貴重な戦訓なんだぞ」
 そういってにらみつけてくるハイマン准将に首をすくめながらノックス中尉は答えた。
「ちゃんと聞いてましたよ」
 だが思わず漏れたノックス中尉のあくびに、ハイマン准将は冷たい視線を向けてきた。その視線にノックス中尉は慌てて椅子の上で姿勢を正した。この老人の視線にはそういう力があった。
「よし、ならば聞かせてやろう。わしはその時ガンブラスターからなる砲兵隊の護衛としてゴジュラスMK−II隊を指揮していた。それも今のガナータイプのようなまがい物ではないぞ。あの初期生産型に乗っておったんだ」
 ようするにハイマン准将の語る「戦訓」というのは先の大戦における自慢話であるに過ぎない。ようするに祖父が孫に語ってみせているようなものだ。
 だいたい「戦訓」などといったところで自分がいかに活躍したのかを延々と話しているだけだ。そこに何らかの戦訓を求める事は若いノックス中尉たちには出来なかった。

 ふと視線を横にずらすと、同じように退屈そうな顔をしているヘイウッド曹長と、逆に好奇心あふれるケイン少尉の顔が見えた。
 なぜかケイン少尉の表情に危険な物を感じてノックス中尉は身構えてしまった。さっき別の下士官と交替したばかりのケイン少尉ではハイマン准将の扱い方を図り間違えるかもしれないからだ。
 ノックス中尉が危惧したとおりに、ケイン少尉はハイマン准将に口を挟んでいた。
「あの、准将殿。その時はすでにゴジュラスはMK−IIといえども旧式になっていましたよね。どうして新型に乗り換えなかったのですか」
 予想に反してハイマン准将はケイン少尉を怒鳴りつけるわけでもなく、にやりと笑みを見せただけだった。
「ふん、今の若造どもにはわからんかもしれんがな、ゴジュラスこそが共和国軍最高傑作機なのだ。あのシンプルで頑丈な構造は素晴らしいぞ。
 ゴジュラスに対抗できるものといったら、あとはマッドサンダーくらいしか思いつかんな。
 マッドサンダーやゴジュラスの良さがわかった後ではゴッドカイザーなど乗る気になれんよ」
 得意そうにいうハイマン准将を、ケイン少尉は尊敬のまなざしで見つめた。若いケイン少尉にはハイマン准将の自慢話も納得できるようだった。
 今度はケイン少尉はマッドサンダーの事をハイマン准将に質問していた。ハイマン准将もケイン少尉の態度にだいぶ満足そうな表情で、自分のゴジュラスと列を同じくしていたマッドサンダーのことを語っていた。
 今度の話はかなり真実味を帯びていた。なによりも自分自身の話ではないから幾分か冷静な話が出来るのだろう。いつの間にか話はマッドサンダーの開発時の経緯にまでさかのぼっていた。
 如何に雄々しくマッドサンダーやゴジュラスが戦ったのか。純粋な少年のような瞳で話すハイマン准将にノックス中尉は少しばかり嫉妬をしていた。
 それはある種の尊敬でもあった。それに気がついたノックス中尉は苦笑しながらもハイマン准将の人格を認めつつあった。そしてそれはヘイウッド曹長も同じらしく中尉と同じく苦笑してハイマン准将を見つめていた。

 ノックス中尉は、ハイマン准将の話をそれなりに価値のあるものと思っていたが、切り上げるべきタイミングも考えてはいた。だから、話が一段落したときにハイマン准将に話しかけようとしていた。
 尋問に使っていた部屋の扉が開いたのはその時だった。誰かが入ってくる気配を感じてノックス中尉は振り返った。だから、ハイマン准将の顔が一瞬怪訝そうにゆがんだ事には気がつかなかった。
「ノックス中尉、何をしている」
 感情という物が全く感じられない声に、眉をしかめながらノックス中尉は部屋に入ってきた痩せぎすの男に向き直った。
「今回の事件に関係している可能性が高いハイマン准将を尋問中です。それで、何か御用でしょうかシュラウダー中佐殿」
「中尉に与えられている命令は強化人間の捕獲であったはずだが。ここでハイマン退役准将を尋問する任は小官が受け継ぐ。貴公等は直ちに強化人間の捕獲にあたれ」
 シュラウダー中佐が無表情のまま罵倒するかのような事をいったので、ノックス中尉は不機嫌そうな顔でそっぽをむいた。
 ノックス中尉はシュラウダー中佐がいつまでたっても好きになれなかった。顔の造作は決して悪い物ではないのだが、研究所に勤める誰もがこの強化人間計画の中枢スタッフである中佐に爬虫類をイメージしていた。
 ――確か虫族の出身では無かったよな・・・

 押し黙ってしまったノックス中尉の様子をみかねて、ヘイウッド曹長がシュラウダー中佐に説明した。
「その強化人間とやらに警備部隊の精鋭達が軒並みやられてしまいましてね。幸い死者こそ突入班の数人ですみましたが、負傷者は多数です。何割かは名誉の負傷によって除隊せざるを得ないほどの怪我です」
 言外に強化人間の詳細を警備部隊に知らせぬまま強引な捜査を強行させたシュラウダー中佐たち中枢スタッフを非難していた。
 だが、シュラウダー中佐は顔色一つ変えることなく、背後に立っていた男を部屋に招き入れた。
 狭そうに部屋に入ってきた大柄な男は、常人離れをした筋肉を持っていた。
「彼は現在の計画の前に存在した強化人間計画で生み出された一人だ。彼一人がいれば突入班の損失は十二分に補えるだろう。
 再度命令する。強化人間の捕獲を続行せよ」
 ノックス中尉は戸惑いながら男の顔を見た。だが、そこに何らかの感情を見出す事は出来なかった。


 いくら何でもこれは無謀だ。テムジンはその一言を半歩先をずんずんと歩いていくブラウにいう事が出来ずにいた。
 強化人間を育成していた研究所は近辺に駐屯する共和国軍の基地の中でも最大級の規模のところにあった。ここは中央大陸全土の補給網を監視する補給司令部とそれに付随する各種機関が存在していた。
 将来の規模拡大を見越して基地の面積は勤務する兵員数と比べて広大なものだった。研究所はそれを利用して基地の外れの方に施設が点在しているらしい。これは研究内容をカモフラージュする意味もあるのだろう。
 だが、基地には補給司令部が存在する事もあって民間人の出入りも比較的多かった。さすがに司令部の施設の周辺には兵が厳重な警備をしているが、軍の広報センターがある事も合って民間人の基地内への立ち入りはほぼ自由だった。
 建前上はさほど機密度が高いわけでもない基地だし、広大な基地の一部が公園として開放されているからだ。
 そして、テムジンとブラウはなんでもないような顔をして堂々とその基地の中を歩いていた。

「はぁ・・・」
 今日何度目かのため息をついてとうとうテムジンはブラウに話しかけた。
「いくら何でも正面から堂々とってのは危なくないか」
「多分大丈夫ですよ。途中までは民間人も立ち入り可能なエリアですから。それに研究所も研究内容を対して意味の無いものに偽装していますから、不自然なほどの警備の強化はできないんですよ」
 ブラウにそう言われればテムジンはもう何も言う事が出来なくなってしまった。

 ふとその時、ブラウが慌てて振り返って、有無を言わせずテムジンの腕にしがみついてきた。まるで恋人達のようなブラウのしぐさにテムジンがどぎまぎしていると、ブラウが必死の視線ですぐ先の方を指差していた。
 よくみると、若い兵士達の集団が歩いてくるところだった。その兵士達は全員、警備部隊の腕章を付けていた。ようやくテムジンにもおぼろげに事情が飲み込めてきた。研究所にいた頃、ブラウはあの兵士達と会ったことがあるのだろう。
 うまく偽装しなければならなかった。手っ取り早く恋人にでも見せかけるのが早いのだろう。周囲を改めて見回すと休日だけに家族連れが多数見つけられた。
 だが、わずかに震えているブラウの手はテムジンの腕を強く掴んでいた。すでに痛いほどだったが、テムジンは安心させるようにブラウの手に触れてからいった。
「随分と先の方まで来てしまったが・・・そろそろ帰るか」
 ブラウは顔を伏せたまま、子供の様に首を振った。テムジンはブラウの痛々しい様子をみて、初めて誰かを守りたいと思っていた。
「でもあんまり遅くなると親父達も心配するぞ。・・・いや親父はどうでもいいんだが、母さんを困らせちゃいけないだろ」
 やさしげな声音に、ブラウも顔を上げてテムジンを見た。テムジンは今までの人生で一度も浮かべた事の無いような笑みを浮かべていた。
 その笑顔につられるようにしてブラウもようやく緊張した表情をといた。テムジンはブラウの顔に浮かんだ笑みをうれしく思っていた。そして次の瞬間に絶句した。
「でも兄さん。私まだ行ってないところがあるの。そこに行くまで帰れないの。もちろん兄さんならついて来てくれるわよね」
 反論を許さない口調にテムジンが呆気に取られている間に、兵士達の一団は過ぎ去っていった。それでもまだブラウは笑みを見せたままテムジンの腕を放そうとはしなかった。

 ブラウは何故かにこにこと笑みを絶やさぬまま、研究所の裏手の人孔をこじ開けた。脇にほうって置かれて倒れそうになる蓋を慌ててテムジンが支えた。それを確認するまもなく、ブラウがひらりと下水溝の中に身を投じた。
 テムジンも一度ため息をついてから、ゆっくりと蓋を閉めながら下水溝の中に入っていった。
 下水溝の中は、テムジンが想像していたのよりもずっと広かったが、明かりの無い構内はとても歩けるようには出来ていなかった。
 先に入って準備をしていたブラウが、構内に備えられていた非常用のライトを照らした。ライトぐらいでは、ほのかな明かりにしかならない圧倒的な暗闇にテムジンは吸い込まれそうになった。
 慌てて首を振ると、ブラウがこっちをみていた。
「早くしないとおいていくよ、兄さん」
 悪戯を思いついた子供のような目をブラウはしていた。テムジンは照れ隠しに髪をかき上げながらいった。
「で、研究所の地下までこの下水溝を伝っていくんだよな」
「ええ、研究所の地下格納庫までここをつたって行きます。それからは警備兵に見つからないように親しかった研究員の人がいる所まで行きます」
「じゃ行こうか」
 そうテムジンが言うとブラウが前に向き直って進み始めた。

 格納庫の人孔をそっと開けてテムジンが顔を出すと、格納庫特有の機械油のにおいがただよって来た。数が少ないながらも整理整頓されたゾイドハンガーや旋盤などの各種機器がある簡易な工場などもそこにあった。
 テムジンは周囲に誰もいないのを確認すると、そっと人孔から這い出た。すぐにブラウが出てきて、機関短銃を構える。
「ここからその知り合いのところまでは遠いのかな、あんまり時間がかかるようなら警備兵に見つかってしまう可能性が高くなると思うが・・・」
 テムジンの問いに答えぬまま近くにおいてあった端末をブラウはいじっていた。
「兄さん、ここから研究所の警備計画を調べられる?」
 怪訝そうな表情でテムジンは端末に取り付いた。数分もすると、テムジンの表情は次第に険しくなっていった。
「警備ランクが上がっているのか・・・最高レベルにまで上げられている」
「だから格納庫内の人員を需要度の高いエリアに配置しているんですね・・・」
 ブラウの落ち着いた声にテムジンは頭を上げた。
「しかし、これで研究所内部を歩き回るのはほぼ不可能になったぞ」
「それはどうでしょうね・・・発想の転換をしましょう」
 テムジンは首をかしげた。どう考えても現在の研究所の中を歩き回るのは無理だった。数分おきに研究エリアを警備兵が歩き回るのだ。頭を抱えてブラウを見ると、ちょうど端末から研究所内部の地図を出しているところだった。
「内部の配置図を渡しますから、ここまでいってください。多分、兄さんなら研究者の振りをしていけば大丈夫ですよ」
 笑みを見せながらそういうブラウにテムジンは絶句するしかなかった。




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