開戦前夜 五話




 砂漠地帯特有の夜半の強風が貧民街を走っていった。マッケナ大尉は分厚い外套を着ているのにもかかわらず薄ら寒さを感じて首をすくめた。
 隣にいたミュラー軍曹と大佐は、そんなマッケナ大尉の動きに気が付かないほど緊張しているようだった。
 ふと気になってマッケナ大尉は後ろに控えている武装した大佐の部下達を一瞥した。

 ダワフリが見つけた監視員はテロ組織の動きが激しくなった事を報告しに来ていたものだった。ダワフリがテロ組織の拠点となっている廃屋の存在に気が付いたのと同じ頃、使節団員のスパイを探っていた大佐の部下が同じ廃屋の存在に気が付いていた。
 つまりは使節団の中に紛れ込んでいたスパイとテロ組織につながりがあることが証明されたといってもいい。
 もっともスパイの特定自体は進んでいるとはいいがたかった。大佐達がかぎつけたのはあくまでの情報の伝達をおこなっているクーリエの存在に過ぎなかったからだ。
 しかしマッケナ大尉はこの時点でテロ組織の拠点を襲撃することを考えていた。
 使節団の派遣が決まったのはつい数ヶ月前の事である。それからクーリエの選定や訓練をおこなったと仮定するならばその数は極端に少ないものと考えられた。
 それならばクーリエを抑えれば情報の伝達手段は失われる事になる。
 マッケナ大尉はテロ組織がそれ以外の有効な情報収集手段を保有しているとは考えていなかった。それならば察知される危険性の高いクーリエなど使わないはずだ。
 だから拠点の襲撃は十分に効果のある作戦だった。問題は確保できる兵員の数だった。
 いつ拠点が移動するかわからなかったから作戦は早い段階で始動しなければならない。
 情報ではラインハート准将もテロ組織と接触を続けているらしかった。
 そのことも作戦を急がせる一因となっていた。

 しかしマッケナ大尉が指揮している兵員は皆無だったし、大佐の部下達も銃撃戦が得意とは言いがたいところだった。
 何とか大佐の部下の中から選抜して十数人の武装兵は確保できたものの、装備も練度も様々な集団であるに過ぎなかった。
 もっとも相手のテロ組織のほうもさほど戦闘力があるとは思われなかったから十分な数であるとマッケナ大尉は自分に言い聞かせていた。

 だが今マッケナ大尉は自分の判断に迷いを感じていた。武装した大佐の部下は、あるものは緊張し震えを隠せなかったし、いつまでも神経質に銃の点検を続けているものもいた。
 彼らを落ち着かせようと何か声をかけようかとマッケナ大尉は考えたが、脇にいる大佐に遠慮して何も言う事が出来なかった。
 大佐も後の部下達を一瞥すると不機嫌そうな表情になって一人一人に声をかけていった。
 その様子を見て安堵するとマッケナ大尉は見張りを続けていたダワフリに合図した。それに気が付いたダワフリは素早くマッケナ大尉に近づいてきていった。
「旦那、今あの准将があの廃屋に入っていったぜ」
 予想もしていなかったダワフリの言葉に一瞬マッケナ大尉は唖然とした。こうも早く准将が非公然組織と接触するとは思わなかったからだ。
 考えようによってはこれはチャンスなのかもしれなかった。地下組織と准将の関係が明らかになれば後は大佐に任せればゼネバス人を敵に回す事はなくなるだろう。
 だが失敗すればラインハート准将も地下に潜って活動を始めるだろう。
 迷っていたのはほんの僅かな時間だった。
 マッケナ大尉は大佐に短くいった。
「突入作戦決行」
 大佐が頷くと武装した兵たちが廃屋へと駆けていった。その後姿にマッケナ大尉はまた不安を覚えていた。


 兵たちが突入する時、マッケナ大尉たちはダワフリが廃屋を監視していた小屋で待機していた。
 その廃屋からは目標の廃屋だけでなく、周囲の状況を監視する事が可能だったからだ。それに、大尉たち自身もいざという時は予備兵力となるように武装していた。
 マッケナ大尉自身は護身用に大型拳銃を持っているだけだが、大佐やダワフリは機関短銃や突撃銃で武装している。
 ミュラー軍曹は逃亡するテロ組織構成員がいたときに備えて狙撃銃を持ち込んでいた。
 窓辺に立って監視するマッケナ大尉の脇で、ミュラー軍曹は膝立ちで狙撃銃のバイポットを窓枠にのせてスコープのなかを睨んでいた。
 マッケナ大尉が見守るなかで兵たちが廃屋に辿り着いた。マッケナ大尉はその様子に少しばかり安堵した。兵たちの動きが訓練されたものだったからだ。これならば作戦の成功確率はかなりのものだろう。
 そして、最初に辿り着いたものが入り口を突撃銃で狙いながら監視する間に、素早く二人目の兵が散弾銃を入り口のドアの蝶番に押し当てて無造作に発砲した。
 静まり返った貧民街に散弾銃の銃声が二度響き渡る。
 この作戦では当初から秘匿性に関しては考慮されていなかった。そこまで考慮する時間が無かったというのも事実だが、むしろ作戦を迅速に進めることでテロリスト達が反応する前に無力化する方が重要だった。

 蝶番が吹き飛ばされたドアが素早く蹴り倒されると三番目の兵が無造作に手榴弾を中に投げ込んだ。
「軍曹、フラッシュ」
 マッケナ大尉がミュラー軍曹に注意を促すと同時に廃屋の中で凄まじい閃光と爆音が発生した。
 軍曹や突入する兵たちはその前に目を閉じていたから視力の低下は最低限ですむが、警告なしに閃光を浴びたものは一時的に視力を奪われるはずだ。
 そうでなくとももう夜目は利かなくなっているだろう。それに対して日が降りる頃から監視小屋で明かり無しに待機していたマッケナ大尉たちは周囲の状況がわかるくらいには夜目がきいている。
 それ以前に爆音を予告無しに近距離で聞いたものは一定時間無力化されてしまうものではあるが。
 いずれにせよ突入する兵たちを妨害するものはだいぶ減っている事だろう。
 マッケナ大尉は廃屋の監視を止めて周囲の状況を探り出した。貧民街は閃光弾が爆発した後も静まり返っていた。住民の大半は今の爆発で起きだしているのだろうが、おそらく暴力沙汰と係わり合いになるのが嫌で家の中にこもっているのだろう。

 一通り監視を終えたときに通信機から突入した兵からの連絡が入った。
「内部に突入、生活臭はあるが人は誰もいない。今放置されている物を調べさせている」
 それを聞いたマッケナ大尉と大佐は顔を見合わせて、どちらとも無く廃屋を監視していたダワフリに向き直った。
「俺はちゃんと監視していたぜ。あの小屋からは誰も出てこなかった」
 自身ありげに言うダワフリを戸惑った表情でマッケナ大尉は見つめた。そして通信機から再び声がした。
「隠してあった地下通路を発見した。これから入って調べる」
 それを聴いて戸惑ったような顔をしていた大佐が素早く反応した。
「いかん!そこから撤退しろ」
 大佐が言い終わるよりも早く廃屋がいきなり爆発した。呆然とそれを見ていたマッケナ大尉を大佐が倒れこませた。
 それと同時に大尉がいた空間を大きな破片が通過した。爆発は廃屋と突入部隊を完全に消し去っていた。相当数の火薬が使用されたのは間違いなかった。
 床に倒れこんだままマッケナ大尉は呆然としながらいった。
「作戦は失敗した。ここから撤退する」


 マッケナ大尉はため息をつきながら、目の前で意気消沈している面々をみた。
 廃屋への突入作戦失敗からまだ3日しか過ぎていないのに状況は驚くほど変化していた。
 都市国家政府は貧民街での爆発に対して当初は静観の構えを見せていた。政府にとっては貧民街の存在はさほど重要なものではなかったからだ。
 だが、貧民街での爆発が政府によるものであるとの風評がたち始めた頃からにわかに状況が変わっていった。
 いつの間にか爆発は政府筋の対テロ機関による過剰な捜査によるものだとされていた。政府はこれを否定する事が出来なかった。
 一部の層から積極的にテロ組織を取り締まるよう要請があったからだ。
 その一部の層とは帝國や共和国と貿易をおこなう業者達だった。彼らにしてみればテロ組織とは自分たちの商売を危うくする存在に過ぎなかった。
 そして貿易業者達は貿易国家であるこの都市ではかなりの発言力を持っていた。彼らは実際には存在しない政府の捜査を高く評価し、いっそうの取締りを要請した。
 その要請に引きずられる形で政府当局の貧民街への捜査は強行された。
 だが十分な経験も無い捜査機関が比較的反政府意識の存在する貧民街の捜査をおこなったところで十分な成果があげられるはずも無かった。
 結局は捜査機関による捜査は強引なものとなり地域住民との軋轢を発生させるだけだった。
 それはますます貧民層をテロ組織に結びつけるだけだった。

 そして第二の事件が発生した。
 それは当初はただのデモ行動に過ぎなかった。しかし貧民層を中心としたそのデモ行動を取り締まろうと捜査機関が強引に検挙を実施した事から事態は悪化し始めていた。
 貧民層に属する住民たちは当然のことから政府機関による保護を受けづらい。そのことが検挙から逃れる為に強く抵抗する事になった。
 自然と捜査機関の暴力もエスカレートしていった。
 そして破局は突然に訪れた。デモ活動に巧妙に紛れ込んでいた一人のテロリストによる投擲爆弾は検挙を実施していた捜査機関の大半を負傷させた。
 さらに紛れ込んでいたアジテーター達によって民衆が捜査機関に対して暴力を振るい始めた。
 そして最後は防衛軍による治安出動をもってしてようやくそのデモ活動は鎮圧された。
 最終的に捜査機関と民衆側合わせて三桁台が重軽傷を負っていた。

 その事件の影響は都市国家内部に止まらなかった。軍の治安出動は都市国家全体の評価を押し下げていた。本当の衝撃は事件から一夜明けた朝にやってきた。
 帝國軍を除くほぼ全ての契約業者が都市国家の輸送業者との契約を打ち切る事を通達してきた。
 そもそも最初の戦争反対デモのころから都市国家の評価は下がり続けていた。
 そして治安出動の事実は決定的なまでに評価を押し下げた。
 だが帝國軍だけはこの地域の輸送業者をこの都市のものに集中させていた。
 そのことがさらに都市国家の輸送業者を帝國と結びつける結果になっていた。
 それだけならば良いのだが、マッケナ大尉は輸送業者の中で都市国家への帝國軍の駐留を希望する意見ができつつあるという噂を耳にしていた。
 だがそんなことは本来なら許容できる自体ではないはずだった。業者はそれによって治安が保たれると考えているようだがマッケナ大尉はむしろ逆だと思っていた。
 帝國軍の進駐はテロ組織に格好の標的を与え、都市国家内の亀裂を明確なものとするだろう。
 だがその事を理解しているものはまだ少なかった。


 マッケナ大尉はふと飯茶碗のおかれたテーブルから通りのほうに目を映した。向かい側にいたミュラー軍曹は最初から通りのほうを見ていた。
 そこでは意味不明なシュプレヒコールを叫びながら示威行動を続けるデモ隊の姿があった。いつのまにか反戦争デモは反体制デモへと変化していった。
 デモ隊は小規模ながらも組織されたものであるようだった。随分長距離を歩き続けているはずなのに人数が減っている様子はなかった。
 みたところそれはゼネバス系の貧民を中心としているようだった。ただ何割かはエウロペ人も含まれているようだった。彼らを結び付けているのは血族というよりもは同じ立場ということのほうが強いようだった。
 いずれにせよ彼らはこの都市国家では反主流派に属する人間だった。
 だが主流派である支配者層は彼らが同時に無視できない勢力である事を理解しているとは思えなかった。

 茶屋の親父は迷惑そうな目をデモ隊に向けたが、一応は無視する事もできずに茶屋の軒先に立てかけてあった雨戸をかけていった。
 自然となかに取り残される形になったマッケナ大尉とミュラー軍曹は親父を手伝って雨戸を閉めると黙々と飯を食い続けた。
 すると雨戸の向こう側のデモ隊から流れてくる音に変化があった。デモ隊が叫んでいたシュプレヒコールは鳴りを潜め、それに変わって悲鳴と怒号が聞こえてきた。
 マッケナ大尉はミュラー軍曹と顔を見合わせてから店の親父に目を向けた。親父はなんでもないかのようにたった二人の客にいった。
「別になんでもない。またいつものようにデモ隊が警察の治安維持部隊に鎮圧されているだけだ。毎日奴らはそんなことをしているんだ。まったくひまなことだ」
 親父はそれだけ言うと店の奥で料理の仕込みに入った。ただ、口ではそういっても気になるのか雨戸のほうを何度も見ていた。
 いつの間にか悲鳴も怒号も聞こえなくなっていた。すると雨戸が外から強引に開けられた。
 店の親父と二人が身構えた時、開けられた隙間からダワフリがぬっと顔を突き出した。
「いやぁ外は大変だったぜ」
 親父は呆れたような顔をしていった。
「馬鹿野郎、雨戸を無理やりこじ開ける奴がいるか。お前が責任を持って雨戸を仕舞えよ」
 ダワフリはぶつくさ言いながら雨戸を一人で片付けていった。その間に親父がダワフリの分の飯を二人がいたテーブルに置いていった。
「デモ隊は検挙されたのか」
 席に着いたダワフリにマッケナ大尉が尋ねた。
「どうかな、全体の三割にも満たないのではないかな。まあそれでも十分な数だがな。もう警察の拘置所は一杯なんじゃないかね」
 興味のなさそうな声でダワフリが言ってから続けた。
「それよりも帝國軍が本格的に進駐してくるって噂は本当らしいな。旦那は知らんかもしれんがエウロペに派遣されてる総大将はかなり乗り気らしい。さっき市庁舎で聞き込んできたんだから間違いないね」
 ミュラー軍曹が怪訝そうな顔でマッケナ大尉をみた。
「いくらなんでも我々よりも先に市庁舎などに話が行くものでしょうか」
「いや、おそらく憶測が飛び交っているだけだろう。だがそれが噂である分たちが悪い。帝國としても正面切ってそれを否定する事はできないし民衆にしてみれば噂も真実に見えるだろう」
「つまりは帝國はいずれここにくるしかないということかい。このままほっとけば間違いなくこの都市は崩壊してしまうからな」
 話に割り込んできたダワフリにマッケナ大尉は頷いた。ダワフリは眉間にしわをよせて言った。
「困ったな。例のテロ組織はまだ温存されているんだろ。帝國軍が今来ても格好の餌食になるだけだぜ。兵隊さんがテロ狩りなんてすることはできないだろうからな」
 マッケナ大尉はゆっくりとダワフリをみた。
「テロリスト狩りか・・・それならばなんとかなるかもしれん」
 ミュラー軍曹とダワフリは顔を見合わせてマッケナ大尉を見つめた。


 飯を食い続けるマッケナ大尉にミュラー軍曹が尋ねた。
「テロリスト狩りとはいいますが我々が現有している戦力はほぼゼロです。戦力の補充も考えづらい状況ですが・・・」
「それにこの国の警察や軍隊は役に立たないぜ。治安維持なんぞ武力だけで間に合うと考えているような単細胞が親玉なんだからあたりまえなんだが」
 ミュラー軍曹に続けてダワフリまでそういってもマッケナ大尉は落ち着いて飯を食い続けた。
 しびれをきらせたダワフリがまた何か言おうとした時、マッケナ大尉は覚めた目をダワフリにむけた。
「別に現有の戦力だけでどうにかするつもりは無いし、この国の勢力を借りる気もない。そんなことをすれば間違いなくテロ組織に、というよりもはラインハート准将に情報が漏れ伝わってしまうだろうからな」
「ではどうするのですか?失礼ですが大尉殿の権限では帝國の正規軍は動員できないと思いますが」
「正規軍ではない。情報部長に依頼してもらって情報局の部隊を借り受ける」
 それを聞くとミュラー軍曹は顔をゆがませた。話についていけないダワフリは首をかしげている。

 情報局とは帝國情報省直轄の機関だった。もちろん軍部の統帥機関である参謀本部と組織上の接点は存在しない。
 だが矛盾する事に情報省の一部局でしかない情報局と参謀本部の情報部はある種の接点が存在した。
 一般に情報局の職務は情報の収集と分析とされている。しかしこの職務の大部分は情報部と重複していた。
 もちろん分野の区分けはされている。それによれば情報局は主に民間や政府機関の情報を、情報部は軍部の情報を収集する事とされていた。
 しかしその区分けに実質上の意味など存在しなかった。準戦時体制ともいえる現在の状況では情報収集という分野では軍部と民間の区別がつかないのだ。
 軍部の兵器開発や生産の動きをたどっていくうちに民間企業を調査する場合もあるし逆に政府機関の不自然な動きを追っているうちに軍部に辿り着く事もあった。
 そして当然のように情報局の現地機関と情報部の下部組織である特務機関が衝突することもあった。
 だからミュラー軍曹にしてみれば情報局に頼るという事態はできることならば回避したいのだろう。
 しかしマッケナ大尉の意思は変わらなかった。
「現在この地方には特務機関が存在しない。さらに東部には共和国の勢力圏を調査する為の機関が存在するがそこから兵を借りる事は不可能といっていいだろう。それならば現地に展開している情報局の部隊を借り受けたほうが圧倒的に早い」
「しかし・・・情報局は我々の要請などを聞くでしょうか?今までの経緯を見ればかなり難しいと思われるのですが」
「それは問題ない。これは帝國の危機なのだから情報局を説き伏せる手段はいくらでもある」
 そういうとマッケナ大尉は不機嫌そうにそっぽを向いた。その時ミュラー軍曹はマッケナ大尉の実家のことを思い出した。
 マッケナ大尉の実家の権力をもってすれば情報局どころか上部機関の情報省さえ動かす事も可能だった。しかし大尉自身は家の力を使う事は気に入らないはずだ。だから不機嫌になったのだろう。
 ミュラー軍曹がふとそれに気が付いて笑みを見えると、ちょうどマッケナ大尉が不機嫌そうな目でにらみつけてきた。慌てて姿勢を正す軍曹にマッケナ大尉がいった。
「そういうことだから軍曹は情報部長宛の通信文を作成するように」
 それだけをいうとマッケナ大尉はさっさと勘定を済ませて足早に飯屋を出て行った。



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