開戦前夜 三話
1
マッケナ大尉は午後の陽光を浴びながら、街角にある茶屋の店先から通りを歩く人々を見つめていた。
そうしていると、とても帝國軍の将校には見えなかった。まるで大尉の存在そのものがその風景と溶け込んでいるかのようだった。
待ち合わせ場所としてダワフリが指定してきたこの茶屋には、大尉が一人で来た時は無愛想な親父が一人で店にいるだけだった。
大尉は親父に茶を注文すると、後は店先に並べられていた長椅子に腰掛け、今そうしているように通りを見る以外にすることが無くなってしまった。
その店の前の通りには人通りが絶えることは無かった。その通りは、この都市の中を縦横に走る幹線道路の一つだった。道幅は大型ゾイドさえ通れるほどの広さだった。
人々は、おもいおもいの格好でそれぞれの方向へと歩いていく。その平和な光景からはとても数日前の喧騒を思い起こす事はできなかった。
大尉はそのときのことを思い出して眉をしかめた。
その騒動が起こったのは、帝國の情報がリークされた次の日だった。前夜のうちに公開された情報に触れた住民が帝國使節団の泊まるホテルへと押しかけたのだ。
数千人規模のデモ集団というのは、この都市の人口が数万人に過ぎないことを考えればかなり大規模なものと考えてよかった。
デモ集団の大半は貿易関係者だった。彼らにとってこれは死活問題だった。
西方大陸での開戦は、中立都市国家としての両国間の貿易を主な産業とするこの都市国家の経済に致命的な損失を与えるからだった。
デモ集団に対して帝國使節団が打つ手は何も無かった。すでにデモ集団の一部は暴徒と化す危険性があったから説得に当たるのは論外だった。
結局そのデモ集団は都市国家の警察部隊が鎮圧に当たり、その日の夕方には沈静化していた。
だが、これは帝國使節団にとって危険極まりない状況だった。いつまでもこの都市の警察部隊が当てに出来るはずもなかった。
彼ら自身もまたこの都市の住民なのだから。だから使節団のうち何人かは帝國正規軍の派遣を口にしていた。
しかし大尉は正規軍部隊派遣に慎重な態度を示した。帝國軍の派遣は新たなるデモの引き金となりかねないからだ。
デモの理由が帝國と共和国との軍事的摩擦にあるのだから、その可能性は高いといえた。
最終的には団長の決断により部隊派遣は見送られた。
だが大尉はこれだけですむとは思っていなかった。このデモもまた開戦を望む勢力の引き金によって発生したと考えていたからだ。
デモの発生を追っていくと不自然な部分があったことがその判断を確固としたものにしていた。
そのことを誰かに伝えるつもりは無かった。大尉にとって使節団になかに完全に信用できる人物はいなかったからだ。
大尉が手足として使えるのはミュラー軍曹だけだった。
大尉が物思いにふけっていると、いつの間にか目の前にダワフリが突っ立っていた。
この前のように愛想のいい顔をしたダワフリは、顔見知りらしい店の親父に茶と軽食を注文した。
大尉もそれにつられて、いつの間にか冷めていた茶を飲み干すともう一杯を注文した。
「随分おもしろいことがわかったぜ」
前振りなしでダワフリは大尉に話しかけた。大尉は慌ててダワフリの顔を見た。
ダワフリはそれほど大きい声でしゃべっているわけではなかったから、通りを歩く人々に聞かれる心配は無いだろうが、店の親父には聞こえてしまうはずだった。
大尉は最初この茶屋からどこかへ移動するものだと思っていた。スパイが情報を伝達するにはあまりにもずさんな場所だった。
だが、大尉が気まずそうな顔で親父の顔を見ると、親父はわざとらしく顔を背けた。いささか迷惑そうな顔だったが、客の会話は聞かない振りをしていた。
「安心していい。この親父は信頼できる」
ダワフリは笑みを浮かべながらいった。だが、親父はそれを聞いてさらに仏頂面になった。
2
笑みを浮かべるダワフリを横目で見ながらマッケナ大尉は質問した。
「で、面白い事とは何なんだ」
親父が仏頂面のまま突き出した飯を食いながら、ダワフリはようやく真剣な顔になって説明を始めた。
「この国、というよりもはこの地帯にある主要な勢力は何かわかっているか?」
再確認するように言うダワフリに、通りに向き直った大尉が答えた。
「まずこの国家の主席や主要閣僚を輩出しているエウロペ人の豪族、次に最近勢力を伸ばしつつある帝國や共和国からの移民者」
「この移民者というのは、数は少なくともほとんどがゾイドの整備や運用などの特殊技能の持ち主だからその影響力は無視できないものだ」
大尉は軽く頷くと続けた。
「後は中流層以下を形成するエウロペ人の市民階層・・・残りはゼネバス系か」
最後は大尉は苦々しい顔でいった。
「そう忘れてはいけないのがゼネバス系だ。エウロペ人に比べれば少ないが、共和国や帝國からの最近の移民者よりもはずっと数は多い。
数よりもこの勢力は同胞同士の結び付きが強いのが特徴ではあるがな」
「ゼネバス系はこの大陸北方地方よりも南方地方が主な居住地であるはずだが」
ダワフリの説明に割り込んで大尉はたずねた。
先の大戦で消滅したゼネバス帝国の一般国民はヘリック共和国に吸収され、その軍隊はガイロス帝國に吸収されていたが、決して少ない数の民が他国の干渉を嫌って西方大陸に移住していた。
だが、その移住先は中央大陸と比較的環境が近い西方大陸の南方地方がほとんどだった。
南方地方への移住には共和国と帝國から遠く離れているため、両国の影響力が薄いという事も無視できない要因となっていた。
しかしダワフリはそんな大尉の考えをあっさりとくつがえした。
「そうでもない、最近になって南方地方に両国からの移民者が増えてきてるもんだからゼネバス人は段々と居住地を北に押し上げられているらしい。
気が早い奴は何十年も前からこの辺にも住み始めてるんじゃないかな」
大尉は眉をしかめながらそれを聞いていた。ゼネバス人の居住地の変化については情報部では十分な分析をしたことは無かった。
彼らにとっては、ゼネバス人はあくまでも国内の不穏分子の母体という認識しかなかった。
大尉は話を聞きながら西方大陸におけるゼネバス人の研究を進めなければならないと考え始めていた。
「それで、それが面白い事なのか。確かにゼネバス人のことは詳しく調査しなければならないだろうな」
大尉は話を一段落させ飯を食うのに専念しているダワフリにいった。
「いや、もっと重要な話だ」
ダワフリは食い終えた食器を親父に手渡しながら答えた。何となく大尉はダワフリが勿体をつけているように聞こえた。
「実はこの地方で最大規模の犯罪組織ってのはゼネバス系なんだよ」
今度は食後の茶をすすりながらダワフリがいった。大尉は黙ったまま先をうながした。
「こないだの騒動の時、その犯罪組織がずいぶん動いていたらしいぜ。それにそこのボスはガイロス人が個人的に嫌いらしいぜ」
大尉は苦笑しながらダワフリにいった。
「いくらなんでも個人的な感情で開戦を望むようなものはおらんだろう。
そもそも戦争になればそんな組織は真っ先に帝國の手によって摘発されてしまう可能性もあるのではないかな」
だが、ダワフリは自身ありげな顔でそれに答えた。
「それだけじゃないんだ。その犯罪組織と敵対している組織の財源はほとんどが緩衝地帯を通っての密貿易らしい。
だから戦争になって密貿易自体が難しくなれば敵対組織は財政的に破綻する。それだけでも十分利益があることだと思うがな」
いつの間にか周囲は薄暗くなっていた。通りを歩く人々も心なしか家路を急ごうと足早になっているようだ。
それに砂漠地帯ゆえに夜間の温度が極端に低いこの辺りでは、夕方のいまごろは急激に温度が下がる頃だった。
大尉は薄ら寒いものを感じていた。
3
マッケナ大尉はどこか不自然なものをダワフリの説明から感じていた。
いくら敵対組織が邪魔だからといってこんな手の込んだ謀略を使ってまで潰そうとするものだろうか。
それに大尉に通信を送ってきた相手の事も気になっていた。この騒乱を引き起こそうとしたものと通信相手は同一組織と考えるのが自然だった。
しかしただの犯罪組織にあれだけの情報処理能力がそなわっているとは考えづらかった。
いつのまにかまたすっかり冷めてしまった茶を一気に飲み干すと大尉はダワフリに向き直っていった。
「まだ確定できるほどの情報は無いな。もうすこし調べておいてくれないか。金は指定の口座に振り込ませる」
ダワフリは自分の情報がそれほど評価されていないと感じたのか、少し不満そうな顔でそれに頷いた。
大尉はそれを確認すると親父に勘定を支払って店を出て、すっかり暗くなった通りを宿泊先のホテルへと歩き出した。
その男は大尉が立ち去ってすぐにそれを追う様にして歩き出した。
ダワフリはその様子を不思議そうに見つめた。男はダワフリから目に付かないようなところを選んでいるような感じがした。
最初は大尉の護衛か監視を代表団の誰かが密かに行なっているのかと思ったが、そういう雰囲気ではなかった。
ダワフリは慎重にその男の尾行を開始した。ひょっとするとどこか他の組織が尾行しているのかもしれない。
たとえばこの国の情報局が代表団の動きに目を光らせているのかもしれない。
そのことを報告すれば大尉から追加の報酬でも出るかもしれない。ダワフリは現金な事を考えながら尾行を続けた。
大尉は飯屋を出てからすぐに尾行の存在に気が付いていた。だが、ダワフリとは違って大尉はその気配に剣呑なものを感じていた。
ただの尾行や監視以上の視線の鋭さを感じたのだ。
ということは尾行者は少なくとも帝國代表団の身内によるものではないだろう。どの派閥にとっても大尉の存在が邪魔になる事はあっても、積極的に抹殺するリスクは感じているだろう。
だということは尾行相手は例の通信相手なのかもしれない。ならばホテルまで尾行者を引き連れていくのはまずいだろうか。
どこかで尾行をまいていくか。大尉はそう考えていた。
だから狭い路地で前から近づいてくる男に注意が行き届かなかった。
気が付いたときはすでにその男の手に握られていたナイフが大尉に迫っていた。
あわてて体を倒すようにして避けた大尉の目前をナイフが一閃する。こういうことに慣れていない大尉はその拍子に後ろから転んでしまった。
それをみた男がさらにナイフを突き出そうとする。大尉はすんでの所で横へ回転してその攻撃をかわした。
しかし、その横回転でさらに大尉の姿勢は崩れてしまった。
ナイフの男は薄ら笑いを浮かべながらナイフを振りかざした。
大尉は慌てながら腰のホルスターから護身拳銃を抜き出そうとしていた。
その時後の方から男が駆けてきた。ナイフの男は一瞬驚愕したように後ろを振り返ったが、男達は仲間らしくお互いに笑みを浮かべた。
大尉はその隙に護身拳銃を抜いてナイフの男に向けて発砲した。
しかし拳銃弾は男の肩をかすっただけで、その後の壁に突き刺さった。
ナイフの男は自分の流血を見て逆上したようだった。
怒りに任せたような表情で、勢いよく大尉の肩口を蹴り倒した。その衝撃で護身拳銃は吹き飛ばされてしまった。
尾行していた方の男はそれを見て苦笑しながらいった。
「手早く済ませよう。ちゃんと止めをさせよ」
それで男達が大尉を殺害しようとしている事がわかったが、もう大尉には打つ手は残されていなかった。
じりじりとにじり寄ってくるナイフの男を大尉は睨み付けていた。
その時、路地に拳銃弾の発射音が再び鳴り響いた。
大尉とナイフの男が驚いて振り返ると、尾行していた男が倒れこむところだった。その頭部から血が流れている事に二人とも気が付いた。
倒れこむ男の向こうには蒼白な顔をして小型の拳銃を構えたダワフリが立っていた。
そこまで確認すると、大尉はさっき飛ばされた拳銃に手を伸ばした。ナイフの男がそれに気が付いて振り返る前に、発砲していた。
今度は確かな手ごたえを感じていた。至近距離で発砲した拳銃弾は男の腹部に命中していた。
大尉はそれに安心せずに撃ち続けた。弾倉が空になって遊底が開放位置で固定されてようやく男を観察する余裕ができた。
だが、ナイフの男はすでに倒れこんで微動もしなかった。確かめるまでも無く死んでいた。
4
マッケナ大尉はため息をつきながらホテルの部屋から階下を見下ろした。
そこでは毎日のように押し寄せてくる戦争反対デモが都市国家の警察部隊に阻止されているのが見えた。
大尉が正体不明の男を射殺してから3日が過ぎていた。
あれからすぐダワフリは姿を隠していた。大尉はそのせいで警察機構の厳しい尋問にさらされることになった。
結局、代表団による抗議によって大尉の行為は正当防衛ということとで決着がついた。
それが昨日のことだ。大尉は疲れきってそれから今日まで眠りこけていたのだ。
今も若干寝ぼけているのか階下の騒ぎがまるで別世界のように思えた。
だから、ミュラー軍曹が室内に入ってきた事にも気が付かなかった。
「大尉殿。都市国家防衛軍、戦略情報局局長ラインハート准将殿が大尉殿と面会したいと先程お見えになりました」
大尉はその声で慌てて振り返った。
「ラインハート准将が?代表団に何の用なのかな?」
ミュラー軍曹があきれたような顔でいった。
「そうではなくて、大尉殿個人への訪問であるとのことです」
それを聞いて大尉は首をかしげた。
「はて、私に何の用なのかな・・・」
「すでに下のロビーでお待ちですので直接准将殿に聞かれてはどうですか」
あきれながら言うミュラー軍曹を大尉は不思議そうな顔で見ていた。
大尉がロビーへ降りていくと、副官らしい若い士官を一人だけ連れたラインハート准将が長椅子に座っていた。
エレベータから大尉が降り立つと、それに気が付いた准将は立ち上がって大尉の方に近づいてきた
。
「お久しぶりですな大尉。何でも殺人事件に巻き込まれたとか・・・」
いつものように愛想の良い笑顔で言う准将に、大尉は思わず口ごもった。
その件についてはすでに警察機構で何度も説明している。そう事務的に伝えると、准将はふとまじめな顔になっていった。
「別に我々はもう一度大尉に事情聴取を行なおうというのではありません・・・すこしばかりお時間をいただけますかな?大尉にお聞き願いたいことがありましてな」
別に断る理由も無いので大尉はうなずいた。
「ではここのレストランに行きましょう。ここで出す肉料理は旨いですぞ」
再び笑みを見せ冗談か何かを話すような口調に戻った准将はいった。それを聞きながら大尉は軽い頭痛を覚えていた。
レストランに入ると准将は慣れた様子で軽食を頼んだ。注文を取ったウェイターは大尉に視線を向けてきたが、大尉は眉をしかめてメニューを見た。
西方大陸暮らしが長い大尉ではあったが、食事はほとんど下町でとることにしている。
その方が費用が安上がりだし、量も豊富だ。それに大尉にとっては庶民の傾向を探る機会でもある。
だが、その分こういうレストランで出されるメニューを見ても何の料理なのかさっぱりわからなかった。
大尉はため息をつくと、あきらめて准将と同じものを頼んだ。准将の副官はレストランの入り口近くの席で客の様子をうかがっていた。
その向こう、入り口前の長椅子にはさりげない様子でミュラー軍曹が様子をうかがっている。
大尉はその様子に安心して料理を待っている准将にいった。
「それで、自分に何の用でありましょうか」
「ふむ、大尉殿はせっかちですな。苦労しますぞ、そんなようすでは」
軽く返しながら准将がいった。しかし准将も話す気になったのか大尉に向き直っていった。
「大尉を襲った襲撃犯ですが、警察はまだ特定していないそうですな」
「今のところはそうらしいですが。少なくとも自分は聞いておりませんな」
准将は周囲を見回してから顔を大尉の方に近づけてきた。
「これは他言無用に願いますが、戦略情報局では犯人をほぼ特定しております」
大尉はそれを聞いて意外そうな顔で見返した。いくらなんでも数日しかたっていないのに犯人の特定が出来るとは思っていなかったからだ。
首をかしげながら大尉はたずねた。
「失礼ですが特定したとはどういうことですかな。犯人は二人とも死亡していたはずだが・・・」
「ええ、実行犯は二人とも大尉が射殺しています。そうではなく、我々は以前から実行犯の二人をマークしていたのです」
眉をしかめながら准将がいった。大尉は呆気にとられてつぶやいた。
「事前からマークしていた・・・では彼らは何者なのですか」
「彼らはおそらくこの一帯に影響力を持つゼネバス人系の犯罪組織の一員だったようです。それが何故大尉をねらったのかはわかりませんが・・・
とりあえず、死亡した犯人を検認した戦略情報局のスタッフが確認しております」
「なるほど・・・それで何故私にその話を?」
「ええ、大尉ならば狙われる理由を知っているのかと思いまして、彼らは戦略情報局にとっても要注意組織なので・・・」
「さて・・・警察にも話しましたが理由など思いつきませんな。その組織は帝國嫌いだとか聞きましたが」
何食わぬ顔をして大尉は二人分の料理を運んでくるウェイターを見つめた。料理からは湯気が上がっている。
大尉には実行犯が狙った理由が何となくわかっていた。この都市を調べまわる大尉の存在が邪魔なのだ。
その事は准将に言うつもりは無かった。話せば通信文を説明しなければならなくなるからだ。
――だが本当に犯罪組織が私を狙ったのだろうか
大尉は何食わぬ顔で食事を続けながら考え続けていた。
5
その男がマッケナ大尉の前に現れたのは都市国家市民によるデモが二週間目に入った日だった。
その日大尉が代表団の会議から帰って自室に戻ると、いつもと違う感覚に襲われた。
暗い部屋の中に人の気配があったのだ。
大尉は黙って懐から拳銃を抜き出して構えた。襲撃からずっと室内でも拳銃を携帯することにしていた。
それも、弾丸威力に劣る小型の護身拳銃ではなく、ミュラー軍曹から借りている大型の拳銃を用いている。
その銃はありふれているものではあったが、その分信頼性は高い。
部屋に潜んでいるものは、大尉が拳銃を抜いた事で動揺したのか急に気配を濃くした。
そして男の低い声が聞こえた。
「最初に伝えておく。我々にはマッケナ大尉に危害を加える意思は無い。部屋に忍び込むという強硬手段をとったのは、極秘に大尉と接触する必要があったからだと認識してもらいたい」
「すまないが、名無しの誰かにルームサービスを頼んだ事は無いな。どこの誰だか知らんが名乗った上で堂々と玄関から入ってきてはどうかな」
大尉は突き放すように男にいった。ここで男が正体を明かすまでは話を続けるつもりは無かった。
男の気配はしばらく迷っているように沈黙した。大尉が沈黙に耐えかねて口を開こうとした時に男が再びしゃべりだした。
「私はゼネバス人による共済組織に所属している。巷では犯罪組織として認識されているようだが、我々はもともと同胞を支援する目的で組織された」
大尉は驚きを隠せなかったが、頭のどこかでは納得もしていた。ゼネバス人犯罪組織が襲撃をおこなっていないとすれば、そのうち接触してくるだろうと思っていたからだ。
誤解を大尉が抱いたままだと、ゼネバス人犯罪組織そのものが帝國から敵視されてしまうからだ。
市井の民間人ならともかく、多少なりとも裏事情に通じたものにとってはガイロス帝國軍による西方大陸侵攻は周知の事実だった。
だからいまから保身のためにどの組織も帝國とは通じておきたいはずだ。
「それで、その組織が一軍人でしかない私に何の用かな」
「自分を卑下するのはやめたほうが良い。大尉は外交部門とも深いパイプを持っていると聞く。
それにこの都市国家と周辺地域を大局的な視線から観察する事が出来る帝國軍士官は大尉だけだといえる」
「それこそ買いかぶりというものだ。帝國にはわたしよりもよっぽど鑑識眼に優れているものがいる」
少し照れながら大尉は答えた。暗くてその男のしぐさが判るはずも無いのに、男が苦笑しているような気がしていた。
「なるほど、大尉よりも鑑識眼にすぐれているものがいるかもしれない。しかしこの地方に注目し、詳細を知っているのは大尉だけだ。その事には疑いの余地はあるまい。
そのうえで大尉に知らせておきたい事がある」
さらに続けようとした男に大尉はいった。
「その前に部屋の明かりをつけてもいいか。こう暗くては転びそうだ」
男の顔を確認するためにいったのだが、拒否される事も半ば予想していた。ただ、相手のペースに巻き込まれるのが嫌で牽制したというだけだ。
だが男は意外にもしばらく沈黙した後でいった。
「わかった、明かりだけならつけても良い」
驚きながら大尉は部屋の電灯のスイッチを入れた。
部屋の中が明るくなると、部屋の中央に置かれたいすに座ってまぶしそうに手で電灯を隠している初老の男がいた。
戻る 次へ