開戦前夜 一話




 ZAC2098年という年は、変革の年だという言い方ができただろう。
 もしくは、その後の戦争の予兆の年だということも言えたかもしれない。

 最初の予兆は、前年に死亡したガイロス帝の崩御に伴う外向けの各種の式典、つまりは死去した皇帝の葬式や新皇帝の帝国議会の承認などへの公式の参加を共和国が表明したときに始まっていた。
 両国に対し中立を表明していた西方大陸の国家を通して帝国に送られたこの外交文書は、共和国の和平案ともいえる重みを持っていた。
 共和国としては、90年代になって再発する勢いだった両国間の軍事衝突の懸念を払拭する最後の機会であったはずだ。
 両国間の軍事衝突は、共和国側では軍事問題というよりもは経済問題であると考えられていた。

 西方大陸に存在した国家郡のなかで厳正に中立を保っていた国家は極めてまれだった。
 ほとんどの国家は、帝国か共和国のどちらかに程度の差こそあるものの国策として依存していた。
 それは軍事面での相互防衛保障条約という形の時もあるし、通商条約という形の場合もあった。
 ようするに、大国の力を借りて周囲の国家との各種の外交問題を有利に進めようとしていたのだ。
 だが、帝国と共和国の勢力圏の外縁部の国家にとってはそれほどのんびりとした状況ではなかった。
 そこには小規模な紛争の危険が常に存在していた。しかも、その小規模紛争が外縁部の国家を支援する帝国と共和国との全面戦争となる可能性も否定は出来なかった。
 それを肯定するように、常に小規模紛争の危機があるときは、両国の駐屯地にかなりの動きが見られた。
 両国とも西方大陸に派遣する戦力は小規模なものだったが、それが大きく増援される可能性は誰も否定できなかった。

 しかし、共和国にとってはこれは容認できる現状ではなかった。
 その国力を大異変からの復興にあてていた共和国は、国軍の戦力は帝国軍に大きく劣っていた。
 共和国軍も無為無策であったわけではなく、下士官の比率の向上や士官教育の充実化などによって大規模な動員を可能とする体制を作り上げようとしていた。
 共和国軍にとっては、少なくともこの体制が整うまでは帝国軍と開戦することは容認できる事態ではなかった。

 それを理解していた帝国では、共和国の外交文書を実質上無視した。正確にいえば、外務大臣級の参列を表明した共和国に対し、帝国側は、外務当局の部課長クラスの参列を許したに過ぎなかった。
 それに対し、帝国よりの西方大陸国家には、国家主席か、少なくとも大臣級の参列を要請していたから、共和国に対して何らかの意図を持っているのは明白だった。
 共和国側では、これに対し公式な見解は表明しなかったものの、帝国の開戦への意志を感じ取ったのは間違いなかった。
 だが、共和国では、いまだに帝国が開戦にいたるかどうかの確信は持ちあわせていなかった。

 ZAC2098年の秋、両国は北西方大陸の都市国家において懸案となっている紛争地帯の問題を話し合う会議を行なう事となった。
 共和国はこれに最後の和平交渉を期待し、帝国でも、西方大陸侵攻へ向けた軍の再編成への時間稼ぎを期待していた。


 夢を見ていたようだ。マッケナ大尉は、自分が見ていた夢の内容が思い出せないことに少しいらだちながら目を開けた。周囲では、大尉と同じような制服を着た軍人やスーツを着た官僚達が寝ているか、もしくは席に備え付けられている端末で何か作業をしている。
 西方大陸にここまで大規模な使節団が派遣されるのは久しぶりだから、派遣される人員のほとんどが西方大陸を訪れるのは初めてだった。それで端末で西方大陸の現況を再確認するものが多いのだろう。

 だが、使節団用に人員と各種レセプション機材を輸送するために改造されたホエールカイザーには、あまり余剰スペースは無かった。
 大尉のような比較的階級の低い士官から、大使級の人員まで同じ部屋で輸送されているのがその証拠だ。
 だから、席一つ一つには十分な余裕があるものの、全体としてはさほど余裕の無い部屋には、官僚達が端末を操作する音が低く響いていた。
 その音のせいでもう一度寝る気が失せた大尉は、寝る直前まで行なっていた作業を再開することにした。

 その前に窓から外を見た。高度7000メートルを維持して飛ぶホエールカイザーの窓からは、霧がひどくて下に広がるアンダー海を見ることは出来なかった。
 北方大陸から西方大陸に向かうにつれて透明度が増していく海を見たかったのだが、海自体を見ることが出来ないのでは透明度の確認などできない。
 軽く失望して大尉は端末に向き直った。
 端末には西方大陸北部の都市国家の詳細なデータが表示されている。
 ガイロス帝国陸軍参謀本部において、西方大陸の国家の情報評価を任務とする情報部三課に所属する大尉には、共和国との開戦前に、都市国家内部につくられた情報網の組織化が命令されていた。
 西方大陸に派遣される使節団に同行しているのは、その裏の任務を偽装するためだった。

 もっとも派遣される官僚達の大半がこの事実を知っている。ようするに公然の秘密だった。
 大尉の一族は著名な外交官一家であり、祖父の代には西方大陸の国家との長年の外交に従事した事を称えて貴族の一員となっていた。
 古くから軍事に重点を置いているガイロス帝国においては、これは名誉あることだった。古参の大貴族であっても、外交に長けたマッケナ家には一目置いていた。
 だが、家族全員がほぼ外交官というマッケナ家において、末弟であるマッケナ大尉のみは軍人を職業として選んでいた。
 彼にとってみれば、帝国においては外交官は、あくまでも主流にはなれない。それは帝国が軍事国家として発展してきたからだった。
 だから軍人としての道を歩んできたのだが、大尉に外交一族という、ある意味において閉鎖された一族の関係から逃れたいという思いがあったことは否定できない。
 そうだとすれば、今の大尉の状況は不本意なものであるはずだ。参謀本部内において、大尉を純粋な軍人だとみなしている参謀は少ない。
 大半の参謀達は、大尉を外交部門とのパイプ役だと認識していた。意思疎通が途絶えがちな外交部門との連絡手段としては大尉は貴重な存在だった。
 外交部門、すなわち大尉の一族の側でも、参謀本部との意思疎通手段としての大尉の存在は便利なものだった。
 だが、そこに大尉の意思が入る余地は無かった。
 大尉にとっては不本意なことに、軍人としての道を歩もうとしていたのにもかかわらず、純粋な軍人として身を立てることは出来なかった。
 大尉が隊付き士官であった時期はきわめて短かった。異例なことにすぐに情報部門にまわされていた。そこでの仕事も、半ばお飾りのようなものであり、主要な仕事が外交部門との連絡役である事は明白だった。
 誰にも言うことは無かったが、大尉は心の内では戦闘部隊への配置を願っていた。

 端末に向かっていた大尉がふと顔を上げると、周囲の官僚達が荷物をまとめようとしていた。
 それと同時に下向きの加速度を感じる。いつの間にかホエールカイザーは目的地である中立都市国家に到着したようだった。
 大尉は素早く荷物をまとめると下船の用意をした。大尉の思惑とは違うのかもしれないが、大尉が戦うべき戦場が待っていた。


 ホエールカイザーから下船したマッケナ大尉は、まず西方大陸の暑さに圧倒されていた。
 この中立都市は、海に近いところにあったから風が強く、まださほど暑さを感じる事は無いといわれているのだが、北方大陸から来た大尉たちにとっては、とても暑いことに変わりは無かった。
 共和国との会議は数ヶ月かかることが予想されていた。両国の主張は平行線をたどっていたからだ。
 ともに、会議の結果を本国に打電し、本国からの訓示をもとに相手国への主張を練り直す。この過程何度も繰り返されるものと予想されていた。
 だから、帝国の使節団はこれから数ヶ月間はこの暑さに悩まされる事になる。そのことに気が付いた団員たちはけだるそうな表情を浮かべていた。
 そのなかで、マッケナ大尉だけがいつもと変わらない顔をしている。
 大尉は、親の外交官という仕事上、帝国を離れる生活が長かった。そのなかには、西方大陸南部の都市国家での生活もあったから、当然他の団員たちよりも西方大陸の暑さに離れていた。
 そんな大尉を、うらやましそうな表情で同僚の随行武官が見ていた。
 それを尻目に、大尉はきょろきょろと周囲を観察していた。

 ホエールカイザーが着陸したのは、都市国家の空港の外れだった。
 この国家の軍所属のゾイド部隊が近づいているのが見えた。ゾイド部隊は、このあたりでは珍しくも無いゴドスで編成されていた。だが、ところどころにイグアンの部品が使用されているのが見えた。
 ようするに、純粋な交換部品が手に入りづらいということなのだろう。
 そのゾイド部隊と一緒に、政府高官らしい一団が近づいてくるのが見えた。背後には彼らを輸送してきたらしい中型の車輌が待機している。
 一団は、使節団のところまで歩いてくると、丁重に使節団の団長達にあいさつをはじめた。
 大尉はそれを見ると、一歩離れた位置に移動した。この都市にも子供時代住んでいた事があり、父親の仕事の関係で政府高官とも面識があった。
 知人と会うと面倒くさいから、大尉は団員たちのかげに隠れた。それに、参謀本部からの情報網の組織化という命令を遂行するためには目立たない方がよかった。
 だが、団員の影に隠れていた大尉に近づいてきた男がいた。男は、この都市国家の軍の士官用制服を着用していた。
 それに、何が面白いのか満面の笑みを浮かべていた。大尉には、それはとても愛想笑いには見えなかった。
 男は大尉に近づくと敬礼しながらいった。
「都市国家防衛軍、戦略情報局のラインハート准将です。ガイロス帝国陸軍参謀本部二部三課のマッケナ大尉ですな」
 大尉は驚きながら返礼した。本来なら大尉の方が先に敬礼をするべきなのだが、大尉は気勢をそがれていた。

 この都市国家の防衛軍は、将官クラスの層が薄かった。具体的に言えば、将官として数えられるのは准将と将軍のふたつしかない。
 これは、防衛軍の規模自体が小さいためだった。つまり、将官が大量に必要になるほど組織が分化されていないのだ。
 だが、これは西方大陸国家の軍隊としてはむしろ大きな部類に属していた。
 西方大陸国家の大半が都市の防衛を傭兵部隊に委託しており、防衛軍は傭兵の雇用組織か小規模な治安維持戦力のみという国家が普通だった。
 傭兵という職業戦士たちは、この惑星Ziにおいては西方大陸に大半が存在していた。
 賞金稼ぎのような荒事を専門とするものはどの大陸にもいたが、組織として戦闘を生業とする傭兵部隊という存在は、軍隊がまだ曖昧な組織であり続ける西方大陸独自のものだった。
 ひとくちに傭兵といっても、なかば特定の都市国家の軍隊化した大規模なものから、山賊と大して変わらないものまで千差万別だった。

 そのなかで、この都市国家が独自の戦力を保有する事が出来たのは、この都市国家が帝国と共和国の勢力が均衡する場所に存在したからだ。
 この国家は、表向き対立しあっているため貿易がしづらい帝国と共和国の間の貿易を行なうことで国家規模を拡大していった。
 だが、いくら独自の戦力を保有するとはいっても、帝国軍の編成で一個師団あるかないかという規模の軍でしかない。
 そのなかで准将の階級を得るのは並大抵の事ではなかった。
 ラインハート准将はどう見ても40代だったから、これは相当なエリートであると考えてよかった。
 だが准将は、そんな事を感じさせないような穏やかな笑みを浮かべていた。


 ガイロス帝国とヘリック共和国の間で開かれている会議は、開始から一ヶ月近くたっているが進展は無かった。
 マッケナ大尉は、数日前に開かれた何度目かの予備交渉のことを思い出していた。
 その交渉は、予備とはいいつつも実際は本会議と何一つ変わる事は無かった。
 参加者は双方とも軍部の代弁者だったからだ。建前ではこの会議は通商交渉ということになっているから、むしろ予備交渉である軍事会議の方が重要であるともいえる。
 いってみれば、本会議である通商交渉そのものが世論へのダミーであり、実際に重要視されているのは、最近多発している紛争問題を話し合う予備交渉なのだった。
 カモフラージュのために通商交渉の方にも大使級の文官をあてて使節団団長としているが、実際に指揮権を有しているのは予備交渉に出る参謀本部勤務の将官だった。

   その予備交渉では、会議の開始から一ヶ月近くたった今でも両国の歩み寄りは見られなかった。
 そもそも、実際に交渉に当たる使節団にそれだけの権限は無かった。両国ともに、会議の結果を本国に転送して指示が出される事になっているのだが、それが実際に会議にフィードバックされるのには時間がかかっていた。
 本国から回答が戻ってくるのにおそろしく時間がかかったからだ。
 マッケナ大尉は、本国である北方大陸と西方大陸との間の物理的、精神的距離を感じずにはいられなかった。

 大尉たちが会議が行なわれている特設会場からホテルに戻ると、ロビーにラインハート准将が待っていた。
 ラインハート准将は、あれから事あるごとに帝国軍の将校たちに会いに来ていた。
 准将は、いつもくだらない話をして帰っていった。自分の武勇談を話す時もあるし、北方大陸と中央大陸や西方大陸の食事習慣の違いを話す時もあった。
 若手の士官たちは、最初の頃こそ会議とは関係の無い話しかしない准将を敬遠していたが、しだいに博識で話し上手な准将に引かれていくようだった。
 今日も、笑みを浮かべながら会釈をする准将の周りに若手の士官たちが近づいていく。
 彼らの上官は、それを苦笑いしながら見ている。准将の人格は、彼らから見ても非常に魅力のあふれるものだった。
 上官にしてみれば、若手の士官たちには自分達とは違う環境の軍人をみることがよい勉強にもなるだろうと考えているようだった。
 だが、マッケナ大尉は准将にどこかきな臭さを感じていた。准将は情報畑の人間である。くだらない話の中からでも帝国の情報を入手するだろう。
 もっとも、若手士官もそれぐらいは承知していることだろう。でなければ彼らの上官が止めている。
 それに、都市国家の防衛軍に所属する准将にとって帝国軍士官をもてなし、彼らの安全を確保するのは任務でもある。
 今も密かにこのホテルを防衛軍戦略情報局の部隊が守備しているのは間違いなかった。
 しかし、マッケナ大尉は、准将の態度がその任務ゆえのものなのか計り兼ねていた。

 その日、マッケナ大尉が部屋に戻ると、端末に通信が届いていた。時間指定の通信の内容を見た大尉は眉をしかめた。
 そこには、共和国の軍事情報が記載されていた。


 マッケナ大尉は、最初にその通信の履歴を探り出そうとした。しかし、わかったのは通信を送った場所はこの都市内らしいという事だけだった。
 都市国家としては規模の大きいこの都市では、通信を送れる場所は決して少なくない。だから、それだけの情報から送り先を特定する事は難しかった。
 通信の本文は、単なる数字の羅列に等しかったから、文章の書き方から送り主を特定する事も出来ない。
 マッケナ大尉は頭を抱えながら本文の内容を確認していった。

 だが読み進めていくうちに、マッケナ大尉は次第に内容にのめり込んでいった。
 その内容はそれだけ興味深いものだった。
 そこには、共和国軍の動員体制が記してあった。それは、兵員の数だけではなく、現在の充足率と近い将来の推移や兵員が使用すべき兵器の量産体制にまで踏みこんだ詳細なものだった。
 それを見ながらマッケナ大尉は首を傾げた。それは、単なる一次情報ではなく、かなり熟練した情報分析官によって加工された情報だった。
 これだけの情報の加工が可能な組織は限られているはずだった。
 最後まで見終わると、マッケナ大尉は何重にも暗号をかけて本国へ送った。一瞬迷ったが、マッケナ大尉自身の所感は追記せずに、情報を入手した経過だけを送った。

 それが終わると、通信文の内容をもう一度確認した。
 マッケナ大尉は、この通信の内容を疑っていた。この通信では、共和国軍が本格的な予備役動員に踏み切ってから、共和国全体の国家総動員体制が整うまでの時間がずいぶんと短かった。
 もちろん、いままでの帝国陸軍参謀本部の見解と比べてであって、不自然なほどではない。
 その理由としては、この通信では共和国軍の下士官の比率を挙げていた。現在の共和国軍は下士官の層を厚くしようと躍起になっていた。
 これは、いざという時に兵員数を大幅に増やすためである。
 つまり、教育に時間のかかる下士官を平時に十分な数確保しておき、いざという時は短時間で教育の完了する兵隊を大量に動員するというものだった。

 参謀本部の見解と通信の違いは、下士官の増員が終わるまでの時間だった。通信の方は、参謀本部の見解と比べて数ヶ月早かった。
 だが、これが帝国首脳陣に開戦を思いとどませる事は無いだろうとマッケナ大尉は考えていた。
 むしろ、これは参謀本部の作戦を早まらせる結果にしかならないだろう。
 このような動員体制が共和国軍で確立してしまえば、絶対的な国力で負けている帝国が戦争で勝利する確率が大幅に低下するからだ。
 だから、参謀本部はこの動員体制が整う前に共和国軍を撃破しようと考えるだろう。
 そこまで考えてマッケナ大尉は冷や汗を感じた。
 ひょっとするとこの通信の送り主は両国を戦わせたいのかもしれない。そう感じたからだった。



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