水陸両用自動貨車スキ車




スキ車


<要目>
重量6.7トン、全長7.8m、エンジン出力90hp 乗員2名、装甲、なし、武装、なし、最高速度80km/h

 1930年代、急速な機械化を進める日本陸軍は、シベリアーロシア帝国とソビエト連邦の実質上の国境となっていたバイカル湖北岸周辺での行動を前提とした水陸両用車両の開発を進めていた。
 シベリア鉄道などのインフラ網の発達していた南岸と違って湿地帯の広がる北岸付近は人口密度も低く、赤軍に突破された場合は奥地にまで侵入されることを警戒するとともに、日本軍側でも両陣営によってシベリア鉄道にそって十重二十重と築かれた陣地群を迂回して直接イルクーツクを突くことも考えられた。
 こうして陸軍及び水上行動に長けた海軍との共同開発でいくつかの水陸両用車両が開発されたが、かつての騎兵科が運用する偵察車両として九五式軽戦車に浮揚能力を付加させたと言っても良い九九式水陸両用戦車に続いて、装甲や武装はないが、代わりに歩兵や物資の移送に使用される水陸両用の自動貨車が開発された。

 当初より履帯式の九九式水陸両用戦車に随伴して行動するのを前提としたために、制式採用される前の開発時の名称であるスキ車と呼ばれたこの水陸両用の自動貨車は不整地走行能力を確保するために六輪全軸駆動かつこの種の車両としては大出力のエンジンを搭載しており、水上航行用として車体後部にはスクリューを備えていた。
 制式化された六輪式の自動貨車を原型とはしているものの、車体は水上走行のために舟型となっており、最大で毎時十キロ程度で航行出来た。

 スキ車は本来は湿地帯を通過するための渡河能力だったが、根拠地より距離のあるバイカル湖北岸方面での長時間の行動を想定していたため航続距離は長く、揚陸戦機材として運用されることも多かった。
 ただしスキ車は兵装も装甲もないため、水陸両用車としては安価で生産数も多かったが、第二次欧州大戦時には枢軸軍の上陸阻止の砲撃に巻き込まれることあり損耗数も少なくなかった。


 


戻る
inserted by FC2 system