伊101潜水艦





<要目>
排水量 2,100/2,600t(水上/水中)   全長 82m  出力 6,300/6,000馬力(水上/水中)
最大速度 18/17.5ノット(水上/水中)  乗員 75名

兵装
53.3cm魚雷発射管 6門

 第二次欧州大戦開戦前、日本海軍の大型潜水艦整備は長距離偵察、通商破壊戦に使用する巡洋潜水艦と主力艦に随伴する艦隊型潜水艦、海大型の二系統に分かれていた。だが、列強各国の新鋭戦艦の高速化が実現していくと、主力艦に随伴する艦隊型潜水艦の実用性が疑われたことから、大型潜水艦は巡洋潜水艦が主流となる一方で、艦隊型潜水艦は有事の際に急速造艦が可能な中型潜水艦である海中型を当てるという方針に改められていた。
 この方針に従って量産試作とも言える呂33型に続いてその改良型である呂35型が戦時中に建造されていた。呂35型潜は地中海戦線における偵察や通商破壊作戦に従事していたものの、すでに艦隊型潜水艦という概念自体が陳腐化していたのは明らかだった。
 また大戦に前後して、日本海軍では潜高型などの静粛性や水中速力などに重点を置いた潜水艦が建造されていた。大戦中は対水上レーダーを備えた対潜哨戒機が広い範囲を哨戒するのが常態化しており、水上航行を前提とした可潜艦でしかない従来型潜水艦では行動自体が難しくなっていたのである。
 そこで日本海軍は試作艦扱い同然だった潜高型こと伊201型潜水艦や接収したドイツ潜水艦の調査などで得られた技術も盛り込んだ次期主力潜水艦の建造計画を立ち上げていた。この計画によって建造されたのが伊101だったが、この建造計画は当初から大きく遅延していた。
 当初はドイツ潜水艦隊で最も活躍した7型にならって呂号潜サイズの中型潜水艦を大量建造すべきという案もあったのだが、実際には静粛性や太平洋での作戦を考慮した航続距離の付与を考えると中型潜水艦では日本海軍の要求に達しないのは明らかであり、第二次欧州大戦以前と同じく日本海軍の主力潜水艦は大型化せざるを得なかった。
 尤も船体の大型化には別の理由もあった。第二次欧州大戦以後ドイツ海軍から接収された過酸化水素を用いた非大気依存推進の研究が日英露共同で行われており、その成果が新型巡洋潜水艦に搭載される可能性もあったからである。
 しかしながら、扱いの難しい過酸化水素を戦闘艦に大量に搭載するのは当時の技術力では現実的ではない事と、水上機搭載型の大型潜水艦である伊400型潜水艦の未成艦を改造した伊407潜水艦に搭載された原子力機関の目処がたったことが状況を一変させていた。

 結局、新型巡洋潜水艦は伊201型で得られた知見を生かした水中抵抗の小さいヘラ状の潜水構造を取りつつ、主機関には従来型同様のディーゼルエンジンと蓄電池を搭載しており、その形状は同時期に建造、改造されていた伊407潜水艦を縮めたような形状をとっており、その運用上も高価な原子力潜水艦を補佐する巡洋潜水艦とされていたのである。
 このヘラ型形状は再編成された第6艦隊にとって次世代型潜水艦の特徴となると考えられていたのだが、実際には対米戦勃発頃には水中抵抗を更に削減した砲弾型、あるいは涙滴型と呼ばれる形状が実験されており、結果的に第二次欧州大戦後の急速に進んでいた既存艦旧式化に対応するために同型艦が多かった伊101型は、就役後に原子力潜水艦の新符号である亜号潜に変更された伊407を除いてヘラ状船首を採用した唯一の日本海軍潜水艦となっていた。






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