カシャロット級潜水艦





<要目>
排水量 1,100/1,600t(水上/水中)   全長 80m  出力 3,000/1,600馬力(水上/水中)
最大速度 16/8ノット(水上/水中)  乗員 50名

兵装
50口径3インチ高角砲 1基
7.62ミリ機銃 1基
21インチ魚雷発射管 6門(艦首4門、艦尾2門)

 1920年代、超大型潜水艦バラクーダ級を建造した米海軍だったが、この巨大な潜水艦の就役によって、ロンドン軍縮条約の潜水艦保有枠の大半を使いきってしまうこととなった。
 米海軍は、何とか三隻に限り上限排水量を設けないという特別規定を強引に軍縮条約に盛り込ませて、建造したばかりのバラクーダ級の破棄こそ免れたものの、各国とも5万2700トンと規定された保有枠の半分以上が、たった三隻のバラクーダ級によって占められてしまったのは大きな問題となった。
 軍縮条約締結直後は、米海軍潜水艦隊では保有枠を超えてしまった旧式潜水艦の早期退役が相次ぐこととなったが、これは大きな痛手だった。バラクーダ級の保有によって、艦齢のまだ若い艦も早期退役を強いられていたからである。
 同時に、今後に退役する旧式艦の代替となる艦も、バラクーダ級の大排水量のおかげで小型艦にせざるを得なかった。

 1930年代、ようやくバラクーダ級就役の煽りで始まった旧式潜水艦の早期退役が一段落して、バラクーダ級に続く新型艦の建造が承認されたが、保有制限排水量と潜水艦隊が要求する所要数の関係から、新規建造艦は可能な限り小型化することが強く求められていた。
 この小型化は、単に軍縮条約の制限から要求されたもので、技術革新の結果ではなかった。この時期においても米国の潜水艦建造技術は、ドイツ海軍の技術を吸収した日英仏などと比べると劣っており、各種潜水艦用艤装品の信頼性は低いものだった。
 結果的に、1930年代初頭から就役し始めた新型潜水艦カシャロット級は、ただ小型化しただけと言っても過言では無かった。しかも、カシャロット級は、艦隊型潜水艦と沿岸哨戒型潜水艦双方の代替艦として計画されていたが、沿岸哨戒はともかく、艦隊に随伴する艦隊型潜水艦として運用するには無理があった。
 カタログスペック上の航続距離や行動可能日数は、艦隊型として運用するのに足りるものだったが、実際には小型化された艦内空間が限られることから乗員の疲労度が大きく、長時間の航行は困難だった。
 また、搭載されたディーゼルエンジンは、カタログスペック上は自重の割に出力の高い優秀なエンジンだったが、本級で米潜水艦としては初めて採用されたディーゼル直結式とは相性が悪かったのか、水上航行速度によって充電量が制限されるなど本質的な問題もあった。
 また、長大な軸と直結されたディーゼルエンジンは振動が大きく、制限回転域がかなり広くとられており、またその回転域が最大回転数に比較的近いという欠点があった。
 軸直結方式であるため、制限回転域を避けるためには、水上航行時に実際には一定の速力を発揮して行動するのが難しいため、他艦にあわせて航行しなくてはならない艦隊型潜水艦としては致命的な弱点となった。
 一方で魚雷発射管計6門を有したカシャロット級の魚雷攻撃力は高く、水中防御の充実した敵主力艦への雷撃も可能だった。後期艦からは前後部発射管をあわせて射撃管制出来る新型魚雷方位盤も搭載された。

 1930年代初めから就役を開始したカシャロット級だったが、本来旧式潜水艦の代替として計画されたものの、バラクーダ級の就役によって旧式艦が一挙に退役したため、米海軍潜水艦隊が保有する潜水艦の平均艦齢は比較的若返っており、潜水艦が退役する間隔も長かった。
 そのため、旧式潜水艦の退役に合わせて就役するカシャロット級の建造間隔も長くなっており、新規設計となる後続艦の設計もなかなか行われなかったことから、同じカシャロット級でも就役年度によって逐次改正が実施されており、一番艦と最終番艦とでは大きな差が生じていた。
 前述のディーゼルエンジンの制限回転域も、カウンターウェイトやフライホイールの追加によって制限域が格段に減少しており、最終番艦では制限回転域は、常用速力から遠く離れた速度域に収まっていた。
 だが、多くの改良が施されたとはいえ、基本的な艦体寸法に変化が無かったため、艦内容積の制限からなる劣悪な居住性や、魚雷搭載数の少なさといった点は改善する余地は少なかった。
 1930年代末には、米海軍潜水艦隊の大半はバラクーダ級とカシャロット級で占められるようになっていたが、潜水艦隊関係者は数上の主力であるカシャロット級の性能には不満があり、より大型の潜水艦を望んでいたが、それが叶えられるのには、軍縮条約の無効化によって保有制限枠が消滅するまで待つほか無かった。 






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