バラクーダ級巡洋潜水艦





<要目>
排水量 9,800/12510t(水上/水中)   全長 135m  出力 12,700/2,400馬力(水上/水中)
最大速度 24/6.5ノット(水上/水中)  乗員 200名

兵装
連装40口径20.3cm砲 2基
21インチ魚雷発射管 4門(艦首2門、艦尾2門)

 バラクーダ級は、1920年代に米海軍が就役させた超大型潜水艦である。第一次欧州大戦前後、米海軍のドクトリン上では、潜水艦は沿岸防衛用の艦艇であり、小型で航続距離も短いが、敵艦隊への襲撃を行うために高速で機動性も求められていた。
 第一次欧州大戦にも参加せず、新たな対潜戦闘、巡洋潜水艦による通商破壊作戦などのノウハウを得られなかった米海軍は、大戦終結後も基本的にはこのドクトリンを堅持していた。

 これに対して日本海軍では沿岸哨戒用潜水艦から一歩踏み出して、艦隊随伴型潜水艦を求めてはいたが、第一次欧州大戦中は潜水艦建造技術の未熟さから、国産の大型潜水艦は不満足な性能にとどまっていた。
 この事実は、ある程度米海軍でも把握しており、仮想敵の日英潜水艦が大した性能でもないことから、第一次欧州大戦当時の米海軍の潜水艦建造の優先度は低かった。
 しかし、第一欧州大戦が集結し、敗北したドイツの優れた建造技術は、戦勝国に分散することとなった。特にドイツの最新技術の習得に熱心であったのは日本帝国で、賠償艦の取得にとどまらず、戦前からドイツ海軍の潜水艦を建造していたゲルマニア社と技術提携を行っていた川崎造船所は、最新の巡洋潜水艦の図面と残された装備品の購入を行っていた。
 旧ドイツ海軍関係者にしてみても、潜水艦建造ノウハウの維持を図るという思惑から、日本帝国への技術移転には熱心であり、図面や艤装品と言った物品にとどまらず、ゲルマニア社の主任級設計技術者や旧海軍の潜水艦艦長経験者の派遣まで行うこととなった。
 これらのドイツからの最新技術習得によって日本海軍の潜水艦建造技術は急速に発展し、大型の外洋型潜水艦、巡潜型の独自建造が可能となるほどになっていた。

 日英海軍などが、航洋力に優れた大型潜水艦を続々と建造していくのに対抗するため、米海軍も大型の巡洋潜水艦の建造計画を開始した。日英の後塵を拝した米海軍であったが、その大型巡洋潜水艦の設計思想は特異なものであった。
 他国の大型潜水艦が、まずは主力艦隊に随伴してその補助戦力となる艦隊型潜水艦を指向したのに対して、米海軍は艦隊主力に随伴するのではなく、前方に展開して長距離哨戒、偵察にあたる偵察巡洋潜水艦ともいうべき長距離航続距離をもった潜水艦を指向していた。
 さらに、艦隊主力の前方で長距離哨戒を実施するためには、我が偵察行動を妨害すべく出動するであろう敵巡洋艦、巡洋戦艦を撃破しうる火力と防護力が必要不可欠との意見が出されたことで、米海軍大型潜水艦は、他国潜水艦と大きく異なる艦型を選択することとなった。
 当初は8インチ砲8門艦や、12インチ砲搭載など、当時の装甲巡洋艦並みの火力を要求されたが、さすがにこれは現実的ではないとして、最終的には砲兵装は8インチ連装砲2基計4門とされた。
 この兵装は、おそらく当時建造中であった日本海軍の偵察巡洋艦古鷹型を念頭に置いたものと考えられる。古鷹型巡洋艦は、砲火力に優れる米海軍の大型軽巡洋艦オハマ級に対抗するために建造されたもので、このクラスとしては初めて20センチ砲(7.9インチ)を搭載しており、後に軍縮条約の規程で重巡洋艦に類別された。
 古鷹型は、後の大型の条約型巡洋艦とは異なり、あくまでも艦隊の目となる偵察巡洋艦として建造されており、そのため潜水艦が偵察行動中に遭遇する可能性の高い相手として、古鷹型が想定されたと考えられる。
 8インチ砲4門では古鷹型に優越するとは言えないが、概ね同等の戦闘が可能であるレベルだと言えた。

 実際に建造されたバラクーダ級は、8インチ砲連装2基の主砲塔に加えて、4インチというオハマ級軽巡洋艦やペンサコーラ級重巡洋艦をも上回る装甲が施されていた。
 この重装甲は、当初装甲巡洋艦との交戦すら想定していたからだと言われる。実際、搭載された主砲は後にペンサコーラ級用に新開発された55口径の長砲身砲ではなく、旧式装甲巡洋艦に搭載されていた40口径連装砲を原型として、水密性の追加など潜水艦搭載用として所要の改造を施したものだった。これを管制するために艦橋前方に測距儀が設けられていた。
 充実した砲兵装と防護力に対して、雷装は前級T-1級に劣る艦首、艦尾2門ずつの計4門に抑えられており、魚雷搭載数も12本と少なかった。これはバラクーダ級があくまでも偵察艦として設計されたのであり、艦隊主力への雷撃や通商破壊作戦などに使用する前提では無かったためであろう。

 重火力と重装甲を備えた艦体はこれまでに無いほど巨大化しており、この巨体に要求速力25ノットを発揮させるためには、当時米海軍が使用可能な潜水艦用ディーゼルエンジンでは、到底出力が不足しており、英海軍のK級潜水艦で実績のあったボイラー及び蒸気タービンの組み合わせが選択された。
 実は英海軍では蒸気タービンを主機としたK級潜水艦は機関部の問題点が多く、事実上の失敗作であったと判断されていたのだが、当然この情報が米国に伝わることはなかったため、米海軍では潜水艦向けの大出力機関として最善ではないかと判断していたのである。
 蒸気タービン主機は、モーター室前方の主機関室に搭載されており、2基のボイラーはその上部に搭載されたが、主船体内殻の容積が不足していたため、ボイラーを完全に収めることが出来なかった。そこで、内穀はボイラー部のみ上部に延長されており、このボイラー上部を収めた部分は、艦橋内部の司令塔区画を後方に延長する形で設けられていた。
 その為、バラクーダ級は他に例のない八の字型とも言える異様な船殻構造となっていた。ボイラー用の内殻上部にはボイラー排煙用の起倒式の煙突が設けられており、煙突及びボイラ用吸気口は潜水時には水密式シャッターで閉鎖されたが、閉鎖作業には慣れた将兵でも5分以上を必要としていた。
 なお、蒸気機関の補助及びバッテリー蓄電用としてディーゼル発電機が発令所下部に搭載されていた。実は、蒸気タービンのみでは必要な出力が得られなかったため、最大速力を発揮する際には、この発電機とモーターがブースト機関として使用されていた。

 都合三隻が建造されたバラクーダ級は、水上砲戦用の性能こそ概ね満足出来るものであったが、ボイラーの停止作業などを含めて潜水開始から全没までの潜航時間が長いこと、ボイラー吸気、排煙などの水密性を要求される開口部が多く、整備に多大な時間がかかること、安全潜航深度が低いことなど、潜水艦としての性能は低く、潜水艦というよりも文字通りの「可潜艦」であったが、いざという時に潜水して身を隠すことの出来る偵察艦としては十分な能力であったといえる。
 バラクーダ級の最大の問題は、9800トンという大きな排水量が潜水艦の排水量を規制する軍縮条約の中で他の潜水艦の大型化を阻害してしまったことであろう。
 なお、ロンドン軍縮条約では、潜水艦の合計排水量が制限されたものの、米国の強い要求によって三隻のみは上限排水量2000トンの規制外となったが、この規定を利用して軍縮条約下で超大型潜水艦を建造したのは結局米海軍のみであった。






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