戦時標準規格船三型(3-A)


戦時標準規格船三型

戦時標準規格船三型(セミコンテナ改装)

戦時標準規格船三型(フルコンテナ改装)


<要目>
総トン数 9300t 全長 140.0m 全幅 18.0m ディーゼル
最大速度 18.5ノット 乗員 55名

兵装(一例)
単装高角砲 2基
機関銃 8基

同型、準同型船多数

 
 第二次欧州大戦勃発に前後して日本帝国各地の造船所では、従来からの予定通りに戦時標準規格船の大量建造が一斉に開始された。日本帝国本土から欧州まで大量の物資人員などを移送する輸送船団の主力や、艦隊支援用の各種特設艦艇の原形となったのは大型で航続力に優れる戦時標準規格船二型だった。
 戦時標準規格船二型はこの当時の貨物船としては標準的ともいえる三島型の船型を持つと共に、日英間を結ぶ高速船団を構築するために大出力ディーゼルエンジンを搭載していた。
 なお、戦後英国を除く欧州諸国に安価で売却された戦時標準規格船の中にはこのディーゼルエンジンの運用の難しさから彼らが使い慣れた蒸気タービンエンジンなどに換装されたものも少なくなかったようである。

 戦時標準規格船二型では、当初から機関室を常識的な中央楼下部ではなく船尾楼下部に設けて、高価な特殊鋼材を大量に使用する上に製造に時間の掛かるプロペラ軸を短縮すると共に、軸室を排して貨物室容積の増大を図っていた。
 二型の就役後に改設計の形で進められた戦時標準規格船三型は、この効率化を更に推し進めたものだった。
 その最大の特徴は、機関室に続いて上部の居住、操船区画をも船尾に移動させて、中央楼を廃止したことにあった。これにより本船は三島形から船倉区画を挟んで配置された船首尾楼を持つ近代的な姿になっている。
 また、二型では砲員居住区などが設けられていた船首楼も省スペース化が図られており、実質上武装スペースのほかは倉庫区画としての機能しか与えられていなかった。ただし、一部の対空兵装を強化した防空基幹船として建造された中には倉庫区画を砲員用居住区に再改装している船もあったようである。
 船尾のエンジン区画上部に設けられた居住区は主機関用排気管と一体化しており、従来の中央楼があった区画も含めて、船首尾楼間は一体化された広大な船倉となっていた。
 一体とはいっても船倉区画内は隔壁で分別されていたが、一部の発展型では長尺貨物の移送用に実際に船倉の一体化が図られているものもあった。
 通常の貨物船型では、船倉はばら積み貨物用に四分割されていた。この船倉内の構造自体は二型とさほど変わりなかったが、船倉上部の扉は大型化しており、荷役作業が容易となっていた。
 この船倉扉は荷役作業の容易化のためだけに大型化したものではなかった。大型となった扉は、従来型と比べて閉鎖時は強固に船体と連結するようになっており、中央楼がなくなったことで強度の低下した船体中央部の船体強度を船倉扉にもある程度負担させる計算となっていた。
 船倉区画の構造を活かして、第二次欧州大戦終結後に荷役作業の効率化を目指したコンテナ輸送のプロトタイプ船として改造を受けたのも戦時標準規格船三型の一隻であり、日本帝国に残存していた少なからぬ数の三型が後に同様にコンテナ輸送専用船に改装を受けていた。

 船倉を船体中央部に集中させた戦時標準規格船三型は、従来の二型よりも船体は同寸法でも貨物室は広大となっており、貨物容積の総トン数は増大していたが、その代わりに船固有の重量が船尾に集中していたため、満載時と空荷の状態では船体バランスが大きく変化してしまうデメリットも持ち合わせていた。
 戦時標準規格船三型では、この問題に対して船倉の両舷及び下部に二重隔壁を兼ねたバラストタンクを配して、当時としては先進的な注排水装置を用いて空荷時のバランスをとっていた。
 だが、これらの先進的な装置はいずれも船体価格の高騰を招いており、船倉の一体化による高効率化を考慮しても二型と比べると高級化は免れず、大半が重量貨物の移送専用として運用されて、二型のような特設艦艇などの発展型の数は少なかった。 





戻る
inserted by FC2 system