戦時標準規格船二型(2-A)




<要目>
総トン数 8200t 全長 140.0m 全幅 18.0m ディーゼル
最大速度 18.5ノット 乗員 65名

兵装(一例)
単装高角砲 2基
機関銃 9基

同型、準同型船多数

 
 第二次欧州大戦の勃発は、予想されていたとはいえ、帝国海軍と政府指導者にとって非常に厄介な補給上の困難をもたらしていた。当時の帝国にとって欧州は遠く、世界有数の船腹量を誇る日の丸商船団をもってしても容易な事業ではなかった。
 船腹量だけ見れば補給線を維持することは不可能ではないが、ドイツ海軍の潜水艦などによる通商破壊の被害を考慮した場合、より効率のよい兵站線の構築は急務であるといえた。
 これらの問題に対する日本帝國の回答がこの戦時標準船二型の大量建造だった。
 一型とは違って、完全な外洋航行能力を持つ本型は当然のようにブロック構造を完全に取り入れており、このクラスの貨物船を一隻丸ごとは建造できない中小造船所でも、ブロック単位の建造という形で建造に加わることができたため帝國の造船能力を余すことなく発揮することが可能だった。
 本型は、機関部を後半に設けることで軸を短縮し鋼材使用量を減らすことができたが、プロペラと主機との寸法公差はよりシビアになっている。これは軸が短くなった分だけ誤差を吸収しうる距離も短くなっていたためだったが、このため機関ブロックの建造だけは艦政本部の認可を受けた大手の造船所でしか行なうことが出来なかった。

 また第二次欧州大戦中盤からは速力や航続能力を同一とする本型のみで輸送船団が組まれることも多くなり、護衛や船団航行の効率化を極限まで高めることができるようになった。
 建造数の大半は汎用型の貨物船だったが、バリエーションは多く、寝床を船倉に設けて収容員数を増加させ、また温暖地での運用を考慮して冷房能力を強化した兵員輸送型や、明石型工作艦を補完する為の特設工作艦、油槽船などが建造された。

 大戦中に喪失したものも多かったが、本型の大部分は大戦を生き延びて、ほとんどが戦火によって造船能力が著しく低下した欧州諸国に安価で売却された。これにより帝國の商船団は第一次欧州大戦後のアメリカのように多数の老朽船を抱えることなく新時代の船型を模索することができ、また短期的に船腹量を回復させたものの、欧州諸国は英国など一部を除いて造船能力の回復が遅れることになった。





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