戦時標準規格船一型(1-A)



戦時標準規格船一型

戦時標準規格船一型(コンテナ船改装)


<要目>
総トン数 645t 全長 60.0m 全幅 9.0m ディーゼル 出力 1300馬力 (2軸)
最大速度 15ノット  乗員 25名

兵装
基本的に無し。短期間の施工で機銃座追加可能

同型船多数

 
 1930年代に海軍艦政本部と逓信省管船局によって戦時標準規格船の設計が公表された。名称こそ戦時の名が入ってはいたが、ブロック建造法を中小造船所にも広めるのが主な目的であるともいえた。建造された船も実際は戦時の名を冠されることなく、書類上でも標準規格船と呼称された。
 なお実際の設計には、軍縮条約によって手余り状態にあった艦政本部の部員の他に、民間造船所も動員されてあたっていた。最も軍縮条約の改定によって日本海軍の保有枠が増大した後は、艦政本部部員は殆ど手を引いていたようである。当然設計はブロック建造を前提として従来の同級船とは構造に違いがあった。
 ブロック構造を設計に取り入れる手法は海軍工廠や大企業の造船所では次第に標準化していたが、クレーン能力に劣り、なおかつ大型船を建造することのできない中小造船所では、半強制的な規格の導入でもない限り広まることはないと艦政本部では考えられていたようである。
 標準規格船の建造によって得られる助成金は海運、造船各社の採用を勝ち取るのに十分な威力を発揮した。これによりブロック建造法を取得した中小造船所の多くは第二次欧州大戦でも後述する戦時標準規格船二型のブロック単位での建造を受注することができた。

 この戦時標準規格船の性能自体は海上トラックと俗称される同種船とほとんど変わりはなく、信頼性の高いディーゼルの採用による高い後続距離、速力を除けば特長らしい特徴もなかった。
 このクラスにしては乗客用のスペースが大きかったが、これは貨客船とすることで、貨物船と客船を別々に運用するよりも離島などへの便数を減少させる狙いであったと言われる。もっとも乗客用スペースを削減して純粋な貨物船として建造された船も多い。
 ただし戦時の近海輸送(本土沿岸から大陸沿岸程度)に投入されることも想定して、対空自衛戦闘が可能となるように機銃の後日装備が容易であるように設計されていた。機銃の搭載工事はマニュアル化されており、搭載スペースは強度や使い勝手を考慮してフレームや装備品と干渉しないように設定されていたため、施工は非常に容易だった。
 なお、標準規格とは言いつつも各造船所の規模や能力などに合わせたローカライズは多く、また新型機器の搭載などに従って規格も更新されていた。21世紀現在でも中小造船所では本型の設計を改良して建造を続けているところは多い。



二等輸送艦(101号型)




<要目>
総トン数 645t 全長 60.0m 全幅 9.0m  ディーゼル 出力 1300馬力 (2軸)
最大速度 15ノット  乗員 35名(他兵員多数)

兵装
迫撃砲一門
他機銃座
大発二隻

同型艦多数

 
 戦時標準規格船は設計当初から基本構造単位となるブロックの変更によって容易に再設計が可能であるとされていた。実際に油槽船や重量貨物専用船などバリエーションも豊富に建造された。
 戦時標準規格船一型を原形に陸、海軍が共同開発した二等輸送艦はそのひとつで、諸兵科一個中隊をビーチング可能な揚陸艦として設計された変り種である。
 原設計との外見上の相違点は、ビーチング時に展開する観音開き式の揚陸用艦首扉の他は船首楼や、艦橋周りの大発の搭載等程度しかないが、兵員室は収容員数を増やすためベットが多段化されており、また簡単なブリーフィングが可能であるように内装も工夫されている。
 もっとも原則的には、兵員の大半は揚陸時の短期間のみ乗艦することを前提としているので、兵員室は基本的に休息室として設計されており、炊事施設などは貧弱だった。
 また船体に負荷のかかるビーチングを繰り返すことになるため船体強度は原型船よりも船底部が格段に高く取られている。

 第二次欧州大戦中盤から就役を始めた二等輸送艦はシチリア上陸戦などでその真価を発揮し、戦後は帝国陸、海軍での運用こそ早い段階で終わったが、多くの同盟国などに売却され、それらの艦は長く運用されていたものも少なくなかった。特に発展途上国では貧弱な港湾施設を補うために払い下げされた民間で運用されるケースもあったようである。





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