レッジアーネRe.2000




Re.2000 ファルコ



Re.2000P アストーレ


<要目>
全幅11m 全長8m 自重2トン 乗員1名 武装12.7ミリ機銃×2 エンジン出力1000hp 最大速度530km/h 航続距離1,400km(Re.2000)
全幅11m 全長9.5m 自重2.5トン 乗員1名 武装12.7ミリ機銃×2 エンジン出力1000hp 最大速度435km/h 航続距離1,500km(Re.2000P)

 1930年代半ば、イタリア空軍は現有の主力機であるCR.32/42の後継機計画となる戦力増強計画であるR計画を発動させた。このR計画の要求仕様に応じて複数のメーカーが試作戦闘機を提出したが、マッキMC.200サエッタ、フィアットG.50が採用となった一方で、レッジアーネ社が提出したRe.2000ファルコは、一部の性能では制式採用された両機を上回るものがあったものの、機体構造の複雑さなどから不採用となった。
 Re2000ファルコの開発主任であったロンギ技師は、シベリアーロシア帝国のセーヴェルスキイ航空工業で勤務した経験があり、Re2000ファルコの機体構造にもシベリアーロシア帝国や、ロシア帝国に技術支援を行なっていた日本帝國の航空技術が導入されたものだった。

 イタリア空軍では不採用に終わったもの、Re2000は輸出用戦闘機として指定され、自国内で主力戦闘機を開発生産できない中欧などの中小国にある程度まとまった数が輸出された。
 また、この時期、空軍から独立した航空戦力として独立戦闘飛行群を整備していた海軍も、主力戦闘機不採用となったRe2000に注目していた。
 シベリアーロシア帝国の技術が導入されていたRe2000は、他のイタリア製戦闘機に比べ複雑ではあるが頑丈な機体構造を持っていたため、水上艦カタパルトからの射出にも耐えうると考えられたからである。

 イタリア海軍は、まず要地防衛用との名目で試験用に数機を購入した後、艦隊随伴用の高速水上機母艦に搭載する為に、水上機として改造した機体をレッジアーネ社に開発させようとした。
 しかし、レッジアーネ社には水上機の開発経験が無かったため、最終的にはレッジアーネ社で生産された原型機を水上機専用メーカーで改造させることとした。そのため水上機仕様のRe2000は、改造した水上機専用メーカーの頭文字であるPを記番号に追加し、また愛称もファルコ(鷹)からアストーレ(大鷲)に変更されている。
 このRe2000Pは開発当時としては珍しい純然たる水上戦闘機仕様の機体だった。後に日本海軍は、零式艦上戦闘機を原型とした二式水上戦闘機を開発したが、開発時期は重複しておりRe2000Pと二式水上戦闘機の開発がどちらかに影響を及ぼした可能性は低い。
 日本海軍は、支援設備の整わない前線基地で要地防空を実施するために二式水上戦闘機を開発したが、イタリア海軍は洋上での艦隊防空のためにRe2000Pを必要としていた。

 当時のイタリア海軍は、日英海軍のように大型の正規空母を中核とした艦隊を構想していたが、予算などの障害や空軍の反対などから正規空母の建造は叶わなかった。
 その代替手段として、客船改造の高速水上機母艦に水上戦闘機を搭載して限定的な洋上防空に使用することを決定した。
 これが空母(水上機母艦)ファルコおよび水上戦闘機Re2000Pであった。

 Re2000とRe2000Pの主な相違点は、水上機として運用するための胴体に取り付けられた主フロートにあった。この主フロートは長距離哨戒や単独での艦隊上空直衛任務のために増槽機能を兼ね備えており、一部は燃料タンクになっていた。そのため燃料満載時の過荷重状態では計算上機体が沈むこむため着水は出来なかった。
 主翼の翼端近くには、主フロートよりも小型の補助フロートが装着されていた。この補助フロートは水上安定性のために装備されたもので、浮力は分担しておらず、増槽兼用の主フロートのような複雑な構造はとっていなかった。
 補助フロートを取り付けられた主翼は、着水時の衝撃に備えるために、Re2000よりもさらに構造が強化されており、さらに狭い艦内に格納するために折りたたみ構造が追加されていた。


 当然Re2000Pの防空戦闘機としての能力は限定されたものであった。
 空母搭載の艦載機ではなく、水上機形態をとったことで、発進はともかく、帰還時には着水した機体をクレーンで回収するために母艦は停船を余儀なくされることとなった。また海上に機体を浮揚させるためのフロートは大きな空気抵抗となり、陸上機と比べての機体性能の低下は明らかだった。
 それでも、無いよりもはましとしてイタリア海軍はRe2000Pに頼るしか無かったのである。

 第二次欧州大戦開戦後の幾つかの戦闘結果分析の過程で、洋上航空戦力の重要性が確認され、念願の正規空母建造が認められたが、その就役までには時間がかかることから、それまでの洋上防空任務はファルコとRe2000Pに委ねられていた。
 実際の所、大戦序盤に英国海軍が地中海に投入した航空戦力は、かなり劣っており、当時の主力戦闘機であったフルマー相手であればRe2000Pは概ね互角に戦闘を行うことが出来た。
 日本帝国が輸出した零式艦上戦闘機21型(イギリス海軍呼称はマートレット(T)が出現するまでこの状況は変わらなかった。

 ファルコとRe2000Pの組み合わせは、第二次欧州大戦序盤では概ねイタリア海軍の予想通りの成果を発揮したが、マダパン岬沖海戦において空母ファルコは撃沈されてしまった。
 また、この頃には英国海軍の他、日本海軍の参戦によって地中海方面に展開する国際連盟軍側の戦闘機の性能が格段に上昇しており、もはや抵抗となるフロートを抱えた水上戦闘機が通用する状況ではなくなっていた。
 残存したRe2000Pはもっぱら近距離対潜哨戒機として運用されたが、損耗は激しく終戦時には稼働機は残っていなかった。


 


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