P-39エアラコブラ




P-39エアラコブラ


<要目>
全幅10.3m 全長9.1m 自重2.9トン 乗員1名 武装37ミリ機関砲×1(機首固定)、12.7ミリ機関銃×2(機首固定)、7.7ミリ機関銃×2(翼内×2) エンジン出力1,150hp 最大速度600km/h 航続距離1,000km


 P-39エアラコブラは、ベル社が重爆撃機の迎撃を主目的とする多座戦闘機として開発したFM-1エアラクーダに引き続いて開発した単発単座戦闘機である。
 P-39はFM-1と同型のエンジンと排気過給器を備えた単発機で、双発のFM-1から空気抵抗が削減された分だけ当時の単発戦闘機としては高速で、高々度性能も高かった。
 その一方で当時の常識的な戦闘機と比べるとFM-1でそうであったように特異な機体構造をとっていた。胴体中央部の重心近くにエンジンを置くことで戦闘機動時の旋回性を向上させるとともに、空いた機首に37ミリという大口径の機関砲を搭載するスペースを捻出することが出来たのである。
 機首にはプロペラ延長軸内に銃身を通す形で装備するこの37ミリ機関砲の他にプロペラ同調装置を装備した12.7機関銃が左右1丁、さらに主翼内に7.7ミリ機関銃がこちらも1丁づつ装備されていた。

 P-39がこのような重武装となったのは、陸軍の仕様要求がFM-1同様に対重爆撃機戦闘用の迎撃戦闘機として運用することを前提として出されていたからである。その一方で、双発のFM-1のように友軍重爆撃機に随伴しての護衛戦闘機任務は当初から求められていなかった。
 米陸軍としては、FM-1を侵攻戦闘機と共に洋上での迎撃を行う長距離戦闘機として運用し、P-39は本土上空での短距離迎撃に特化させるつもりだったと思われる。

 一見してP-39は重武装の高性能戦闘機であり、当時の艦上戦闘機の主力であったブリュースターF2Aバッファローの低性能に不安を抱いていた海軍も空母部隊配備の艦上迎撃戦闘機として限定配備を行うため、P-39にアレスティングフックなどの艦上機としての設備を追加したFL-1エアラボニータをベル社に開発させていた。
 しかし、実際にP-39やFL-1を運用するパイロットや整備員は異なる見解を抱いていた。エンジンを中央部に配置したことで良好になった旋回性能だったが、エンジンを機首に配置した通常配置になれたパイロットには使い勝手が悪く、特に意図せずスピンに入った場合の回復が難しいという問題はその性質上解決が困難だった。
 また、エンジンが操縦席後部にあるため不時着時にエンジンの重みで押し潰されるのではないかという疑問が最後までパイロット達には抱かれていた。しかもそのエンジンに付随して搭載されていた排気過給器は、エンジン直下に本体が搭載されたために高温のエンジン排気が短い配管で機内を通過するために断熱材を巻いても機内温度の上昇が著しく、パイロットには不評だった。
 同時に配管が多数狭い空間に配置されたため整備に支障をきたすことも多かった。
 また、搭載された大口径の機関砲は口径や使用弾薬こそFM-1と同一だったが、弾倉が小さくFM-1と違って実質上の装填手である砲手が存在しないため弾づまりが発生する場合が少なくなかった。

 公開された性能諸元から各国ではP-39は高性能高速戦闘機で、場合によってFM-1の援護戦闘機としても運用される万能機と認識されており、米陸軍もそのように見えなくもない写真を公開していたが、実際には短距離迎撃専用機であり、前輪式の降着装置とエンジン直下の排気過給器と干渉するため航続距離を延長させる大型の増槽を搭載することも出来なかった。
 陸軍は汎用戦闘機としてはカーチスP-40ウォーホークを改良を加えながら長く運用し、海軍は迎撃機としてのFL-1の性能を凌駕するため大出力エンジンを搭載するカーチスF14Cキティーホークを開発することになった。

 第二次欧州大戦時には少数機がソ連に供与されたものの、独ソ戦では低空域での戦闘が多く本機の高々度性能を発揮する機会も無かったため、ソ連軍では扱いづらく試験運用とモスクワの防空用に少数が配備されただけだった。
 これに対応するためベル社では排気過給器を廃して高々度性能の代わりに軽量化によって低空時の性能を向上させて機首機関砲も軽量化のため20ミリに換装したP-63の試作開発を進めたが、ジェットエンジンを搭載したP-59に専念するために大量生産は行われなかった。


 


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