神州丸型揚陸艦




神州丸


改神州丸型


<要目>
基準排水量 5,600t   全長 144m  蒸気タービン 出力 7,500馬力(二軸)
最大速度 20.4ノット  乗員 75名(揚陸部隊約1,500名)(神州丸)  固有乗員130名(改神州丸型)

兵装
大発動艇 30隻
小発動艇 20隻
装甲艇等 4隻
単発機 12機
(神州丸型)
大発動艇 30隻(ウェルドック内収納)
小発動艇 8隻
装甲艇 4隻
駆逐艇 4隻
連装2センチ高射機関砲 12基
(改神州丸型)

 第一次欧州大戦におけるガリポリ上陸作戦などの戦訓を受けた日本陸軍は1930年代に上陸用船艇である大発動艇を独自に開発した。大発動艇は迅速に兵員や機材を海岸に上陸できるよう船首に道板を設けたほか低喫水の平底かつ一部が双胴という特殊な船型をとっており、外洋航行能力は低かった。
 中国共産党と中華民国国民党軍との衝突が起こった上海における紛争において初めて大発動艇は実戦に投入されたが、大発動艇の性能はともかく、運用面では少なくない問題があった。兵員や物資は輸送してきた母艦から敵前で上陸用船艇に乗り移らざるを得なかったため、兵員を載せたまま大発動艇などを泛水させることのできる上陸用船艇母艦が要求されたのである。

 この要求を受けて建造されたのが神州丸である。神州丸は喫水線よりわずかに上になる上甲板下が大発動艇格納庫となっており、エンジンケーシング以外は床面に沿ってレールが敷かれており、その上に載せられた大発動艇は天井のワイヤーに牽引されて船尾に設けられた扉から兵員を載せたまま泛水させる事ができた。
 また、船体側面にも横開きの扉が設けられて舷側からも大発動艇を泛水させることが出来た。ただし、この舷側泛水装置は扉の防水が難しかったのか、採用されたのは神州丸のみだった。
 格納庫内に収められるのは大発動艇のみで、上陸用船艇の護衛用として開発されていた装甲艇、駆逐艇や連絡用の高速艇などは上甲板上に搭載されて、船体の上下に備えられた大型のデリックで泛水された。
 これに加えて神州丸の上部構造物には小発動艇が載せられていたが、この小発動艇は従来型のボートダビットで泛水されるが、兵員は泛水後に乗り込むようになっていた。

 上陸用船艇母艦としての機能に加えて神州丸は航空機運用機能も持ち合わせていた。機密保持のため馬匹を載せる馬欄甲板と呼称されていたが、上部構造物内の上甲板上の空間が航空機格納庫とされており、最大12機一個飛行隊程度の戦闘機や直協機クラスの軽量級の機体を上部構造物前に装備されたカタパルトで発進させることが出来た。
 ただし構造上着船機能は全く持たないため、上陸支援に用いた搭載機は不時着させるか上陸部隊が占領した飛行場に着陸させるしかなかった。

 就役後、中華民国内の内戦介入などに出撃した神州丸は概ね陸軍を満足させる結果を発揮したが、一部の機能にはやはり不満が抱かれていた。
 まず航空機運用機能は、神州丸就役直後から急速に陸軍機の性能が向上したこと、占領飛行場に進出させるという運用法などにも無理があることが判明した。そのため実際には神州丸も航空機を運用することは極めて稀で、もっぱら上陸資材や兵員居住区画に転用されていた。
 最も問題となったのは上陸艇格納庫が大発動艇の運用に特化していたことにあった。船内格納庫高さや床面のレールが大発動艇の寸法に合わせてあったからである。
 この時期、本土防衛のための戦闘機や戦車、護衛艦艇の建造に追われていた英国は自国設計あるいは考案の揚陸艇の建造を日本に依頼しており、これをうけた日本陸軍では従来の大発動艇以上の寸法の特大発動艇や超大発動艇などが相次いで制式化されていたのだが、この大型化した上陸艇に神州丸では対応できなかったのである。

 神州丸のこれらの問題点を受けて改設計の準同型船が建造された。
 改神州丸型と呼称されるこの改設計型ではカタパルトを含む航空機運用機能は完全に省かれており、馬欄甲板は当初から兵員居住区及び倉庫区画にあてられていた。またこれらの区画は航空機ほど高さが必要ではないためにこの下部の船艇格納庫におされて床面が上昇している。
 最大の変化は船艇格納庫で先述の通り大型化した上に、泛水方法自体が変更されていた。これも英国の考案によるもので、レール上を走って海面に泛水されるのではなく、バラストタンクに注水して船尾を沈め、格納庫内まで海水を引き込んで直接船艇を発進させるウェルドック方式としたのである。
 これにより大発動艇にのみ対応したレール等の専用設備は不要となり、より大型の超大発動艇や水陸両用車両の特内火艇やスキ車などの運用も可能だった。また、ウェルドック化したためにボイラーからほぼそのまま真上に上げられていた排気管は左右に分岐され格納庫両脇を通って上部構造物両舷の煙突から排出された。
 上部構造物に搭載されていた小発動艇は実用性が低かったために搭載数が大幅に減少しており、事実上連絡艇として残されているだけだった。
 改神州丸型は第5師団の海上機動師団化をうけてまとまった数が建造された。




戻る
inserted by FC2 system