夜間戦闘機月光




一式双発陸上戦闘機


一式陸上偵察機


夜間戦闘機月光


<要目>
全幅17m 全長12.2m 自重4.6トン 乗員2名(一式双発戦闘機、夜間戦闘機月光)、3名(一式陸上偵察機) 
武装20ミリ機銃×4(機首×2、翼内×2)、7.7ミリ機銃×1(後方旋回機銃):(一式双発戦闘機)
7.7ミリ機銃×1(後方旋回機銃):(一式陸上偵察機)
20ミリ機銃×2(翼内×2)、20ミリ連装機銃×1(後方旋回機銃):(夜間戦闘機月光)
エンジン出力1150hp×2 最大速度510km/h 航続距離3,700km

 1930年代末日本海軍は、軍縮条約の制限によって、仮想敵である米国海軍に対して艦隊戦力で劣勢であったことから、これを航空戦力によって補うべく、九六式陸上攻撃機、九七式飛行艇といった航続距離が長く、攻撃力に優れた大型機を相次いで就役させた。
 しかし、鈍重な大型の雷爆装機では、米海軍主力艦隊に随伴する航空母艦より運用されるであろう軽快な単座戦闘機に対抗するのは難しく、援護用の長距離戦闘機が求められるようになっていた。
 一時期は、各国で、高速の陸上攻撃機の迎撃は困難なものとなることから戦闘機無用論も出ていたが、スペイン内戦などでの戦訓から戦闘機の性能向上によって高速の爆撃機にも護衛戦闘機の随伴が必須であると考えられ始めていた。
 しかしながら、日本海軍は仮想敵である対米比において劣勢の艦隊戦力を補うために航空兵力に大きな期待を抱いており、それを反映して日本海軍航空隊が保有する機体の比率は攻撃機の比率が高くなっていたが、それを援護するための戦闘機の要求性はさほど高くなかったようであった。

 後に夜間戦闘機月光として制式採用された機体の原点は、長距離援護戦闘機として開発されながら要求性能未達として不採用となった13試双発陸上戦闘機であった。
 13試双発陸上戦闘機は、航続力は要求性能に達していたものの、速力はぎりぎり要求を達成していた程度で、高速性を求められる双発戦闘機としてはやや不満足なものであった。
 そのうえ運動性は当初から単発機には大きく劣ると思われていたが、各所の重量超過によって翼面荷重が設計値よりも過大になっており、海軍の予想以上に空戦能力は低くなっていた。
 これに加えて、軽快な単発戦闘機に対抗するために装備された後部席搭乗員が操作する遠隔式の旋回機銃座は、動作が不安定で、また射撃指揮装置の精度が低いために多座戦闘機として満足な性能を発揮させることは出来なかった。

 当初の要求どおりの多座戦闘機として活躍することの出来なかった13試双発陸上戦闘機だったが、海軍の双発陸上機としては希少な存在であり、進攻援護用の多座戦闘機としては不採用に終わったものの、これを原型としていくつかの派生形が開発された。

 重量過大の原因となっていた性能の不満足な遠隔操作式旋回機銃座を廃し、手動の簡易な7.7ミリ機銃1丁に抑えたのが一式双発戦闘機である。重量のある遠隔機銃座を廃し、さらに銃塔収納部付近をより空力的に洗練された形状に変更したことで機動性能は格段に上昇しており、また機首、翼部に20ミリ機銃を計四丁装備する重火力を有していた。
 他に500Kgまでの爆装能力もあったことから、純粋な戦闘機としてよりも、主に重火力を活かした戦闘爆撃機として海軍陸戦隊の援護任務などに使用された。
 しかし、やや遅れて陸上配置の基地航空隊向けに制式採用された零式艦戦43型でも、単発機ながら20ミリ機銃2丁、13.2ミリ機銃2丁とそれまでの型式と比べて火力が強化されていた。これに加えてより軽量小型な陸軍の二式複座戦闘機と用途が重なっており、陸上航空部隊の統合運用が進む中で一式双発陸上戦闘機の活動は不調になっており、総生産数も少なかった。

 陸上偵察機として開発された一式陸上偵察機も遠隔機銃を廃していたが、旋回機銃座が配置されていた空間には偵察員席と偵察用カメラが増設されていた。また機首にもカメラが増設されており、その代わり兵装は後部手動旋回機銃1丁に抑えられていた。
 増員された偵察員とカメラによる偵察能力と長大な航続距離によって、原型が双発戦闘機であるにもかかわらず有力な偵察機に生まれ変わった一式陸上偵察機ではあったが、やはり当初から戦略偵察機として開発されていた陸軍の百式司令部偵察機に比べるとその性能は劣っており、双発戦闘機型同様に陸海軍航空部隊の統合運用が進むに連れて有用性を低下させていた。
 一式陸偵は、軍偵察機、直協機と言った陸軍の戦術偵察機と比べると偵察、飛行能力は優れていたが、それらの陸軍機がある程度の攻撃能力や着弾観測などまでこなす万能機であったのに対して、小口径の後部旋回機銃しか持たない本機は偵察に用いるしか無い単能機であった。
 欧州大戦中盤以降は、海軍航空隊の陸上偵察機部隊は転科されるか、百式司令部偵察機やその改良型に機種改編されており、当機は雑用機として運用されるにとどまっていた。

 他の派生型と比べると、夜間戦闘機型の月光は比較的成功した機体となった。ただし、月光はもともと夜間戦闘機として開発されたわけではなかった。元々は旋回機銃座を装備した複座戦闘機の開発の継続を推し進められた機体であった。
 後席が操作する機銃座には、弱装で操作性に劣る遠隔機銃座のかわりに陸軍の重爆撃機の自衛機銃座として設計されていた20ミリ連装機銃座を改設計して搭載していた。
 この機銃座の変更は、機銃威力の増大のほか、機銃を操作する後部席乗員の視線と機銃座の射線との食い違いが射撃精度の低下につながっていると判断されたため変更されたものだった。
 だが、改設計部が他の派生型と比べて多かったせいか、この多座戦闘機型の開発はやや遅れており、その開発段階において、同様に旋回機銃座に兵装を集中させていた英国空軍のデファイアントの不評が明らかになっており、援護戦闘機としての就役はその時点で諦められていた。
 昼間の侵攻援護戦闘機としての任務に変わって多座戦闘機型に与えられたのは、それまで日本海軍では等閑に付されていた夜間戦闘機としての任務であった。
 これは同様に、昼間用の通常型戦闘機として運用されていたデファイアント多座旋回機銃座戦闘機が、夜間戦闘機に転用された実績を受けての事だったが、当座他に夜間戦闘機として使用できそうな機体が海軍に存在しないためでもあった。

 当初は多座戦闘機としての形状のまま夜間戦闘機に転用されていたが、昭和17年頃に、軽快な格闘戦闘機の甲戦、重兵装で迎撃戦に特化した乙戦につづいて、夜間戦闘機として丙戦という分類方式が日本海軍で制式化され、同時に型式以外に機種によって基準が異なる愛称が航空機に付けられると、この夜間戦闘機型は月光と命名された。
 同時に、それまでの多座戦闘機型から夜間戦闘機型として特に改装が施されており、この当時実用化され始めていた電探が搭載されていた。
 月光で特徴的であったのはこの電探の装備方式であった。他国の双発多座戦闘機転用の夜間戦闘機型同様に機首に捜索、射撃指揮用のものを装備したほか、後部の旋回機銃座にも、波長が短く精度の高い射撃管制用の電探を装備して、目視に頼らない射撃を行おうとしていた。
 この射撃指揮用電探の装備された機銃座はそれなりに有用であったが、そもそも爆撃機用のそれを転用した機銃座は双発戦闘機にとっては大きすぎる抵抗と重量があったため、当初から本格的な夜間戦闘機として開発された新型機が就役し始めると、夜間戦闘機月光は、急速に退役するか、機銃座を排して一式陸偵同様に雑用機として使用された。
 月光はあくまでも本格的な夜間戦闘機が就役するまでのつなぎとして原型機から改装された急造機に過ぎなかったが、大戦中盤までマルタ島や北アフリカ戦線の夜を守り続けたのは、紛れも無くこの機体であった。

 月光の運用実績などから、電探で照準を行うのであれば、そもそも旋回する機銃座に銃手を載せる必要がそもそも薄く、銃手自身の重量や関連機器の重量を省ける分だけ旋回機銃座も軽量に設計できるはずだった。
 実際、月光の後継機として開発された夜間戦闘機電光では、かつて13試双発陸上戦闘機で不具合が生じて不採用となっていたはずの遠隔操作式機銃座が電探連動式となって搭載されていた。



 


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