<要目>
全幅38.0m 全長28.1m 自重18.5トン 乗員10名 武装20ミリ機銃×5、7.7ミリ機銃×1(11,22型)、13.2ミリ機銃×2(31型) エンジン出力1530hp×4(11,31型)、1850hp×4(22型) 最大速度435km/h(11型)、480km/h(22型)、420km/h(31型) 航続距離7,000km
日本海軍は艦隊決戦を支援する漸減邀撃作戦用の航空機材として艦隊攻撃用の長距離攻撃機となる陸上攻撃機などと共に、広範囲を哨戒して敵艦隊を捜索するとともに状況によっては自らも雷爆撃を行う哨戒爆撃機となる大型飛行艇の開発に乗り出した。
この大型飛行艇として最初に制式採用されたのが九七式飛行艇で、その後継としてさらに要求性能を引き上げられて開発が進められていたのが二式飛行艇である。
長距離哨戒用に長大な航続距離と共に攻撃能力を求められた二式飛行艇に対する要求は高く、一式陸攻に倍する航空魚雷二発あるいは二トンまでの爆装が可能だった。
また長距離哨戒時に敵機と遭遇する可能性も高いために防御火力も強力なものが用意されており、旋回式機銃座に射程の長い20ミリ機銃を装備していた。
二式飛行艇として最初に就役したのが11型で、一応は要求性能には達していたものの、これは97式飛行艇の旧式化と年々増強される米海軍への対抗のために求められていた新型機の早期就役要求に対応するために採用されたものであり、実質上11型の就役後もメーカーである川西飛行機では発展型の開発が進められており、22型が続いて就役した。
22型は高速性能と航続距離を両立するために局限まで空気抵抗を低減させることを目的としており、離着陸時以外は主翼の補助フロートを翼端に引き上げて主翼の一部として機能させる他、旋回機銃座を格納式として巡航時の空気抵抗を削減させていた。
また同時に搭載エンジンも出力が増強されたため最高速度は11型に比して50キロ近く上昇していた。もっともこの速度性能の上昇がエンジン性能のせいなのか、空気抵抗の低減効果のためであったのかは実証が得られていなかった。
日本海軍の主力哨戒飛行艇として二式飛行艇11型、それに続いて22型が就役した後、武装や哨戒用機材を廃した輸送型が企画された。日本帝国の第二次欧州大戦への本格的な参戦に伴い、アジア圏と欧州を結ぶ航空路が本格稼働したが、この航路は当然の事ながら長大なもので太平洋での長距離哨戒を主任務としていた飛行艇の転用によって早期に長距離輸送機を取得しようとしたものであった。
日本本土や英国などはともかく、これらの間を繋ぐ中継地点となる植民地などでは大型機を受け入れられる本格的な空港が欠けていたからだ。
輸送機型として設計変更された31型は乗客のために窓を大量に設けた他、迅速な乗り降りのために機体前後の乗降扉を若干大型化していた。その一方で友軍支配地域を飛行するために、防御兵装は最低限の自衛戦闘が可能な程度とされて機体前後の機銃座二箇所のみが残された上に、20ミリ機銃からより軽量の13.2ミリ機銃に換装されていた。
また速度面や爆雷装の要求が緩和されたためにエンジンは22型で換装された大出力のものではなく、11型と同じより安価なものに戻されていた。電子兵装も航法支援や短距離通信用のものを除いて取り除かれていた。
当初はアジア−欧州間を結ぶ主力輸送機としても期待されていた二式飛行艇31型だったが、制式化された頃には植民地に点在していた小規模空港の急速な規模拡張が行われて大型陸上機の受け入れ態勢が整えられたために、哨戒機型に対する徹底した低コスト化が図られたとはいえ飛行艇故に高い運用コストから運用機はさほど多くはなく、人員の緊急輸送などに限られていたのが現実であった。
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