FM-1エアラクーダ




FM-1エアラクーダ


<要目>
全幅21.3m 全長13.7m 自重6.3トン 乗員5名 武装37ミリ機関砲×2(エンジンナセル内×2)、7.7ミリ機関銃×4(胴体前方固定×2、胴体内銃座×2) エンジン出力1,150hp×2 最大速度440km/h 航続距離4,000km


 1930年代末、民間機を爆撃機に転用した安価なB-18ボロでもって全金属製の近代的な爆撃機を入手した米陸軍航空隊は、同様の重爆撃機を仮想敵国が運用して米国を襲撃することを警戒して、有事の際にこれを迎撃出来る重装備の戦闘機の配備を計画した。
 おそらく英国の影響下にあるカナダが北米侵攻の策源地となることを警戒したのだろうが、同時にこちら側からの爆撃作戦時には爆撃機護衛の任務に就くことも想定していた。
 元々米陸軍航空隊の重爆撃機は米国に対する侵攻艦隊を外洋で哨戒、迎撃することも任務に入っていたのである。

 高々度飛行性能と重武装、さらに航続距離を要求されたこの戦闘機は、当時大型機の製造に特化するためにコンソリデーテッド社が小型機部門を分離子会社化したベル社のみが受注することとなった。
 ベル社はこの矛盾した戦闘機計画に対して、特異な配置で対応することとした。護衛対象同様に全金属製で引き込み脚の構造として、航続距離と速度の要求を満たすために双発重爆撃機並の巨体と高々度飛行用に排気過給器を備えたアリソン社製水冷エンジンの双発がそれだった。
 そこまでであればこの時期に各国で開発されていた双発戦闘機と変わらないように見えたが、実際には水冷エンジン双発をプロペラを後方に向ける推進式に配置しており、エンジンナセル前方の空いた空間には敵重爆撃機を一撃で粉砕しうる大口径の37ミリ機関砲をそれぞれ装備しており、胴体側には対戦闘機戦闘を考慮して前方固定、胴体両側面及び下後部に計4丁の7.7ミリ機関銃を備えており、一見して戦闘機には見えないが、さりとて爆撃機や攻撃機にも見えない奇妙な機体に仕上がっていた。
 搭乗員も操縦手と副操縦手、機銃手兼無線手に加えてエンジンナセル内の装填手2名という戦闘機とは思えない多数の配置が取られていた。当初は若干の爆装能力も要求されていたのだが、純粋な戦闘機に特化するために量産機では省かれていた。

 FM-1エアラクーダは、戦闘機というよりも爆撃機に近い機体で単発機のような戦闘機動も出来なかったが、進攻する重爆撃機を援護、あるいは迎撃出来る重装備かつ長航続距離の特異な機体として制式採用された。
 従来の単発戦闘機が追撃機の頭文字からPを記号としたのに対して、エアラクーダは多座戦闘機を意味するFMが付けられた。
 しかし、エアラクーダは制式採用はされたもののエンジンの加熱問題などの不具合が発生していたために、部隊配備は同時期に進められていたP-39よりも遅れて1941年となってしまっていた。
 護衛対象も鈍足のB-18からこれに改良を加えて高速化したB-23ドラゴンに変更されており、速度でややこれに劣るエアラクーダの実用性は疑われていた。
 これもあって早々と後継機の計画が持ち上がっており、カーチスP-71の開発計画につながっていた。
 最もこの時期の米国は他国と交戦状態になかったため正確な情報は伝わっておらず、重爆撃機と随伴する写真が殆ど撮影されていなかったこともあって概ね各国では重武装の迎撃機としか認識されていなった。
 第二次欧州大戦中にソ連への輸出、供与も一時期計画されていたのだが、戦闘機、軽爆撃機、襲撃機などの航空機においても地上部隊と協力して全縦深同時攻撃を実施するソ連赤色空軍においてはエアラクーダの立ち位置を明確化出来なかった為に、同軍士官が米国内で試乗したに留まっている。
 しかし、エアラクーダの実質上の後継機であるP-71に関しては重爆撃機を運用する長距離飛行隊に護衛戦闘機として配備されたことから、実際にはソ連赤色空軍が要求する水準にまでエアラクーダの性能が達していなかったというのが真相だったと思われる。


 


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