F14C




カーチスF14Cキティーホーク


<要目>
全幅11.5m 全長14.2m 自重4.8トン 乗員1名 武装20ミリ機関砲×4(翼内×4) エンジン出力2,400hp 最大速度700km/h 航続距離1,500km


 1940年代初頭、米海軍は艦載戦闘機であるF2Aの性能に劣ることを把握しつつあった。先の大戦同様に第二次欧州大戦においても最後まで米国は中立を保っていたものの、中立国経由で伝わってくる情報からも大戦中の各国における航空技術の飛躍的な発展は明らかだった。
 米海軍航空関係者の中からは新鋭機の開発を望む声が出ていたが、実際にはそれは難しかった。米海軍は他国と比べると艦載機を含む航空関係に対する予算割当が少なかったためだった。
 軍縮条約時代においては、主力である戦艦部隊に乏しい海軍予算を集中する必要があり、また軍縮条約が破棄された後も状況はほとんど変わらなかった。
 米国が大戦に巻き込まれる恐れが少ないと見ていたためか、当時のルーズベルト政権は国防予算も公共投資の一環として捉えており、費用対効果が高いと思われる巡洋艦の建造を重要視していたからである。
 労働集約型産業である造船業と比べると、戦間期に縮小する傾向のあった航空産業は投入する予算に対して雇用の創出効果が薄いと思われていたのだった。

 結局、米海軍は陸軍に採用されていたP-39を海軍仕様のFL-1エアラボニータとすることで、空母航空隊に比べれば遥かに生産数の大きかった陸軍航空隊向けの生産に便乗することになっていた。
 しかし、もとが陸軍機である上に、P-39は北米大陸に侵攻する敵爆撃機に対抗する迎撃戦闘機として開発されたものであるため艦上戦闘機としてみると不具合も少なくなかった。
 そこで、FL-1配備に前後して早くも海軍航空隊はより汎用性を高めた艦上戦闘機の開発をカーチス社に依頼していた。

 だが、戦艦部隊など米海軍の主流はこの新艦上戦闘機に対してより迎撃機としての能力を要求していた。この当時の米海軍の空母運用は、第二次欧州大戦において空母群の集中運用を行っていた日英などと比べると旧態依然としたものであり、あくまでも主力である戦艦部隊に随伴する迎撃機の洋上基地か、索敵部隊である巡洋艦に随伴する艦上偵察機の母艦としてのものでしか無かった。
 当初液冷エンジンを搭載した汎用戦闘機であったはずのカーチスF14Cキティホークは、大出力空冷エンジンに排気過給器、高高度飛行のための与圧コクピットなどを組み合わせた迎撃戦闘機よりの機体として完成していた。
 機体番号も当初の液冷エンジン搭載機がXF14C-1であったのに対して、正式採用されたものはF14C-2とされていた。

 F14C-2は世界的に見ても標準的といえる20ミリ機関砲4門を装備し、高高度において時速700キロに達するという高速性能をもって1943年には早くも正式採用されたが、実際には従来と比べて格段に大出力のエンジンは未だ信頼性の低いものでしかなかった。米海軍航空隊においてF14Cキティーホークが主力機として万全の信頼を得るには、全面的な改良を施されたF14C-3の生産開始以降のことだった。
 だが、当時の海軍機としては過剰であるとして与圧式コクピットなど排除して軽量化されたF14C-3は、本来米海軍が要求したものではなかった。実は初期型のF14C-2は、若干機がソ連海軍にマクシム・ゴーリキィ級軽航空巡洋艦の艦載機として納入されていたのだが、ソ連海軍では米海軍に先んじて過剰な高高度飛行能力は不要として与圧コクピット周りの機材を撤去してしまっていたのである。F14C-3の仕様は、このソ連海軍機の改造をもとにしたもののだった。
 また、大出力エンジンと排気過給器によって搭載量の大きかったF14C-2は、搭載機数の少ない航空巡洋艦を運用するソ連海軍では戦闘爆撃機としても運用されており、米海軍においても戦闘機以上に予算が承認されなかったために旧式機の運用を余儀なくされていた艦上爆撃機の代用ともされていた。

 なお、P-39とは逆に米陸軍においても同機の後継機としてF14Cから主翼の折り畳み機構などを廃した機体がP-73キティーホークとして制式採用されていた。ただし、こちらはより迎撃機としての能力が求められていたために、F14C-2を原型とした与圧コクピットを有するものとされていた。


 


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