栃型駆逐艦





<要目>
基準排水量 2,550t   全長 108.2m  全幅 14.2m  CODOG 2軸
速力 26.5ノット  乗員 150名

兵装
単装65口径8cm両用砲 1基
六連装対潜噴進弾発射機 1基
八連装対空誘導弾発射機 1基
四連装対艦誘導弾発射機 2基
30mm多銃身機銃 2基
同型艦 多数

 栃型は、日本海軍が大型化、高額化する一方の汎用駆逐艦に対して、沿岸防衛用として用途を絞ることで安価に建造することを狙った二等駆逐艦である。
 日本海軍では、かつて基準排水量一千トンを境目としてそれ以上を一等、それ以下を二等駆逐艦として類別していたが、40年代末に類別基準は改定されており、汎用型の艦隊型駆逐艦を一等駆逐艦とし、それ以外の船団護衛用などの単任務型を二等駆逐艦としている。

 栃型は目立つ特徴を持たない艦である。高価なフェーズドアレイレーダー等は搭載せずに対水上、対空、対潜にそれぞれ特化した兵装をバランスよく搭載している。
 しかしながら、日本海軍にとっては悪い意味で沿岸防衛用という用途そのものが特徴となってしまった。当時の日本海軍にとって沿岸防衛任務が必要性の薄いものだったからである。

 当時の日本帝國は隣国を同盟国や脅威とならない国家に囲まれていた。北端の国境を接するシベリア−ロシア帝国はその成立過程から日英同盟が深く関わっていたほどの同盟国だったし、満州共和国も日英両国による実質上の保護国だった。満州の東に位置する大韓帝国とはしばしば外交上の紛争が生じたが、互いの戦力に隔絶の差があるため、双方共に軍事力を用いることはありえなかった。
 唯一紛争が起こりえるとしたら南北中国(中華人民共和国、中華民国)と台湾海峡を挟んで位置する台湾自治区しかありえなかった。実際、栃型の多くは台湾自治区に配備されていた。しかし南北中国は殆どお互いしか見ておらず、台湾に対する脅威度は決して高くは無かった。
 むしろ台湾自治区への配備は両中国への備えというよりも、台湾島に程近い米国領フィリピンへの備えというべきだった。

 近海作戦に特化した栃型は侵攻作戦に従事するには外洋作戦能力に乏しかった。近海防衛用に設計されていたため速力は低く、また航続距離も短かった。また外洋での対潜作戦に必須の哨戒回転翼機を運用する空間が無いことも問題となった。
 栃型が戦時に外洋作戦に借り出される際は、旧式空母を改装して哨戒回転翼機を集中運用する対潜空母と共に対潜分艦隊を編成する計画だった。

 これだけの制約がありながら、各種兵装をバランスよく搭載したために、船価は汎用駆逐艦よりもは低かったもののそれなりの金額になっており、近海防衛のみに用いるには高価すぎた。
 それ以上に日本海軍は遠洋作戦能力を重視していたため近海防衛任務は軽視されがちな傾向があった。また領海内の警備や救難活動は兵部省海上保安局の任務であったため、任務範囲の重なるところの多かった栃型の価値は政治的な面から言っても微妙なものとなっていた。打撃力こそ劣っているものの、海上保安局の大型巡察艦は栃型に匹敵する能力を十分に有していたのである。
 もちろん船価は大型巡察艦の方がはるかに安価だった。
 事実、日本海軍が栃型の実質上の後継として計画したのは鎮守府等の要地防衛に特化した水雷艇(ミサイル艇)であり、打撃力のみを保持したままさらなる小型化への道をたどっていた。

 栃型はむしろ日本海軍よりもアジア諸国からの評価が高かった。日本海軍では中途半端なサイズだった本型だったが、政治的、予算的な制約から沿岸海軍を指向する各国にしてみれば栃型は主力艦として運用するのに手ごろなサイズだった。
 アジア諸国からの打診を受け、栃型は一部簡略化や小規模な改設計を行った輸出仕様が多数建造された。各国で技術供与によってライセンス建造された艦や、早期に日本海軍から退役し第二の人生を売却先のアジア諸国海軍で過ごす艦も多かった。
 配備先の各国の実情に合わせた細かな改装が多いためそのバリエーションは豊富だが、艦型に大きな変更があるものは少ない。例外として回転翼機を搭載するため航空艤装が施された樅型がある。



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