ソルダティ級駆逐艦アルティリエーレ



アルティリエーレ1938年就役時

アルティリエーレ1939年パッセロ岬沖海戦時

アルティリエーレ1940年タラント沖海戦時

アルティリエーレ1940年タラント沖海戦時


<要目>
基準排水量 1,690t   全長 106.70m  全幅 10.15m  蒸気タービン 出力 48,000馬力(2軸)
速力 38ノット  乗員 165名

兵装
連装50口径12cm砲 2基
単装50口径12cm砲 1基
連装13.2mm機銃 4基
三連装53.3cm魚雷発射管 2基

要目数値はいずれも就役時

 第二次欧州大戦において、優勢な英国海軍地中海艦隊に対して、イタリア海軍は戦時体制への移行の遅れなどから開戦初期より不利な状況での戦闘を強いられていた。
 劣勢のなか多くの海戦に参戦するもしぶとく残存していたのが、ソルダディ級駆逐艦の一隻アルティリエーレである。
 しかし、大規模な戦闘から帰還はするものの、多くの場合は有力な敵艦隊と果敢に交戦した結果、損害が激しく、大破と認定されたときもあったほどだった。
 同国海軍では使い勝手の良い駆逐艦級艦艇の損耗が激しかったことから、損害が発生するごとにその都度可能な限り復旧工事が行われていたが、イタリア王国の工業化、標準化の遅れなどを反映してか旧状態への完全な復旧が行われることは少なく、ありあわせの資材を用いた工事が多かった。
 就役当時はソルダディ級第一グループ、それも初期建造艦の一隻に過ぎなかったアルティリエーレだったが、この損害復旧工事に伴い新たに開発、あるいは同盟国から輸入されたレーダーや対潜装備などの追加機材の搭載を行われることもあったようである。
 これに加えて、特に損害が発生する確立の高い上部構造物などは、大戦中盤移行は建造中、または建造中止となった同型艦用に建造されていた資材を流用される事が多くなっており、戦訓によって段階的に行われた舷窓の閉塞工事なども合ってアルティリエーレは第二次欧州大戦に参戦した艦艇の中でも艦影の変遷が激しい艦として知られることになった。





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