二式艦上爆撃機彗星




二式艦上爆撃機彗星12型


二式艦上爆撃機彗星33型


<要目>
全幅11.5m 全長10.2m 自重2.6トン 乗員2名 武装7.7ミリ機銃×2(機首固定機銃)、7.7ミリ機銃×1(後方旋回機銃) エンジン出力1470hp×1 最大速度590km/h 航続距離2,400km 二式艦上爆撃機彗星12型
全幅11.5m 全長10.2m 自重2.5トン 乗員2名 武装7.7ミリ機銃×2(機首固定機銃)、7.7ミリ機銃×1(後方旋回機銃) エンジン出力1560hp×1 最大速度570km/h 航続距離2,500km 二式艦上爆撃機彗星33型


 日本海軍は、精度の高い急降下爆撃によって敵空母の飛行甲板を無力化することを狙った艦上爆撃機を1930年代半ばから主力機の一種として採用し始めた。複葉の九四式艦上爆撃機から始まった日本海軍の急降下爆撃機だったが、この時期の航空技術の進歩は凄まじく、現在の主力機も早晩に旧式化するのは明らかだった。
 この状況に対して日本海軍では、艦上爆撃機を相次いで製造していた愛知時計電機に次期主力艦上爆撃機となる後の九九式艦上爆撃機の試作を命じるとともに、海軍内部の航空技術廠で次次期艦上爆撃機の試作を自ら開始した。
 日本海軍の航空技術開発センターであった空技廠で試作設計されただけあって、この次次期主力艦上爆撃機は民間企業では採用を躊躇するような最新技術が投入されており、それまで比較的保守的だった急降下爆撃機を一気に進化させることが出来るはずだった。
 海軍の艦上機としては珍しい水冷エンジンの採用も空気抵抗を低減させて高速化を図るためだった。水冷エンジン以外にも従来の油圧式に比べて採用実績はないがコンパクトな駆動部の電気式化や複雑巧緻なファウラー式フラップなど採用された最新技術は数多かった。
 水冷エンジン事態の配置にも工夫が施されており、エンジンを搭載した機首下部に配置されたエンジン冷却水冷却器は潤滑油冷却器の後方に配置されて前方投影面積を最小限に抑えていた。この前後に配置された冷却器の後方は開閉扉を持つ爆弾倉となっており、急降下時にはプロペラ回転半径外まで爆弾を引き出すための誘導枠と一体化した爆弾架が備えられていた。
 これらの空気抵抗低減策もあって二式艦上爆撃機として採用された本機は九九式艦上爆撃機に比して最高速度で毎時百キロ以上、航続距離で倍以上という高性能を発揮した。
 この高速を利して、生産開始された機体の爆弾倉には、爆弾架と交換でフェリー用を兼ねる落下式燃料槽及び偵察用高感度望遠レンズを備えたカメラを搭載することで高速艦上偵察機として運用することも可能だった。

 高性能を発揮した一方で最新技術を惜しみなく投入した二式艦上爆撃機の構造は従来機よりも格段に複雑化しており、大規模な生産設備を持たない空技廠にかわって製造を委託された愛知時計電機では、空技廠から支給された製作図面の少なくない数が一部描き直されて改修されていた。
 当初からこの複雑精緻な機体構造が生産段階でネックとなることは予想されていたが、二式艦上爆撃機を試作開発した空技廠ではさしてこれが問題となるとは考えていなかった。
 この艦上爆撃機は高速で超長距離の敵航空母艦を先制攻撃して制空権を確保するためのいわば空母部隊専門の機体であり、少数生産となるであろうことから複雑な構造でも許容されるはずだったのである。

 1942年に制式採用された二式艦上爆撃機は、マルタ島沖海戦頃から偵察機兼用の爆撃機として実戦投入が開始された。このとき艦隊に配備されたのは1150馬力のマーリン12を装備した初期型とも言える二式艦上爆撃機11型だったが、マルタ島沖会戦後半に行われたシチリア島への何波かの対地攻撃の強行によって二式艦上爆撃機11型を装備した部隊は壊滅的な損害を受けた。
 この際の損害は、会戦後事実上更迭された第二航空戦隊司令官の山口少将による独断によるものであり、特に二式艦上爆撃機の性能が問題となるものではなかったはずであり、この直後マーリン12から1470馬力へと飛躍的に大出力となったマーリン45を装備した二式艦上爆撃機12型の制式化と生産が開始されたことからもそれは伺えたはずだったが、航空部隊所属の将兵からの目は厳しかった。

 シチリア島への強襲で大損害を被ったのは同じく新鋭の二式艦上攻撃機天山でも同様であったはずなのだが、従来機の九七式艦上攻撃機の発展形に見える二式艦攻天山と比べると、九九式艦上爆撃機と二式艦爆彗星の形状は大きく変化していたものだから余計に現場の将兵が不信感を抱いたのではないだろうかと思われる。
 また、こうした感情面によるもの以外にも、母艦部隊には現行の彗星に反発する理由があったのである。それは彗星の高速性能を支えているはずの水冷エンジンそのものにあった。この当時の艦上機の大半は空冷エンジンであり、規模の限られる艦上運用部隊において空冷エンジンに加えて水冷エンジンの専門性を強く有する整備能力を用意するのは厄介だったのである。
 それに加えて、遣欧艦隊では被弾の可能性の高い対地攻撃任務が専らでありその点でも、より被弾に強い空冷エンジンの方が適当であったといえよう。

 こうした現地部隊の強い要望を受けて急遽生産が開始されたのが三菱製の金星エンジンを搭載した二式艦上爆撃機33型であったが、その試作開発に要した時間は公式上には極端に短いものであり、実際には水冷エンジンの精細さを危ういんでいた愛知時計電機のスタッフが自主的に空冷エンジンへの換装を研究していたようである。
 幅が狭く高さのある水冷エンジンから、前方投影面が真円に近くより幅のある空冷エンジンへの換装は容易なことでは無かったはずだが、愛知時計電機のスタッフは高さ方向の減少に関しては機首下部に潤滑油冷却器などを集中して嵩を上げて爆弾倉に連なるラインを維持していた。
 また、エンジンと胴体間の接合部横方向に生じる段差に関しては、鹵獲されたドイツ製Fw190などの処理を参考にして、単排気管を真横に集中させてエンジン排気の排出によって乱流の発生を抑制する推力式排気管によって性能の低下を防いでいた。それ以外の胴体部に関しては殆ど変更は加えられなかった。

 翌1943年には早くも部隊配備を開始した二式艦上爆撃機33型は、水冷エンジンを搭載した現行の12型に対して信頼性や被弾時の強靱性こそ上回っていたものの、肝心の高速性能はやや劣っていることは否めなかった。
 もしも、二式艦上爆撃機が当初の空技廠の想定通りに敵航空母艦への先制攻撃専用の少数生産機であれば、水冷エンジン搭載の彗星12型の方がよりふさわしいといえたのかもしれないが、予想に反して第二次欧州大戦での空母部隊の主要な任務は対地攻撃であり、33型の方が重宝されていた。
 また、中島飛行機に吸収された愛知時計電機の航空機部門がこの後に艦爆、艦攻を兼ねる万能攻撃機として開発した流星もまた空冷エンジン搭載機となっていた。

 艦隊配備の艦上爆撃機としては主力の座を33型に譲った12型であったが、その高速性能は捨てがたく、整備能力に不安のない地上部隊では零式艦上戦闘機44型などとともに水冷エンジン搭載機の12型を使用する部隊も少なくなかった。
 また、艦隊防空任務専門艦に指定されていた海防空母岩国では、艦上戦闘機を高速の零式艦戦44型に統一していたため、同じマーリン45を使用する彗星12型を引き続き使用していた。
 もっとも防空空母として運用されていた岩国では、彗星の任務は敵航空母艦への先制攻撃などではなく、その高速性能と航続距離を活かした長距離電探哨戒飛行や戦闘機隊の誘導が主任務であった。

 艦隊配備後早々に主力艦上爆撃機としての座を譲ることになった彗星12型であったが、信頼性の向上した33型にしても敵空母の飛行甲板を無力化するという艦上爆撃機本来の想定から兵装搭載量は500Kg爆弾が精一杯であり、対地攻撃の主力とするには物足りないものがあったのも事実であった。
 これらの点から決して現地部隊からの評価はさほど高いものではなかった彗星だったが、その飛躍した性能や新機軸は後継機開発時に活かされることとなった。実際に後の万能攻撃機流星でも彗星で採用された電動式駆動部やファウラーフラップなどは受け継いでおり、その点では空技廠の主任務の一つであった民間企業では不可能な新技術の開発と各社への浸透という役割は十分に果たせたといっても良かっただろう。


 


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