翔鶴型空母




翔鶴型空母


<要目>
基準排水量 29,500t   全長 260.6m  全幅 26.0m  蒸気タービン 出力 160,000馬力(四軸)
最大速度 33.1ノット  乗員 1600名

兵装
連装65口径10cm両用砲 8基
三連装25o機関銃 12基
搭載機 固定翼機60機

同型艦 瑞鶴


 1930年代半ば、日本海軍は軍縮条約の無効化を見越して条約制限を超えた保有枠の空母建造を企画していた。しかし、予想に反して軍縮条約は日本海軍の保有枠増大という改定を行ったうえで存続された。
 これにより日本海軍は戦艦や巡洋艦の建造を行ったが、空母に関しては軍縮条約の改定でも保有枠の拡大が行われることなく、新空母の建造はこの時点で一時的に凍結された。
 しかし、欧州での政治情勢の悪化を背景に日本海軍は商船からの改装空母の母体となる優秀商船の確保などとともに、軍縮条約の無効化を見越した新空母の設計を再開していた。
 この新空母設計案は1930年代に計画されたものを原形とはしていたが、友軍英国空母の構造などを参考に被弾時の損害復旧を狙って飛行甲板に装甲を施していた。これが第二次欧州大戦勃発後に建造された翔鶴型航空母艦であった。

 翔鶴型航空母艦は装甲化以外にもこれまでの空母運用などから得られた教訓を反映されていた。例を上げれば実運用上は使用頻度が低く、実質的に飛行甲板の一部として固定されることの多かった中央部の中部エレベーターの廃止などがあった。
 実際には飛行甲板後部に着艦した機体は着艦制動柵前方の着艦機収容区画に移動されて滞留してから前部エレベーターで格納庫に降下されており、出撃時も前部エレベータと後部エレベータを用いれば十分に発艦機を並べられるために、中部エレベーターの使用頻度は低かったのである。
 翔鶴型の飛行甲板装甲区画はこの前後部エレベーターの間に施されており、閉鎖された格納庫内での敵爆弾の爆発や損害後の迅速な普及を目的としたものだった。
 また飛行甲板の装甲重量対策から従来艦とは異なり重心を下げるために格納庫は一段とされていた。最もこの時期から日本海軍は航空機の塩害対策などが進んだことから特に戦闘機などでは積極的な飛行甲板への露天係止を実施しており、これにより格納庫を一段としても搭載機数を確保できるとの判断が前提としてあったと思われる。
 またエンクローズドバウとされた艦首と搭載艇収容区画近くまで閉位構造とされたおかげで格納庫の前後方向は拡大されており、主に補用機格納箇所、重整備区画とされたものの、前後部エレベーターの外側にまで格納庫は拡張されていた。

 第二次欧州大戦中盤に就役した翔鶴型二隻は、マルタ島沖海戦で撃沈された龍驤、赤城の代替として遣欧艦隊に派遣されてその強固な装甲を活かして最前線で活躍した。
 しかし、実際の運用ではその装甲の有用性は確認されたものの、装甲化されて上部の重量が増したために従来型同様に排煙の影響による乱気流を避けるために海面に向かって下側に傾斜した煙突からは、海面状況次第では海水が流入することがあり、穏やかな地中海での行動中では支障は生じなかったが、大西洋に戦域が移行すると問題が顕在化したため海水流入を阻止するために改造工事が行われた。
 最もこの現象は以前より想定されており、予め改装空母隼鷹型で試されていたように次級大鳳型では艦橋と一体化した上向き外側の煙突が採用されていた。
 日本海軍の新型空母としては過渡期のものとなった翔鶴型だったが、装甲化された艦体は近代化改装による発着艦装置の更新などによってジェット化にも対応し太平洋戦争でも米海軍の空母部隊と渡り合った。






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