シャルンホルスト級空母



ポツダム

空母飛隼(旧グナイゼナウ)

空母神鷹(旧シャルンホルスト)

空母シャルンホルスト


<要目>
基準排水量 20,900t   全長 189.3m  全幅 25.6m  蒸気タービン 出力 26,000馬力(二軸)
最大速度 21.5ノット  乗員 800名

兵装
連装40口径12.7cm高角砲 4基
三連装25o機関銃 8基
搭載機 固定翼機30機
(空母神鷹(旧ドイツ客船シャルンホルスト)終戦時)
準同型艦、飛隼(旧ドイツ客船グナイゼナウ)


 第二次欧州大戦開戦前、列強各国は大西洋横断ルートなどに投入するために国家の威信を掛けて豪華客船を投入していた。先の大戦における敗戦後の復興を宣伝するために、ドイツでも最新技術を惜しみなく投入したシャルンホルスト級3隻を連続建造して極東航路に投入していた。
 この3隻のシャルンホルスト級は、ドイツ海運界の看板とも言うべき大型客船であったために、第二次欧州大戦開戦後にある計画に投入されていた。ドイツ占領地域の欧州からユダヤ人をフランス領マダガスカル島へ強制移民させる計画である。このユダヤ人の欧州追放とも言える移住計画は、日本海軍が枢軸、英国双方の衝突を避けるために護衛戦力を提供していた。
 ところが、シャルンホルスト級3隻は移送計画途上で日本帝国がドイツに宣戦布告を行ったために、マダガスカル島を目前にしたところで日本海軍に拿捕されてしまっていた。

 急遽有力な大型客船を入手した日本帝国だったが、この3隻の使い道は結果的に大きく異なっていた。日本海軍では、有事の際に不足する正規空母戦力を補うために徴用予定の優秀客船を補助空母に改装する計画があり、当初は拿捕された客船も同様に改修する予定が立てられていた。
 ところが、客船改造空母の存在そのものが現実との齟齬を見せていた。計画では有事の際に出師準備計画に従って徴用、改装を行うはずだった客船の多くがその姿のままで運用を余儀なくされていたからである。
 当初はユダヤ人移送計画に参加するために大型客船の多くが欧州に派遣されていたためだったが、それ以前に日本帝国の想定では欧州において再度大戦が勃発した際に出撃拠点となるはずだったフランス本土はすでにドイツによって蹂躙されており、日本帝国は自らの兵力を最優先で地中海戦線に送り込まなければならなかった。
 大型客船を兵員輸送を行う場合、最小限の改装を行った状態でも最大で一個師団にも相当する将兵を一挙に輸送する事が可能であり、しかも貨物船よりも遥かに高速であるために潜水艦の襲撃を実質的に無効化出来る効果もあった。つまり最新鋭の豪華客船は、中途半端な改装空母よりも護衛戦力が不足していた大戦序盤において必要不可欠な存在だったのだ。
 空母改装計画は軒並み延期されており、建造中のところを海軍に購入された後に隼鷹型となる橿原丸型2隻のみが当初計画どおりに改造工事が開始されていた。

 鹵獲した3隻のシャルンホルスト級に関してもシャルンホルスト、ポツダムの2隻は原型のまま兵員輸送船として運用し、グナイゼナウのみが改装空母計画の実験を兼ねて簡易空母に改装される事となった。その扱いに関しても、日本海軍に鹵獲されたために客船形状の2隻は運航を海運会社に委託されており、船名の変更も船会社に委ねられたが、実際の運航にあたっては「ポ」号、「シ」号と記載された書類が残されている事から船名変更はされていなかったものと思われる。
 空母改装を受けたグナイゼナウのみは、特設艦船ではなく鹵獲されて海軍籍に編入されていたことから、空母飛隼の名が与えられていた。
 飛隼の改造内容は比較的単純なものだった。設計、建造を国内で行っていた本来の改装空母予定船と違って詳細な設計図がなく、改装空母計画で使用するはずだった調達済みの資機材を十分に活用するのが難しかったからだ。
 大雑把に言えば、改造対象は上甲板以上に集中しており、本来の上部構造物を撤去して格納庫と一体化した艦橋などを設けている。飛行甲板は格納庫と艦橋の更に上にあり、改装前の前部デリック付近に設けられた艦橋を覆い隠すように前後に伸びていたが、水線長からすると飛行甲板長さは短かった。
 これは改造によるトップヘビー化を抑えるためと思われるが、艦橋が前部に移動した事もあって改装後の操船は難しくなっていたとの証言も残されている。

 改装空母としては早い時期に就役した飛隼は船団護衛用の海防空母などと比べると正規空母に近い性能を持つ為に、改装空母の実績を確認することが期待されていたのだが、その運用実績は期待外れと言ってもおかしいものではなかった。
 艦橋配置の問題から操船し辛いことは既に分かっていたが、それ以外にも速力の低さから高性能化、大型化が著しい正規空母用に開発された艦載機を運用するのが難しいことが分かっていたのだ。
 それ以上に、シャルンホルスト級ならではの問題もあった。ドイツ自慢の高速客船を成り立たせるために必要不可欠な高圧蒸気缶は、実際には整備性、運用性共に劣悪なものでしか無かった。ドイツで運用されていた時期から熟練の機関員がなだめすかして豊富な予備部品を用意して運用していたのだが、そもそもドイツ規格と日本標準規格では標準化された寸法も異なるし、規格化されていない部品も少なくないから代替品を用意するのも難しかった。
 結局、飛隼ではボイラー圧力を減じて何とか普段の運用を行わなければならなかったために、結果的に船団護衛空母としては順当な速度となるという皮肉な結果を生んでいた。

 多くの苦労を経て実用化された飛隼だったが、海防空母の数が揃うまでの間に転用されていた船団護衛任務中に皮肉なことにドイツ海軍の潜水艦によって大西洋で撃沈されていた。
 飛隼(旧グナイゼナウ)が撃沈された頃、日本陸軍の初期兵力はすでに欧州に移動を終えていたこと、同級機関部の取り扱いの難しさ、さらには戦時標準規格船が順調に就役していたことで将兵の輸送も護送船団に随伴する兵員輸送型戦時標準規格船で十分間に合う様になってたことなどから、ポツダムは兵員輸送の任務を外されて地中海で宿泊船に転用されるようになっており、停戦時もイタリアでこの任務についており、戦後は賠償としてイタリア王国に引き渡されていた。

 シャルンホルストは飛隼(旧グナイゼナウ)に続いて兵員輸送が一段落した時点で空母化工事が始められてしまっていたが、その内容は若干飛隼の運用実績が反映されたものになっており、小型ながら島型艦橋が設けられて航空機運用、操船共に容易になっていた。
 ただし、空母神鷹として就役した頃は、日本海軍の補助空母の主力は量産性の高い海防空母に移っており、神鷹を含む客船改装空母は航空機輸送艦として使われることが多かった。
 それも航空機を遥か欧州に輸送する場合は、輸送効率を重視する際は現地の航空廠で組み立てることを前提に部品状態で貨物船に満載して輸送されており、逆に時間が限られている場合や分解の難しい大型機では空輸専門部隊によって英国植民地などを経由して自力飛行を行っていた。改装空母によって原型を保ったままの航空機輸送はやや中途半端な立ち位置にあるために結果的に日本から欧州に向かう航空機輸送の主力とはなり得なかった。

 幸運なことに第二次欧州大戦を生き延びた神鷹は、戦後数年後にドイツ海軍に返還されて今度は空母シャルンホルストとして再就役していた。国際連盟海軍の一員として戦後のドイツ連邦海軍は船団護衛を主任務としており、対潜哨戒回転翼機の運用と船団護衛部隊旗艦として同国海軍の旗艦とされたのである。
 シャルンホルストとしての再就役にあたっては同国海軍旗艦にふさわしい指揮能力を得るために各種レーダを含めて艦橋部の容積が大きく拡大されており、司令部要員の乗艦を可能としていた。対空兵装の一部がこれに伴い撤去されていたが、それでも安定性の悪化は明らかであったために速力の低下を覚悟して側面部にバルジを設けている。この時点で旧式化していた日本製の対空火器も国産化が検討されたが、同時期のドイツ海軍の予算が限られていた事や戦後のドイツ工業界では大口径対空砲の製造が困難であったことなどから断念されている。

 やはり皮肉なことに、ドイツ海軍は戦時中は一隻も実用化できなかった空母をあっさりと手にしたばかりか、あれ程潜水艦による通商破壊を重視していた海軍が戦後は対潜戦を重視する羽目になっていたのである。






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