隼鷹型空母



隼鷹型空母

橿原丸型客船


<要目>
基準排水量 27,500t   全長 219.3m  全幅 26.7m  蒸気タービン 出力 57,000馬力(二軸)
最大速度 25.5ノット  乗員 1100名

兵装
連装40口径12.7cm高角砲 6基
三連装25o機関銃 14基
搭載機 固定翼機50機

同型艦 飛鷹


 1930年代に列強各国は大西洋横断航路向けなどの豪華客船の建造に盛んになっていた。それらは船舶としての性能はもちろん、国家の威信を示すため外観や内装の豪華さをも誇っていた。
 それまで貨物船を主力として船隊の強化に努めていた日本帝国の船会社も、欧州列強に続いて政府の強い要請と援助を受けて豪華客船の建造に乗り出していた。
 これまでの日本客船で最大級であった新田丸型を大きく上回る高速大型客船として建造されたのが橿原丸と出雲丸であった。
 船主は日本郵船であったが、設計には民間の造船所だけではなく日本海軍艦政本部の設計者も加わっており、優秀船舶建造助成施設法を受けて建造された出雲丸は豪華客船であると同時に、有事の際には海軍の徴用対象となる特設艦艇候補に挙げられていた。
 特に橿原丸型二隻はこれまでの日本船を超える高速性能と船体寸法を持つことから有事の際には正規空母に準ずる性能を持つ改造空母の母体となることが期待されており、後にエレベーターとなる区画なども当初から設けられていたのである。

 優秀船舶建造助成施設法案の対象となり改造空母の母体となるはずであったのは橿原丸型だけではなく新田丸型など多数があったが、実際に第二次欧州大戦勃発を受けて直ちに空母への改装工事が実施されたのは開戦当時も建造中で未完成状態であった橿原丸型二隻だけだった。
 改装予定であった他の大型客船の多くは、ユダヤ人移送計画に従事するためにドイツ本国に派遣されていたからである。ナチス・ドイツが当初計画していたユダヤ人の強制移送計画は、急速に占領地が拡大されたことで対象が増大し続けたことから実施は困難視されていた。
 これはユダヤ人蔑視の政策を取るナチス・ドイツが欧州からユダヤ人を排除するため、占領したフランスの植民地であったマダガスカルへと追放しようとしていたものだが、その護衛も輸送手段も確保できないことから、逆に欧州各地に強制収容所を設ける計画へと移行するはずだった。
 これを察知した国際連盟の難民問題機関がこの当時は中立を保ちつつも大規模な艦隊と輸送船団を有していた日本帝国に計画への参加を打診していた。
 この計画がなぜドイツ側から国際連盟に伝達されたのかなど現在もこの移送計画の実施には謎が多いが、いずれにせよ本来は有事の際に空母に改造されるはずであった高速大型客船の多くが移送に携わるために改装工事の機会を逸したのは事実である。

 移送計画開始時には建造中であったために移送作業には従事せずに空母への改装工事が早々に実施された橿原丸型だったが、他船の改装工事が進まなかったことで微妙な齟齬を生じていた。
 本来は改造空母も正規空母に準じた扱いとなる予定であったが改装を受けて空母となったのが橿原丸と出雲丸の二隻だけだったために扱いに困った日本海軍は、当初は特設航空母艦籍に置いた上で、艦名も橿原丸と出雲丸のままとして船団護衛や航空機の移送などの二線級の任務に従事させていた。
 ユダヤ人の移送計画が一旦終了し、改装空母が続々と工事に入った頃になってようやく橿原丸型は特設航空母艦籍から正規の航空母艦籍へと移行し、軍艦としての隼鷹、飛鷹の名称が新たに与えられた。

 航空母艦へと改装された隼鷹は、客船時代の上甲板部分を格納庫床面として、大型の居住区の代わりに格納庫と島形艦橋を設けていた。
 隼鷹型の艦橋は、これまでの日本海軍の空母と違って煙突と一体化したもので、この当時建造が開始されていた大鳳型に準じたものであり、このレイアウトの実用性を実艦で確かめるためのものでもあったと言われている。
 この他の航空艤装は簡易化された他の改造空母と違って、ほぼ正規空母に準じたものが施されていたが、原型が高速客船であっても正規の空母に比べると速力に劣るために、地中海に派遣されていた空母赤城と龍驤が撃沈されるまで遣欧艦隊に配属されることはなかった。
 当時最新鋭であった二式艦爆、艦攻を運用するのは速力や飛行甲板面積からすると難しかったため、船団護衛についていた隼鷹と飛鷹は英国本土で海防空母同様の新型油圧式射出機や着艦拘束装置を飛行甲板に装備するとともに、飛行甲板の張り増し工事も同時に受けていた。
 この飛行甲板の張り増し部分は艦橋の左舷側になる部分に広がる形で設けられており、のちの斜め飛行甲板に近い形状となっていた。その後の運用で実際に斜め飛行甲板の一部としても使用されたこの張り増し部分は、本来は発着艦によって飛行甲板が専有されている際の待機場所だった。
 従来の日本海軍の空母では直援機の出撃待ちなどに下部湾曲式の煙突の上に繋止用の張り出し桁を設けていたのだが、当然煙突と一体化した艦橋を持つ隼鷹型ではこれを装備することはできなかった。
 しかし、小型の空母では着艦時に大きな空間を使用することから着艦機を飛行甲板の一部である前部エレベーターで迅速に収容する事ができないため、飛行甲板前半に滞留機が生じるケースが多かった。
 そこで着艦機の移動や射出機を利用する発艦機の待機場所として飛行甲板の張り増しが設けられたのである。

 これらの改装工事によって、正規空母と比べると鈍足ではあるが、一応は航空艦隊での運用が可能と判断された隼鷹と飛鷹は蒼龍型に準ずる航空母艦として遣欧艦隊に編入されていた。
 他の改造空母は船型が小型すぎる上に、改装工事が終了して再就役する頃にはすでに代替となる海防空母が続々と就役していたためにほとんど航空機輸送艦として運用されており、実際に前線に投入された改造空母はほとんど隼鷹型の二隻だけだった。






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