空母ファルコ





<要目>
総トン数 7,100t   全長 160.1m  蒸気レシプロ 出力 12,650馬力(二軸)
最大速度 23.7ノット  乗員 550名(航空隊含む)

兵装
航空機 20機(予備機含む)

 空母ファルコは、イタリア海軍が1930年代末に整備した水上航空機母艦である。
 元々は、旧式化した水上機母艦ジュゼッペ・ミラーリア代艦として要求された新水上機搭載母艦であったが、海軍部内においてその優先順位は必ずしも高いものではなかった。
 ある意味において、海軍編入当初の空母ファルコは、むしろ招かねざる存在だったのである。

 1930年代、イタリア海軍は他国海軍と同じく空母を中核とした艦隊の再編成を構想していた。
 結局、この航空艦隊とも言うべき思想は、予算不足や、フランス海軍が建造したダンケル級戦艦への対抗としての戦艦建造などによって頓挫することとなったが、この当時のイタリア海軍内部の航空関係者が目指していた空母は、明らかに日英米やフランス海軍などが保有する飛行甲板を持ち、陸上機同様の機構を持つ艦上機を離着艦させる純然たる正規空母だった。

 後に空母ファルコとして導入される計画はこれとは全く別のもので、1927年に就役したジュゼッペ・ミラーリアの代艦計画であった。
 ジュゼッペ・ミラーリアは、1923年に客船チッタ・ディ・メッシナとして起工された後、海軍が取得、水上機母艦として運用していた。
 イタリア海軍が初めて運用する航空機母艦であるジュゼッペ・ミラーリアは、実質上は本格的な母艦としての装備や運用に関するノウハウを得るための実験艦としての性質が強く、その運用実績は決して悪くはなかったものの、実用艦として満足できるレベルではなかった。
 そのため、運用開始から数年後には早くも、ジュゼッペ・ミラーリアで得られたノウハウを反映した代艦、あるいは二番艦の予算請求が出されていた。
 しかし、当然ながらその優先順位は、ほぼ同時に予算請求されていた正規の空母よりも低く、半ばアリバイ作りのための予算請求に過ぎず、イタリア海軍の航空関係者達は、正規空母の建造が断念されたと同時に、新水上機母艦も計画は断念されたものと考えていた。
 ドイツ海軍が有力な装甲艦を建造開始したことで、それに対抗するためにフランス海軍がダンケルク級戦艦を建造、それにさらに対抗するためにイタリア海軍は旧式戦艦の改装と後にヴィットリオヴェネト級となる新戦艦の建造に注力していたからである。
 唐突に新水上機母艦計画が復活するのはそれから数年後、1930年代も後半に入ってからのことだった。
 ただし、復活したその計画を推進したのは海軍関係者ではなかったのである。

 1930年頃、イタリアの海運都市ベネチアにある船会社が豪華客船を地中海において運行していた。
 豪華客船「地中海の女王」号は、欧州各国の富豪たちが競って乗り込んだと言われるが、伝統ある名家揃いの富豪たちも、大恐慌の流れには逆らえず、1930年代半ばには予約が定数にまで届かずにクルーズが中止となることもあった。
 それだけならばクルーズ航行間隔の延長や、コストの削減などで生き残ることもできたはずであったが、この船会社にとって問題となっていたのは、1930年代初頭にさらなる成長を見込んで発注されていた2番船の存在だった。
 当然のことながら、当初は「地中海の女王」号と同時の運用も予定されていたというが、建造途中の大恐慌の訪れとともに、運用計画は後退しており、進水時には1番船のドック入り時期など限定の運行が計画され、完工事にはそのような消極的な運用計画ですら消え失せていた。
 実際のところ完工とはいっても、クルーズが全く計画されていないことから外観や機関はともかく、内装に関しては進水後の工事は途絶えがちになっており、客室はとてもクルーズに耐えられる状態ではなかったらしい。
 進水後から船会社が建造費を未払いであったため、2番船は造船所で係留されたまま廃船となるところだったが、その船会社のオーナーの一人が、ファシスト党の大物とつながりがあったことから2番船は、廃船となる運命から逃れることとなった。
 オーナーから泣きつかれたそのファシスト党幹部の口利きによって、海軍が2番船を引き取ることとなったからである。

 内装未工の客船としては高すぎる船価(後にファシスト党幹部へのディベートが発覚した)と引き換えに海軍所属となった2番船は、当初は兵員輸送艦か補給艦として運用する予定だったが、寸法が中途半端に大きく、イタリア海軍では持て余し気味だった。
 だが、海軍航空関係者の運動によって急遽ほぼ同時期に組織改編を行なっていた独立戦闘飛行隊群の母艦として改装されることとなった。

 実は1番船である「地中海の女王」号の時点で前甲板に水上機用のカタパルトが設置されており、これが水上機母艦用として改装されるのに決定した理由であったと思われる。
 客船にもかかわらずカタパルトが設置されていた理由は現在では不明だが、第一次欧州大戦後の一時期にアドリア海で横行していた海賊行為から自衛するための水上哨戒機の運用を行なっていたのではないのかという説が有力である。
 もっともその本来設置されていたカタパルトは、独立戦闘飛行隊群関係者の期待に反して貧弱なもので、空母ファルコとして改装される際にはレール長を延長された海軍仕様のものが設置されている。
 艦内構造も相応に改装されており、上甲板および第一甲板レベルの大部分は吹き抜けの開放構造となるように壁材の撤去や補強が行われて水上機格納庫に改造されている。
 その水上機格納庫内部には、前甲板に設置のカタパルトに連結したレールが縦に後甲板に増設された2基のカタパルトまで走っており、水上機運用に利便性を図っている。

 水上機格納庫や予備機、予備部品倉庫用に容積の大部分を取られた結果、元が客船であるにもかかわらず兵員室などに当てる容積は限られており、元の甲板室に加えて、飛行隊群司令部用として最上甲板の上に構造が増設されている。
 この増設された甲板室の上部には後に対空見張り用のレーダーが増設されている。
 ただし、ドイツから輸入され、増設されたレーダーは増設工事直後の出撃でファルコが沈没したためもあって詳細は判明していない。
 当時ドイツ国内に設けられていた防空レーダー網ヒンメルベットシステムに関わりあるものと思われるが、工事関係の書類に記載されている諸元にはヒンメルベットシステムで制式採用されているレーダーに該当するものはなく、試作機か実験機の用途廃止となったものが転売されたと考えられる。

 対空見張り用レーダや艦載機を駆使した防空戦闘能力に期待されていた空母ファルコではあったが、最初の実戦投入にてイギリス海軍の空母インドミタブル艦載機とマダパン岬沖海戦で交戦を余儀なくされる。
 インドミタブルは、イギリス海軍で初めて日本製の零式艦上戦闘機21型(イギリス海軍呼称はマートレット(T)を装備しており、その有力な艦載機によって空母ファルコは撃沈されている。
 ただし、空母ファルコの運用実績自体はそれなりにイタリア海軍でも評価されていたようであり、マダパン岬沖海戦の一ヶ月後には早くも戦訓を反映した代艦の建造が要求されていた。

 


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