クロムウェル巡航戦車




キャヴァリア(クロムウェルT)



クロムウェルMk.U



クロムウェルMk.V



<要目>
重量27トン、全長6.35m、エンジン出力410hp、乗員5名、装甲厚76ミリ(最大)、武装43口径6ポンド砲、7.92ミリベサ機関銃×2、最高速度38.6km/h(キャヴァリア(クロムウェル1)
重量27.5トン、全長6.35m、エンジン出力600hp、乗員5名、装甲厚76ミリ(最大)、武装43口径6ポンド砲、7.92ミリベサ機関銃、最高速度64.3km/h(クロムウェルMk.U)
重量27.9トン、全長6.35m、エンジン出力600hp、乗員5名、装甲厚76ミリ(最大)、武装38口径75ミリ砲、7.92ミリベサ機関銃、最高速度51.5km/h(クロムウェルMk.V)

 第二次欧州大戦序盤において発生したフランス降伏時に、現地に派遣されていたイギリス遠征軍は多数の重装備をダンケルク撤退戦において欧州大陸に残置した。
 これによりドイツ等の枢軸側はイギリス陸軍の戦力を大きく低下させたと判断してイギリス本土への直接侵攻を視野に入れた所謂英国本土航空戦を開始するに至ったが、実情はやや異なっていた。
 この時点においてもドイツに対してイギリスは工業生産力に勝っており、本土ではダンケルクで喪失した旧式装備の代わりに新型装備の開発、生産をすでに実施していた。

 イギリス陸軍では用途の異なる機甲部隊に配属される巡航戦車と戦車部隊に配属される歩兵戦車に加えて主に偵察に使用する軽戦車の三本立てで戦車開発を行っていたが、巡航戦車においてもダンケルク戦後にクルセイダー巡航戦車の生産が開始されていた。
 それまでの巡航戦車Mk.TからWまでに比べるとクルセイダー巡航戦車は画期的な性能を誇っていたが、機械的な信頼性は低く段階的な性能向上はあったものの、北アフリカ戦線でドイツ軍の主力だった三号戦車の長砲身砲を搭載した後期型や、後に参戦した日本陸軍の一式中戦車と比べると戦力価値は低いとされていた。
 もっともダンケルク撤退直後にはクルセイダーの後継となる巡航戦車の開発が開始されていた。幾つかの企業での競合試作の結果、ナフィールド社のクルセイダー強化案とレイランド社の航空機用マーリン・エンジン転用案の二種類があった。
 クルセイダーの発展型として設計されたレイランド社の案がもっとも優れていたと判断されたが、航空機用マーリン・エンジンの生産分はスピットファイア等の主力機に回されており、戦車搭載用に振り向ける余裕はなく代替案としてレイランド社の設計を元にナフィールド社案を改造したものをマーリン・エンジンの生産に余裕ができるまでの代替として生産することとなった。
 これが後にクロムウェルTと呼称されたキャヴァリア巡航戦車だったが、実際にはこの顛末は今少し複雑でありナフィールド社が輸入した米国製のリバティーエンジンを原型に自社で生産して、クルセイダーにも搭載されていたデモクラートエンジンの搭載を強引に主張したためであった。
 しかし、重装甲化のためにクルセイダーに比べて大重量となったキャバリアに対して、エンジン出力の向上がなかったことからキャバリアは明らかにアンダーパワーであり、最高速度が低く巡航戦車としては不適格だった。

 実戦で使用するには性能が不足しているとされて訓練や改修されて補助任務に使用されたキャヴァリアに代わって、本来の仕様の新型巡航戦車としてレイランド社でクロムウェルと呼称される巡航戦車の生産が開始された。
 競合試作からしばらくして日本帝国が正式に参戦するとともに、一部英国製兵器の代替生産が遠く離れた日本本土で開始されていたのだが、その中には複数社で生産されたマーリン・エンジンも含まれており、特に後に三式中戦車となる次期主力戦車用のエンジンとしてマーリン・エンジンの戦車搭載型に注目していた石川島ではガバナーや過給器を低トルクの必要な戦車用に最適化したミーティアエンジンのライセンス生産、更には強化改良に乗り出しており、これによりマーリン・エンジンの不足問題は解決しようとしていたのである。

 こうして開発されたクロムウェル巡航戦車は、元々マーリン・エンジンの搭載を前提に設計されていたこともあって短時間で再設計が修了した。キャヴァリアから機関部以外の変更点はほとんど無く、戦訓から車体前面中央部の機銃が廃されていたが、搭載箇所は装甲板でボルト締めされているだけなので、前線ではキャヴァリアから部品を調達して機銃を増載する車両は少なく無く、後に戦車仕様キャヴァリアの実戦参加の証拠と誤認されてしまったケースが知られている。
 本来の仕様とも言えるクロムウェルとキャヴァリアの基本的な設計に変更点がさほど無かったせいか、クロムウェル制式化後にマーリン・エンジンを搭載したキャヴァリアとでも言うべき仕様のものをクロムウェルMk.U、キャヴァリアをクロムウェル1と改称されることとなった。

 クロムウェルMk.Uの生産は1942年末頃には本格的に開始されており、初陣は北アフリカ戦線終結後の1943年中盤に起こったシチリア島上陸作戦となったが、戦闘中盤からは遅滞防御に移行した枢軸軍との寸土を争う戦いとなったため、大出力のマーリン・エンジンを搭載したクロムウェルMk.Uの高い機動性を活かせる局面は出現しなかった。
 またシチリア島での戦訓からクロムウェルMk.Uは機動力は十分であるものの、クルセイダー、キャヴァリアと基本的な構造が引き継がれた足回りはやや脆弱であり、火力面では6ポンド砲ではこの戦闘で初めて確認されたパンターなどの新型戦車と対抗するには難しいとされていた。

 火力向上案として6ポンド砲から75ミリ砲に換装されたのがクロムウェルMK.Vだった。クロムウェルMK.Vの開発は北アフリカ戦線以前の戦訓から進められていたもので、この75ミリ砲は日本帝国の野砲を元に6ポンド砲の砲架とかけ合わせたもので、当時供給量の多かった日本製の各種75ミリ砲弾を流用することが出来た。
 徹甲弾及び榴弾を使用できるオードナンス75ミリ砲はこれまでの巡航戦車に比べると絶大な火力を発揮した。同時期にほぼ同一構造で大口径短砲身の95ミリ榴弾砲を装備するCS、近接火力支援型であるクロムウェルMK.Wが生産開始されていたが、6ポンド砲搭載のクロムウェルMK.Uではなく当初の想定とは異なり支援対象がオードナンス75ミリ砲を装備するクロムウェルMK.Vになり高速で榴弾を発射できることから部隊ではCS型を配備する代わりに榴弾搭載量を増やしたMK.Vを転用した場合も多かった。

 暫定的とも言えるクロムウェルMk.Vの後、大戦終盤には75ミリ砲搭載型に装甲を増設したMk.X及び95ミリ榴弾砲搭載型に同様に装甲を追加したMk.Yが開発されており、イタリア戦線中盤から実戦に投入されていた。
 それまでの巡航戦車は歩兵戦車に対して対戦車戦闘を主目的とするにも関わらず他国の戦車と撃ち負ける場合が多かったが、クロムウェルMk.V以降、特に装甲を増設したクロムウェルMk.Xでは独四号戦車や短砲身型の日本陸軍三式戦車とも互角の戦力を有していた。
 ただし、シチリア戦がそうであったように、大戦中盤以降の主戦場となったイタリア半島では山岳地帯が多く巡航戦車の機動力を活かせる機会が少なかったことから、北アフリカ戦線で活躍したクルセイダーなどと比べると性能の割りには個々のエピソードは少なかったようである。

 


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