久慈型防空巡洋艦





<要目>
基準排水量 12,500t   全長 189.0m  全幅 40m  ディーゼルエレクトリック 出力 100,000馬力(4軸)(主船体2、左右船体各1)
速力 30ノット

兵装
連装65口径15.5cm両用砲 4基
連装65口径10cm高角砲 6基
三連装25mm機銃 10基
連装13mm機銃 2基

同型艦 無し

 久慈は本来であれば米代型防空巡洋艦の一隻として建造されるはずだった艦であるが、時勢と技術の暴走が本艦を数奇な運命に導いていた。

 1946年初頭、日本海軍にある情報が入ってきた。それは第二次世界大戦において最後まで中立を保った米国が開発した新型重爆撃機B−32の要目だった。
 入手情報ではB−32は恐るべき性能を誇っており、陸海軍から独立したばかりの日本空軍が保有する一式重爆撃機を軽く凌駕する能力であった。またB−32の開発は海軍に情報が入ってきた時点で終了しており、量産化が開始されたところだった。
 この情報を海軍上層部は驚愕と恐怖を持って受け止めることになった。モンロー主義によって北米に閉塞している米国ではあったが、それはハリネズミのような武装中立でもあった。さらに日米はこのころフィリピン周辺をめぐって利益の対立が深刻化していた。近い将来に日米が衝突する可能性はこの頃盛んに議論されていた。
 特に重爆撃機は大陸に引篭もる米国にとって長距離哨戒、攻撃戦力の要として大量生産される傾向にあった。
 そしてもしもB−32がソ連経由でドイツから入手したと思われる対艦誘導爆弾等で攻撃をかけてきた場合、B−32の到達高度を考えるとこれまでの高角砲の射高では対応できないだろう。そんな認識が海軍上層部に生まれるのに大した時間はかからなかった。

 そのような脅威がありえないとは言い切れなかった。何故ならば日本空軍でも重爆撃機に対艦誘導爆弾を搭載する計画があったからである。こちらがやれることを米国がやれないと決め付けるのはあまりにも危険であると海軍は考えていた。
 そこでこれまでの長10サンチを上回る射程の高角砲、65口径15サンチ両用砲を搭載した防空専用艦が計画された。

 久慈型の特徴は、同じくB−32の性能に危機感を抱いていた三軍で新たに共同開発された65口径という長砲身を持つ15.5サンチ高角砲の搭載にある。
 高い発射速度を保つための多重化された装弾機構と長砲身による重量を支える為に、15.5サンチ砲塔はこのクラスの砲としては異様に巨大となった。さらに米代型の船体では高初速の15.5サンチ砲の反動を十分に抑えきれず、また超遠距離への射撃では船体の動揺も無視できなくなる可能性があった。
 一時は石鎚型重巡洋艦の船体を流用する計画もでたが、コストの割にはそれほどの性能向上には繋がりそうもなかった。そこで艦政本部のある先進的な考えに取り付かれた士官が提案したのが多胴型の採用による安定性の向上である。
 確かに主船体に15.5サンチ砲を搭載した上でアウトリガー艦を左右に置けば安定性は増すはずだった。
 だが実際に三胴艦の模型で水槽実験を行った結果いくつもの問題点が噴出した。複雑な構造によって舵は効き辛くなり、優れた凌波性も剛構造を指向したがゆえに一点を超えれば船体が破断しかねない可能性があった。
 本来であればここで計画は中止されるか、あるいは足止めされるはずだった。だがB−32の本格的な生産が始まったという情報が海軍をしてパニックに陥らせる。
 ここで技術士官達の暴走がさらに始まるのである。それはディーゼル主機によって発電を行い、推進は各船体に設けられたモータによって行うディーゼルエレクトリック推進方式の採用である。
 各船体に設けられた電気モータは回転速度や方向の切り替えが一瞬ですむ為に左右の船体の推進方向、出力を制御することで驚異的な舵の効きを実現されるはずだった。
 そして凌波性に関しては、ある一定上の嵐の中では運用しないという制限を設けるという異例の処置の元建造が開始されてしまったのである。

 こうして洋上に姿を現した久慈型だったが、運用者の評価は散々なものだった。
 三胴型による出入港の難しさなどは可愛いもので、ちょっとした嵐であっても船体のきしむ音があちらこちらで聞こえ乗組員を不安がらせていた。驚異的な舵の効きをもたらしたディーゼルエレクトリック方式も発電機と電動機を繋ぐ送電ケーブルの発熱を軽視した結果、最大戦速発揮時などは危険なほど加熱することもあった。
 最も致命的だったのは兵装の陳腐化だった。65口径15.5サンチ砲そのものは陸空軍の固定配置式の高射砲としては高い評価を受けてはいた。しかし久慈型が戦力化する頃には長距離対空兵器として対空誘導弾の開発が終了した頃にあたった。
 対空誘導弾は15.5サンチ砲と比較すれば軽量ですむことから米代型防空巡洋艦に逐次搭載されて行くこととなった。いずれは駆逐艦ですら対空誘導弾を搭載する計画すらあった。これにより大掛かりな砲装備しか搭載されていない久慈型はたちまちのうちに陳腐化してしまったのである。

 本来であれば大量生産され長距離防空の要となるはずであった久慈型はただ一隻のみが建造され、連合艦隊直卒のまま一種の実験艦としてその生涯をすごした。
 対米戦において実戦参加も果たしてはいるが、その任務は本来の長距離防空ではなく、緒戦で喪失した旧式戦艦の代わりとしての対地支援砲撃であった。




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