筑波型重巡洋艦





<要目>
基準排水量 20,800t   全長 213.5m  全幅 22.3m  ディーゼル 出力 120,000馬力(4軸)
速力 33.0ノット  乗員 1200名

兵装
三連装60口径20.3cm砲 3基
連装65口径10cm両用砲 5基
単装噴進誘導弾発射器 1基
連装65口径8cm両用砲 12基
六連装対潜噴進弾発射機 1基

同型艦 筑波、浅間、蔵王、磐梯、生駒、道後

 筑波型重巡洋艦は、日本帝国海軍が太平洋戦争勃発に前後して就役させた重巡洋艦である。雷装こそ全廃しているものの、筑波型の打撃力は戦艦以外の全ての水上艦艇を制圧可能であり、またその防護力も重巡洋艦主砲の20.3cm砲弾に対して有効だった。
 計画上は筑波型は石鎚型重巡洋艦の発展形であるが、雷装の撤廃など巡洋艦よりも戦艦に近い設計指向の艦であり、実際、艤装の手法は戦艦に準じたところが多かった。

 筑波型の主力兵装としては、計画当初黎明期にあった対艦誘導噴進弾と従来型艦砲の両方が候補に挙がったが、いまだ誘導噴進弾は信頼性が低く、結局石鎚型において採用された20.3cm砲を元に改良が加えられた60口径砲が採用された。
 この砲は半自動装弾、自動装填方式を採用しており、砲身角度に関わらず装填が可能だった。装填速度は五秒ほどとなっており、装弾手達の体力が続く限り連続発砲が可能だった。装弾手の体力がなくなる前に砲弾が尽きるという話がある種の冗談として語られている。
 その発射速度に比例して砲身の磨耗は問題視されるほどであったらしく、戦闘艦の砲としては初めてサーマルジャケットを装備し、磨耗による照準誤差発生を低減させている。
 主砲は対水上砲撃以外にも対空射撃をも想定しており、高い発射速度と広範な危害半径を持っていたことから多用された。筑波型の兵装は全て砲塔式か露出部は無人であったため、爆風などによる主砲発射の障害を考慮する必要が無かったのも主砲が対空射撃に用いられた理由の一つではあったが、これは当時の日本海軍の主力艦全てに当てはまる特徴であり、やはり60口径20.3cm砲は特に硬い発射速度と初速から対空射撃に有効であったため多用されたのが真実のようである。
 1950年前後には、日本海軍の艦艇は対空砲の射程外の航空機を目標として対空誘導弾発射機の装備を開始している。筑波型もその例に漏れず誘導噴進弾発射機を装備しているが、その発射機は単装が一基と数が少ない(前級である石鎚型は改装で連装発射機二基を装備)これは主砲を対空射撃に多用することが前提であるためと考えられるが、同時に近接砲撃戦闘時に被弾による誘爆を避けるためという説もある。

 そのほかに新兵器として、従来の対空機銃に変わって8p砲が搭載されている。これは頑丈な欧州製の航空機に対して、従来の25mm機銃では長時間の射撃集中が無い限り中々撃破出来なかった教訓を受けて開発されていたものである。実質上の口径は76ミリであり、8センチというのは呼称である。
 この当時他国も同様の観点から、機銃から近接戦闘で航空機を一撃で撃破しうる中口径砲への切り替えが進んでいた。

 しかしながら筑波型の搭載機器の内もっとも画期的であったのは、個々の兵装ではなく極限まで人力を廃した射撃指揮装置の搭載にあった。
 筑波型から新規に採用された47式射撃指揮装置は、94式高射装置を原型としており、外観は射撃管制用の電探などを追加しているのが特徴であった。しかし94式高射装置も後期型は射撃管制用電探を搭載するようになっていたため両者の外見上の差異は少ない。
 また、すでに欧州大戦末期には日英海軍は電探による測距精度が従来の測距儀によるものを上回ると判断していたために射撃指揮に電探を活用するようになっていたため、この点でも射撃式用の装置そのものに搭載したことを除けば新鮮味は無い。
 47式射撃指揮装置が画期的であったのは91式高射装置から94式高射装置に改良される際に一度分離された方位盤と射撃盤を再び合体させ、さらに近年急速に発達してきた電子素子を搭載したことにある。つまり従来のアナログ式計算機からトランジスタを用いた電子計算機の採用である。これにより射撃分隊の大幅な省人化と射撃盤の小型化が可能となったのである。
 筑波型は砲兵装が主兵装であったため、主砲と長10センチ両用砲、長8cm両用砲全ての管制に47式が用いられている。47式は艦首尾線上に四基、舷側に各二基を装備しており、主砲塔一基につき47式一基を割り当てることで各砲ばらばらの目標を射撃することすら可能である。
 また計算結果は電子データとして艦内の電装ケーブルを通して各砲に修正値を伝達するのだが、47式では一歩進めて、無線を用いた他艦への射撃データ伝送にも対応している。理論上は戦艦の砲撃を筑波型が管制することも可能であり、実際戦時中に47式を搭載した戦艦水戸と尾張の射撃管制を行った例がある。
 これはハワイ沖開戦後の艦砲射撃の際に両艦が一時的に島影隠れて直接照準が不可能となってしまい、これを先行していたため直接照準が可能であった蔵王が肩代わりを行ったものだった。このときの砲撃精度は伝送データの処理に戸惑った水戸は射撃タイミングがずれたために蔵王との相対距離が変化してしまったため至近弾で終わったが、尾張からの射撃精度は高く、目標となった米軍の急造飛行場および不時着機を完全に制圧することに成功している。

 筑波型は、日本海軍の巡洋艦では初めてディーゼルエンジンを主機として採用している。
 戦艦大和型で初めて大型戦闘艦に採用されたディーゼルエンジンは、信濃型において全ての主機がディーゼルエンジンとなり一時代を築くかと思われた。しかしマルチプルディーゼルエンジンの信濃型での運用実績はさほど芳しくなく、紀伊型戦艦では大和型同様に巡航用のディーゼルエンジンと全力発揮用の蒸気タービンがそれぞれ二軸を駆動する複合機関方式へと切り替わっていた。
 これらの戦艦の実績から巡航用ディーゼルエンジンは少なくとも信頼性は確保していた。しかし低燃費とはいえディーゼルエンジンは大重量であり、無補給での長距離航行が多くなる補給艦や大重量であっても許容される大型戦艦以外では採用は見送られていた。
 実際、蒸気タービン機関の蒸気圧力は年々高圧化しており、総合的に見た場合、ディーゼルエンジンの低燃費というメリットは、機関関係の重量が限られる軽快艦艇では余り活きてこなかった。
 筑波型に採用されたディーゼルエンジンは、蒸気タービンに対して重量出力比で劣る部分を補うために過給が計られている新型機関だった。この過給器は第二次欧洲大戦において爆発的に進化した排気過給器やタービン関係の技術を結集させたもので、航空機用エンジンメーカーである中島原動機と石川島重工の共同で開発されたもので、生産は石川島重工が担当している。
 これにより筑波型は、世界で初めて排気過給器付ディーゼルエンジンを搭載した戦闘艦として誕生した。
 この過給器の搭載による吸気の拡大は、平均有効圧力を増大させ、重量あたりの出力比を大きく向上させたが、当時としてはこの有効圧力はかなり無理をしたものであったらしく、就役直後の筑波型の稼働率はあまり良いものではなかったようである。
 また、このエンジンは軍用エンジンらしくコストパフォーマンスをある程度、度外視したものでもあったらしく、日本の商船用エンジンが排気過給器を搭載するのはもう少し後の事になる。

 太平洋戦争においては筑波型は石鎚型と共に米海軍の有力な巡洋艦部隊と激戦を繰り広げた。石鎚型がどちらかといえば空母分艦隊の直衛任務が多かったのに比べると、筑波型は戦艦分艦隊の護衛を勤めることが多く、特に47式射撃式装置を備えた水戸型と連携した際の火力集中は米海軍にとって脅威となった。





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