クロンシュタット級重巡洋艦





<要目>
基準排水量 34,450t   全長 250.1m  全幅 29.7m  蒸気タービン 出力 150,000馬力(4軸)
速力 31.5ノット 乗員 1500名

兵装
三連装50口径30.5cm砲 3基
連装38口径12.7cm高角砲 4基
四連装60口径40mm機関砲 7基
航空機 2機

同型艦 クロンシュタット、セヴァストーポリ
 クロンシュタット級は、ソ連海軍が条約型重巡洋艦を凌駕すべく建造した大型巡洋艦である。ソ連海軍は本級を重巡洋艦と称したが、条約型重巡洋艦よりもずっと大型で、実質上は巡洋戦艦だった。
 初期の計画段階では、クロンシュタット級は当初排水量二万トン、25cm級の主砲を搭載した程度の艦になるはずだった。この程度であっても、軍縮条約の制限下におかれていた列強の重巡洋艦に対して優位に立つことが出来るはずだった。
 しかし、スターリンらソ連首脳部が、漏れ伝わって来るドイツ海軍のシャルンホルスト級戦艦の情報を受けて、これに対抗可能とするよう艦政当局に要求したことから混乱が始まった。1936年に一度設計案がまとまったものの、この要求により設計案は白紙に戻されてしまったのである。
 また、日本海軍がこの頃三万トンクラスの大型巡洋艦を計画中との噂があったこともより大型の艦が望まれた原因であった。なお、クロンシュタット級やシャルンホルスト級のような性格の大型巡洋艦あるいは巡洋戦艦を日本海軍が計画していたという事実は無く、おそらく三万五千トン級の磐城型戦艦の情報が捻じ曲がって伝わったものと考えられる。
 クロンシュタット級の建造が、米国の技術支援を全面的に受ける形で30cm砲九門を搭載する大型巡洋艦として始まったのは1938年のことだった。同時期に米国も同程度の艦を計画中であったことから、クロンシュタット級は後のアラスカ級のプロトタイプとしての性格を持たされていたともいえた。
 しかしクロンシュタット級はアラスカ級とは多くの相違点をもっていた。クロンシュタット級は、アラスカ級よりも重く、より戦艦としての性格が強い船だった。艦種としては重巡洋艦ではあったが、ソ連海軍としては旧式化したガングート級戦艦の代替としてもクロンシュタット級を考えていたようである。

 対独開戦後も建造を続行されたクロンシュタット級は、終戦間近になってようやく戦力化に成功する。この頃すでに米国海軍ではアラスカ級は就役しており、米国がもくろんでいたアラスカ級のプロトタイプとしての役割は果たすことが無かった。
 それでいながら、クロンシュタット級の戦歴は、アラスカ級を含む同様の艦種の将来に暗い影を落とすに十分なものだった。
 一番艦クロンシュタットはバルト海海戦に参加、米ソ両国がクロンシュタット級やアラスカ級と同等と考えていた磐城型二隻と交戦した。
 すでに独伊地中海艦隊と日英艦隊が交戦したマルタ沖海戦において、シャルンホルスト級が戦艦の砲戦距離においてはほぼ無力であった戦訓があった事から、30センチ砲でも有効打を与えうる距離までソ連海軍艦隊は接近を試みた。しかし磐城型とクロンシュタット級の速力はさほど違いが無かったため、接近運動は成功しなかった。
 その結果、クロンシュタットは脆弱な水平甲板を撃ち抜かれて大破し、戦闘直後の曳航にも失敗したことから友軍駆逐艦の雷撃によって沈没処理された。
 これに対して磐城型も一番艦が小破判断の損害を被ったが、クロンシュタットからの30センチ砲弾を被弾した上構や高角砲こそ多大な被害を受けたものの、40センチ砲に対応する装甲を有していた砲塔や船体部を貫通した砲弾は無く、主砲戦に限れば全力発揮が可能だった。

 バルト海海戦は、米ソ連合が準主力艦として建造していた大型巡洋艦が対戦艦兵器としては完全に無力であることが証明された。それでいながら同クラスは建造、運用コストは戦艦に順ずる高価な艦種だった。そして条約型やその改良型の巡洋艦に対処する戦力としては明らかにオーバースペックだった。
 この事実に衝撃を受けた米ソ連合はここで違う道を辿ることになった。すなわち小型戦艦化と超条約型巡洋艦型への分岐である。






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