<要目>
基準排水量 19,000t 全長 213.0m 全幅 22.3m 蒸気タービン 出力 120,500馬力(4軸)
速力 33.3ノット 乗員 1150名
兵装
三連装55口径20.3cm砲 4基
連装対空誘導弾発射器 2基
連装65口径10cm両用速射砲 4基
四連装61cm魚雷発射管 2基
六連装対潜噴進弾発射機 1基
三連装25mm機銃 2基
対潜散布爆雷 1基
同型艦 石鎚型全艦改装
従来型の日本海軍が保有する重巡洋艦は、その絶大な打撃力と相反する貧弱な防御力から第二次欧洲大戦において大きな損害を受けることとなった。
その戦訓を受けて、対軽快艦艇に用途を絞りつつ軍縮条約の巡洋艦規定をはるかに超える排水量をもつことで大打撃力と重防御を両立させた石鎚型重巡洋艦ではあったが、米国海軍との太平洋戦争における苛烈な戦闘で苦戦を強いられることとなった。
米国海軍が日本海軍を大きく上回る数の重巡洋艦、大型軽巡洋艦を投入してきたからである。
第二次欧洲大戦では、戦艦群や空母機動部隊の活躍と共に、日本海軍が保有する水雷戦隊や重巡洋艦戦隊による雷撃が猛威を振るった。マルタ沖海戦では、日英戦艦群との交戦に集中していた独伊仏連合艦隊に対して行われた水雷襲撃こそが、戦局を日英同盟側に傾けたターニングポイントであったと米国海軍作戦本部は結論づけていた。
戦艦重視の軍備という枠組み自体は、大統領をはじめとした政治的勢力からの決定であるから変えようがないため、米国海軍自体が大規模な水雷部隊の保有には踏み切れなかったが、その戦艦などの主力部隊の護衛役としての軽快艦艇は、偵察艦隊の充実にもつながるため比較的予算を通しやすかったようである。
そこで日本海軍の水雷部隊への対抗策として、米海軍は巡洋艦の大量建造を決行した。結局この流れは、基本的には日英のように戦時体制に移行できなかった米国海軍自身によって、肝心の戦艦に予算を集中させるために断ち切られてしまうのだが、その間にクリーブランド級軽巡洋艦からデ・モイン級重巡洋艦に至るまでの膨大な数の無条約型巡洋艦が建造された。
太平洋戦争において米海軍は、日本海軍に対して優勢なこの巡洋艦部隊をある時は主力の護衛に、またある時は敵艦隊への襲撃へと柔軟に運用した。
石鎚型重巡洋艦は、この数的に優位な敵巡洋艦に対して水雷戦隊を敵主力に突入するための防御スクリーンへの穴をあけるために、あるいは後方へ退避する味方空母を護衛するために劣位でも戦わざるをえなかった。
自動装填装置による高い発射速度を誇るデ・モイン級を除けば、概ね石鎚型は攻防共に米海軍巡洋艦よりも有力であったが、数的劣勢はいかんともしがたく、その半数が喪失した。
そこで日本海軍の砲戦型巡洋艦として完成型であると評されていた石鎚型重巡洋艦であったが、太平洋戦争から残存した艦は1950年代後半から60年代前半に行われた近代改装によって艦様を一新させた。
この近代化改装は主兵装と船体以外すべてに手が加えられたといっても過言ではなかった。機関室は主缶及び蒸気配管の換装によって使用蒸気性質が向上している。主機タービンは従来のままであったが、主缶と合わせて機械化が進んでおり省人化に貢献している。また上部構造物と一体化した煙突は集合煙突を廃し、二基を独立させている。
その他の上部構造物にも手が加えられており、各種電探を装備した櫓を乗せた構造物が大型化されている。これにより艦橋や指揮所にはかなりの余裕があり指揮能力は一段と向上している。
兵装は、連装対空誘導弾発射器が上構の前後に一基づつ配置されているが、この発射器は対空のみならず、対艦誘導弾も発射可能だった。誘導弾は台座下部の装甲化された弾薬庫から垂直に装填される。煙突にはさまれた場所にも発射器が追加されているが、これは対潜誘導魚雷を搭載した噴進弾を音波探信儀で探知した目標地点まで発射するものである。
前後の上部構造物に一基づつこれらの誘導弾を管制するためのイルミネーターが追加されている。
防空兵装は旧式化した高角砲を高初速、高発射速度の連装両用砲に換装しているが、誘導弾発射器などに空間をとられた為、四基に減らされている。ただし全周をカバーすることは可能である。
主兵装である20.3センチ砲は変わらないが、射撃指揮装置は両用砲用もかねた47式射撃指揮装置に変更されている。
航空兵装は改装前と同じくカタパルトなどの支援設備はもちろん、固有の搭載機などは考慮していないが、乗員が減少したことや支援艦艇、桟橋の拡充などのため後部搭載艇とデリックが撤去されており、その広大な後部甲板には回転翼機着発艦が可能であった。
また、改装された石鎚型は多数の操作要員を必要とする機銃や高角砲を撤去したことや機関の省人化、無人化された両用砲の採用により乗員は大幅に減少しており、新造時の約2/3程度に過ぎないため、居住区の一人当たりの占有面積は大幅に向上しており、旧式艦でありながら乗員からの人気はかなり高かった。
これらの近代化により、石鎚型は耐用年数を大きく向上させており、搭載兵装の換装程度で1990年代まで現役におかれていた。
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