大和型戦艦





<要目>
基準排水量 69,800t   全長 270.0m 全幅 39.0m 蒸気タービン、ディーゼル複合 出力 200,000馬力(4軸)
最大速度 28.5ノット  乗員 2500名
最大装甲厚 舷側 400o 19°傾斜  甲板 200o  主砲防盾 600mm

兵装
三連装45口径46cm砲 3基
三連装60口径15.5cm砲 4基
連装65口径10cm高角砲 14基
三連装25mm機銃 8基
連装13mm機銃 2基
水上偵察機 7機


一番艦 大和
二番艦 武蔵
三番艦 設計変更
四番艦 設計変更

 1939年に第二次欧州大戦が勃発したことによって、海軍休日状態を作り上げていた軍縮条約は破棄された。これによる恩恵を最も享受したのはアメリカ海軍である。
 日英同盟によって太平洋と大西洋を封鎖されていると判断していたアメリカは、これを好機として軍拡に転じていたのである。これには日英露と欧州諸国からなる巨大経済ブロックから締め出されて不景気のそこにあった米政府による一大公共事業という側面もあった。
 特にノースカロライナ級をトップバッターとする米新造戦艦群は日本海軍にとって大きな脅威となった。日本海軍でもこれに対抗する為一刻も早い新戦艦の建造が求められていた。このような要求から建造されたのが大和型戦艦である

 実質上日本海軍で初の無条約型戦艦となる大和型は、いくつもの試案が提出された。なかには退役して東大総長に就任していたはずの平賀譲が、一体どこかからか、新戦艦建造をかぎつけて古巣の艦政本部に送りつけてきた私案まであった。
 この平賀案は退役軍人による私案ということもあり、担当者の目には触れたものの最終案に残ることは無いはずだった。
 最終的に軍令部から出された建造計画はノースカロライナ級と同等の41サンチ三連装三基を搭載した4万トン級戦艦の大量建造というものだった。これは既存の船渠等の施設や設計図を流用することでコストや建造に要する期間を最少にすることが可能というものだった。
 しかし海軍内部でおおむね支持を受けたこの案は、意外な所から計画の中止を余儀なくされる。それは船渠数の問題である。いくら仮想敵である米海軍が脅威とはいえ、当時の日本海軍はまず勃発してしまった第二次欧州大戦を片付けるつもりでいたのだが、それには優秀な対地攻撃能力を発揮し始めた空母の集中投入とそれを補佐する軽快艦艇が必要だったのである。
 これは大鳳型正規空母や松型量産駆逐艦の大量建造という形で現れるのだが、これによって大型艦用船渠の大半が空母建造に回されてしまったのである。当初計画案では最低でも四つの船渠で同時に四万トン級戦艦を起工する事になっていたのだが、最終的には戦艦建造用として使用できるのは、施工中の大神工廠が稼動するまでは呉工廠と三菱重工長崎造船所の二箇所しか無くなってしまったのである。
 二隻程度では同程度の戦艦を大量建造するであろうアメリカ海軍に対抗できるとは思えなかった。実際、欧州戦線においても戦艦を撃沈しえたのは駆逐艦による水雷襲撃か、より大きな戦艦の艦砲しかなかったのである。

 そこで、途方にくれた海軍関係者の一人がこのまま忘れ去られるはずだった平賀案を思い出したのである。46サンチ砲を搭載した中速大型戦艦というその私案は船渠の数から建造数が限られてくると俄然魅力的な案に見えてきた。
 敵軍の数を質で上回る物を建造しようとしたのである。こうして戦艦大和型は平賀案を原型として艦政本部で再設計が行われることとなったのである。

 大和型の最大の特徴はディーゼル機関と各種電波兵器を搭載するための煙突兼用マストの採用である。二基の煙突のうち前方は従来の蒸気ボイラー用のものであり、後方の角ばった形状の排気塔がディーゼル機関用のものである。前方のマストには主に通信用アンテナが搭載され、後方マストは捜索電探が搭載された。また測距儀および高射装置にも砲射撃管制用の電探が搭載されていた。
 主砲は新たに46サンチ三連装砲塔が採用されており、その威力、射程ともに従来の41サンチ砲を大きく上回っていた。勿論装甲も主砲に対応しただけの厚みが考慮されていた。
 その他の兵装としては、副砲に両舷に二基配置された三連装15.5サンチ砲と高角砲には計十四基もの長10サンチ砲が搭載されており、あらゆる角度からの攻撃に対処することが出来た。
 特に15.5サンチ砲は砲身こそ最上型に搭載されたものと一緒だったが、装填装置や砲旋回装置が再設計された強力なものであり、限定的ながら対空射撃も可能であることから重両用砲と呼ばれることもある優秀な砲だった。一時は副砲廃止論も根強かったが、地中海での戦訓から接近してくる軽快艦艇を始末するには高角砲では打撃力不足であることが判明していた為、平賀案とは配置を換えながらも搭載されることとなったのである。

 こうして完成した大和型は実質上ノースカロライナ級以降の新戦艦に対しても二隻くらいまでならば対処する能力があったが、何故か米海軍は大和型を16インチ砲戦艦だと誤認していた。
 これは船渠数の問題が出るまでの一時期実際に計画されていた41サンチ三連装案の図面が米国に流出してしまった為らしい。これには平賀譲が自案を通す為に意図的にリークしたのだという噂も流れたが、平賀が大和の就役を待つことなく病死した為真相は今もなお闇の中である。



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