ヴァンガード級戦艦



元設計

改設計


<要目>
<元設計>
基準排水量 44,500t   全長 249.0m  全幅 32.8m  蒸気タービン 出力 130,000馬力(4軸)
最大速度 29.75ノット  乗員 1500名
最大装甲厚 舷側 360o 0°傾斜  甲板 150o  主砲防盾 325mm

兵装
連装42口径38.1cm砲 4基
連装50口径13.3cm両用砲 8基
56口径40mm機関砲 計73門


<改設計>
基準排水量 49,200t   全長 249.0m  全幅 37.4m  蒸気タービン 出力 130,000馬力(4軸)
最大速度 27.8ノット  乗員 1450名
最大装甲厚 舷側 360o 0°傾斜  甲板 150o  主砲防盾 375mm

兵装
連装45口径40.6cm砲 4基
連装65口径10cm両用砲 13基
連装65口径8cm両用砲 8基
六連装56口径40mm機関砲 4基


同型艦 無し


 第二次欧洲大戦前後の英国海軍艦政は順調とは程遠い状態にあった。軍縮条約の継続有無や開戦日時を見誤った為に中途半端な存在となってしまった新型戦艦キングジョージ五世級や、対空対水上どっちつかずのものとなってしまった13.3cm砲などの兵器整備の他、戦時中に計画されたもののドイツ軍の空襲や物資の不足等から建造が遅れていったため、戦後になってもなお建造ドックを埋め尽くす各種軽空母など艦艇整備計画にも問題を抱えていた。
 日本帝国、シベリアロシア帝国などと共に第二次欧州大戦を勝ち抜いた後もしばらくの間は艦政は混乱を極め続ける事になった。まず彼らは軽空母の始末を付ける事からはじめなければならなかった。

 大戦序盤から中盤において、地中海各地で日本海軍がしばしば見せた集中した空母部隊による対地対水上攻撃に影響を受けて、手っ取り早く数をそろえる為に建造されたはずの軽空母群だったが、大戦中にどんどんと大型化していき、最後には噴進機関まで搭載し始めた航空機に対応するのは難しく、大戦以後は就役しても有力な戦力として運用するのは難しいといわれていた。
 そこで英国海軍は欧州大戦後の新たな海軍主力に噴進機関にも対応した大型空母をすえることを早々と決定した。またその空母は戦時中に計画されていたジブラルタル級を発展させたものとなった。この空母は45年終わりごろに建造が決定され、後にヒューバード級空母として就役する。
 ドックを埋め尽くしていた軽空母は、艤装を施した後英国海軍に就役したのは数少なく、多くは英国連邦諸国などへ売却された。中にはフランスに貸与、後売却されたものや艤装されることなくスクラップになったものもあった。

 これら空母戦力の充実に対して、戦艦の整備は後回しになっていた。戦前にキングジョージ五世級の発展型として計画されていたライオン級は、試射を行っていた主砲や一番艦用の一部の資材を残して完全に消滅し、それらの資材を利用して建造されていたヴァンガードも建造ペースを大幅に遅らせており、完成は一説には50年ごろとなるといわれていた。
 ここまで戦艦の整備が遅れていたのには二つの理由があった。まず第一にヴァンガードでは大和型に対抗する事のできないという歴然たる事実であった。

 日本帝国海軍は、第二次欧州大戦後に機密となっていた自国海軍の最新艦艇の詳細を同盟国(英国及びロシア帝国)に対して公開した。これに対する反応は両国で変わっていた。ロシア帝国は純粋に信頼に値する同盟国に対する安心感であったが、英国は安心感と同時に危機も感じていた。
 英国にとって日本が信頼すべき同盟国であることは間違いはないが、それに慢心する事はできないし、何よりも日本を仮想敵とし、また英国とも独立以来終始対決姿勢を取り続けている米国も何時同じような戦艦を建造するか知れたものではなかったからだ。
 しかしヴァンガードでは詳細が判明した大和型に対抗するのは不可能だった。イタリアのヴィットリオヴェネト型の様に高初速を極めた主砲であれば、安全距離を割り込んで接近する事ができればあるいは撃破する事もできたかもしれないが、分の悪い勝負である事は間違いなく、ヴァンガードの主砲でその戦術を実施するのは自殺行為に等しかった。
 そこでヴァンガードには戦艦建造技術の維持を目的として建造を続けながら、実際に大和型やその同等艦と対抗するには次の改正ライオン型とするべく英国海軍は計画する事となった。その結果ヴァンガードの竣工は当初計画よりも遅れることとなっていたのである。

 しかしながら第二の理由として戦艦戦力が本当に必要かどうか英国海軍では判断しきれていなかったという点があったのも事実だった。
 第二次欧州大戦においても戦艦による砲撃と集中して放たれた魚雷以外には撃沈される事のなかった戦艦ではあったが、駆逐艦からの魚雷攻撃で撃沈できると言う事は航空機での撃沈も不可能ではないはずだった。
 実の所、当時の英国海軍では大型戦艦を短時間で撃沈できるだけの航空、あるいは駆逐艦戦力を集中できるだけのリソースは存在せず、皮肉にも戦艦を戦艦以外で撃沈する事のできる可能性のある日米は最大の戦艦保有国でもあった。
 しかし英国海軍には戦時中に独伊艦隊によって大きな損害をこうむったとはいえ、それなりの数と戦力価値を有する多くの旧式戦艦を保有しており、米国戦艦の大半が日本帝国に対抗する為太平洋艦隊に配備されている事、日本帝国海軍遣欧艦隊に極めて有力な改大和型戦艦である信濃型が配備されている事などを考慮すればさしあたって新型戦艦を直ちに建造する必要性は薄かった。
 英国海軍の戦略は日本海軍の新鋭戦艦と自軍の旧式戦艦及びキングジョージ五世級で戦艦戦力を維持しつつも、将来のために新型戦艦の設計案を大和型などを参考にしつつ計画を続ける事となった。また、戦艦が不要となった場合はこの新型戦艦は日の目を見ることなく抹消されることになっていただろう。
 しかしこのような英国の余裕はソ連海軍がアルハンゲリスクを就役させたことによって吹き飛んでしまったのである。
 ソ連海軍が就役させたアルハンゲリスクの存在は、米国による既存の戦艦のみを脅威と考えていた英国海軍にとってまさに青天の霹靂となった。

 唐突に出現したともいえるアルハンゲリスクの脅威に対して、英国海軍は早急に対戦艦戦力を見直す必要が出てきた。アルハンゲリスクの就役に前後してソ連海軍では独自設計の戦艦も就役間近であるという情報が入ってきたからである。おそらく日本海軍遣欧艦隊の戦艦二隻はこれに対応する可能性が高く、その場合アルハンゲリスクは英国海軍が制圧する必要があったからだ。
 実際、のちの第三次世界大戦では信濃、周防がソビエツキーソユーズ級と対峙する事になったから、英国海軍の判断は正確であったと言える。しかし、英国海軍がアルハンゲリスクに対抗出来ると考えられる戦力は数少なかった。
 38センチ砲を搭載した大型戦艦に対して、36センチ級の主砲しか持たない旧式戦艦は明らかに弱体であったし、何よりも40年代後半には旧式艦ゆえの維持費の高沸から続々と退役しつつあった。
 ネルソン級は砲力こそ強力とみられていたが、実際にはいささか問題のある砲に加えて全力発揮が困難な配置、何よりも鈍足であることからドイツ海軍の設計らしく高速戦艦指向のアルハンゲリスクを捕捉殲滅するは不可能であった。
 もしもアルハンゲリスクが高速を利して戦域を突破してしまわれたら対抗可能なのは「戦艦のようなもの」のキングジョージ五世級しか無いことになる。
 この問題に対して英国海軍は早急に有力な新造戦艦を取得する必要があると判断した。これによりヴァンガードは可能な限り工期を短縮して就役することが求められた。しかし、ヴァンガードの性能が満足の行くものかといわれれば必ずしもそうではなかった。
 ヴァンガードの装甲配置が日本海軍新鋭戦艦のそれと比べると適切ではないことは早くから判明していた。また砲は旧式の38センチ砲であり、大和型の46サンチ砲は勿論、アルハンゲリスクが有する42センチ砲に対しても性能面で大きく劣っていると考えられた。
 このままヴァンガードを就役させたとしても果たして有力な戦力となるのか、英国海軍はこれを疑問視した。そして現状で可能な限りの戦力向上を図った上で就役させ、このデータを改正ライオン級の設計に生かそうとしたのである。

 このような事情から急遽改設計が行われたヴァンガードではあったが、実際には変更の余地がある箇所は少なかった。既に船体及び兵装以外の上部構造物はほぼ完成しており、兵装類もバーベットは出来上がっていたからである。
 また、早期に就役させる必要があったことから、長大な工期を必要とする改設計も認められなかった。そこでヴァンガードの改設計に用いられる技術、兵装は既存のものにかぎるという決定が下された。ここである技術士官がこの悪条件を逆手にとって自説を通すことに成功する。
 この当時、空軍が大戦時に構築していた防空体制を海軍の艦隊にも適応するため多くの空軍技術士官たちが海軍に出向しており、この技術士官、クラーク予備空軍大尉も艦政本部のレーダ開発班に出向していた。
 彼は日本海軍で開発されたばかりの47式射撃指揮装置の導入を進言した。この射撃指揮装置は、軽量でありながらこれまでの射撃指揮システムを凌駕するほどの精度と速度を誇っており、この搭載によってヴァンガードは兵装を変更しなくとも打撃力を実質上向上させることが出来る。クラーク大尉はそう説明したが、実際にはもう少し深いところまで考えていたことを予備役空軍大将となって後に自伝で語っている。
 実際彼が危惧していたのは第二次欧州大戦後に英国軍の技術開発が停滞し、また自国産に異様なほどこだわってしまった体制そのものにあった。勿論、彼も技術開発に予算が割かれないのは戦後復興を優先する為であることは理解していたが、そうであるならば諸外国からの技術導入を図るべきとも考えていた。
 特に彼が専門とする電子技術は、戦後は日本の進歩が目覚しかった。これには幾つかの理由が存在していたといわれている。
 まず欧州大戦時にこの当時は世界一の技術大国であった英国が、後方で生産工場とかしていた日本で量産化するために安価に特許を使用させていた事、終戦前後にドイツ国内に展開した日本陸軍によって各種の技術資料が日本に送られた事、さらに戦後に祖国を追われたドイツ人達の多くが安全でソ連という共通の敵を有していることから自分たちを敵視しない傾向の強いシベリアロシア帝国や日本帝国に亡命し、その中の少なかならぬ技術者達が日本の企業に雇入られたこと、などが上げられる。
 だがクラーク大尉は、最も大きな理由は電子技術開発に対して民間資本が投入される土壌が形成されつつあったことと判断していた。日本帝国への技術交流によって幾度か来日したことのあるクラーク大尉は、技術革新によって旧式化した部品や軍の厳しい検査をはねられた二級品が終戦後に民間に払い下げられているのを見てショックを受けたらしい。
 この時期、払い下げられた電子機器を扱う小売業者は、戦時中に電気関係の開発の中心地の一つとなっていた東京電機大学の周辺に店を出すことが多く、また彼らの多くが零細の家族経営業者であったため都内で比較的地価の安かったガード下を店舗として選択することも多く、その結果、路線が交差するためガード下の面積が広くなる外神田に集中したといわれている。
 この外神田の電気街にはクラーク大尉も日本帝国在留中に幾度も訪れており、この経験が民間の資本や技術開発力を重視する大尉の自説を作り上げたといわれている。

 何にせよ、軍民を問わず高まっていた日本帝国の電子技術が作り上げた47式射撃指揮装置を、クラーク大尉は早い時期から知っており、最も手っ取り早い英国への技術導入としてヴァンガードへの搭載という形で取り入れるつもりであったらしい。
 既に英国海軍はレーダ照準を、測距儀による光学観測よりも重視しており、何よりも容易に戦力を強化出来るためクラーク大尉の意見は取り入れられ、ヴァンガードには従来型の射撃指揮システムに代わって47式射撃指揮装置が取り入れられた。
 ここまで迅速に47式が採用されたのには戦列を組むべき信濃型もこの射撃指揮装置を搭載するだろうから、統一射撃も可能であろうと判断されたからだった。しかしながら信濃型の射撃指揮装置更新は第三次世界大戦開戦と尾張、陸奥の改装もあって戦後に先延ばしされていた。
 なお、同時に副砲も原設計の13.3センチ砲から日本海軍の標準装備となっていた10サンチ砲をライセンス生産したものに変わっている。13.3センチ砲は両用砲とは言いながらも砲弾重量が重く、仰角旋回速度も低いことから実質上は対空射撃も可能な平射砲であり、性能向上が著しい航空脅威に対して相応しい砲とは言えなかった。
 当時の国際連盟側海軍はソ連海軍に対して軽快艦艇が比較的充実しており、接近する敵軽快艦艇に対向するために中口径砲を用いる必要性が薄かったことも10サンチ砲の採用を後押ししたといわれている。
 また、自国産の4.5インチ砲を採用しなかったのは47式射撃指揮装置を導入する際のマッチングの問題であったらしく、主砲とのすり合わせと同時並行でデータを集めるだけの手間と人員が不足していたためであった。
 そのため、後に就役した改正ライオン級では十分な開発期間が確保することのできたため4.5インチ砲を採用している。
 近接対空砲には有力なボフォース40ミリ機関砲と共にライセンス生産された8サンチ両用砲が採用されている。8サンチ両用砲も47式との相性や一撃で大型機をも撃破可能な点を買われたらしい。
 なお、公式には47式射撃指揮装置及び10サンチ砲の採用は軽量化のためとされている。この措置は英国海軍が外国産の兵装を導入するための理由付けとも考えられるが、実際に両用砲全体の重量は三分の一程度にはなっており軽量化には寄与している。
 対水雷防御を兼ねて、浮力を確保するためバルジを装備したこと合わせると、実際に上部構造物の重量を軽減して予備浮力を確保する必要性があったとも考えられる。ここまで浮力を確保したのは、重量の大きい連装40センチ砲塔を搭載するためであった。

 ヴァンガードの改設計で最も必要とされたのは、勿論打撃力と防御力の向上であった。このうち防御力に関しては早い内から方針は決定していた。対水雷防御防御を兼ねた分厚いバルジを搭載した他は、スプリンター防御のため繊維系の内張りが施された程度である。
 設計変更が開始された時点では、38センチ砲程度に対応した装甲しか持たないヴァンガードにさらなる防御力を与える案もあったのだが、既に船体が出来上がっていることから、ここから防御装甲の追加等を行うと工期が極めて長くなってしまうことが予想された。
 打撃力に関しては進水後でも砲塔の交換の形で強化することは可能だったが、装甲の追加は進水前しか行うことが出来ず、ドック工事の延長は艤装工事の延長を招くためバルジの追加のみで留められたのである。もっともバルジ自体も防御体としての性格を持つように設計されており、喫水線よりもかなり上まで構造物が来ることから、垂直装甲もある程度は強化されるものと考えられた。
 水雷防御の強化は原設計では考慮されていなかった部分だった。ヴァンガードの元々の垂直装甲は水線下はあまり重視されておらず、魚雷や水中弾によって大きな損害を被る可能性があった。第二次欧洲大戦でもマルタ島沖海戦において日本海軍の魚雷攻撃と水中弾が有効打となっており、これへの対策を新たに施すことは当然であった。

 早々と防御力の向上が打ち切られたのに対して、打撃力の向上は何をおいても図られることとなった。敵艦に対して有効打を放てない戦艦など何の意味も無いからだ。
 しかしこの時点で英国海軍が選択出来る砲は数少なかった。ヴァンガードにとって時間は無限にあるわけではないため、既存砲を流用するしか無かったからだ。原設計の38センチ砲では無く、勿論キングジョージ五世級の36サンチ砲も問題外となる以上は選択肢はひとつしか無かった。それは戦前にライオン級の主砲として開発されていたMarkU40センチ砲であった。
 この砲はこの時点で既に試射までおこなっており、量産体制も治具さえ揃えば既存の施設を利用することができた。また、ネルソン級の同口径のMarkT砲が近距離向けの高初速砲として中途半端な評価であったのに対して、新設計されていたMarkU砲は第二次欧洲大戦時点において可能となっていた遠距離砲戦に対応した重量弾を発射することの可能な砲だった。
 入り組んだ浅海域や悪天候によって欧州での海戦は近距離砲戦となる可能性が高かった事から欧州各国で採用された高初速砲だったが、実際には技術発展により悪天候においても遠距離砲戦は可能となっており、日英両海軍では電探照準が当たり前になっていたから、理論上は視界ゼロであっても最大射程で砲戦を行うことも可能だった。
 しかし、この砲は38センチ砲よりも二十トン程度は重量が有り、連装砲塔に収めると、原設計よりも新規開発された砲塔一基あたりで約250トンの重量増加となった。この砲塔の変更だけでヴァンガードの排水量は一千トン程増加したのである。
 砲塔は交換されたものの既に完成していたバーベットは既存のサイズのままだっため、揚弾機構は砲弾口径に対してやや貧弱であり、連続発射数は他艦と比べると制限されていた。

 なお、本来使用するはずだった、かつてカレイジャス級に搭載されていた38センチ連装砲塔及び予備の砲身は不要機材としてドイツ連邦に半ば強制的に輸出されることになる。この売却によって得られた予算は全てヴァンガードの改装工事に使用されたといわれている。

 工期を伸ばすわけにも行かず、また改設計を行わない訳にも行かなかったヴァンガードの就役は、大よその予想通りに大幅にずれ込むこととなった。その為、第三次世界大戦開戦後に就役した後も練成訓練に明け暮れており、初期戦力化可能と判断されたのは第二次バルト海海戦が行われるわずか三ヶ月前だった。
 ソ連海軍のバルト海艦隊出撃の報に接した英国海軍首脳部は、練度に疑問を抱きつつも日本海軍遣欧艦隊と共同での出撃を命令せざるを得なかった。
 ある意味において因縁の相手とも言えるアルハンゲリスクを相手に戦うこととなったヴァンガードだったが、日本海軍遣欧艦隊の信濃、周防がソビエツキーソユーズ級に苦戦を強いられる中で、意外にも終始アルハンゲリスクに対して優位に砲撃を行った。
 戦前の予想では、改装によって排水量が増大したとはいえヴァンガードが排水量五万トン弱、40センチ砲八門に対して、アルハンゲリスクは六万トン超、42センチ砲八門と有力であり、アルハンゲリスクが有利であると考えられていた。
 しかしながら実際の戦闘では、主砲戦距離での砲撃戦となったことからヴァンガードの40センチ砲が最大限の効力を発揮することができた。アルハンゲリスクは砲塔の装甲がドイツ軍の設計そのままであったため薄くなっており、早々と戦力を喪失したのに対して、ヴァンガードへの命中弾は多くがバルジによって強化された舷側装甲で防がれて有効だとはならなかった。
 アルハンゲリスクは艦体全体に施された装甲によって沈没することこそ無かったが、戦闘力を喪失した為、戦闘終盤の軽快艦艇による水雷攻撃に対処することが出来ずに撃沈された。
 これに対してヴァンガードは非装甲区画こそ大きな被害を受けたが、装甲に防御された区画はスプリンター防御の成果もあって被害は少なく、砲撃能力を最後まで失うことは無かった。
 アルハンゲリスクの敗退は、通年視界が悪く長距離砲戦が困難と考えられてきた欧州においても高初速砲の優位が消滅しつつあるという証明にもなった。

 第三次世界大戦を生き延びたヴァンガードは、その後しばらくは英国海軍最強戦艦として君臨することになる。本来、ヴァンガードは急な改設計によって当座凌ぎの戦力として整備されたはずだったが、次世代主力となるはずの改正ライオン級が第三次世界大戦の勃発やこれによる技術、戦術革新の導入、さらには軍縮条約の適用なによりも英国海軍の設計能力不足などの原因によって就役が遅れたため主力となってしまったのだった。






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