ユナイテッドステーツ級戦艦





<要目>
基準排水量 82,500t  全長 330.0m  全幅 41.6m  蒸気タービン 出力 212,000馬力
速力 28.5ノット 乗員 2600名
最大装甲厚 舷側 420o 10°傾斜  甲板 200o  主砲防盾 490mm  司令塔 460mm

兵装
三連装50口径16インチ砲 5基
(アメリカ:連装48口径18インチ砲 5基)
連装54口径5インチ砲 18基
四連装40mm機銃 14基
水上機 4機

準同型艦 アメリカ

 ユナイテッドステーツ級は、米海軍が太平洋戦争において投入した中で最大の戦艦である。
 その最大の特徴は主砲塔を五基装備し、15門もの主砲を備えていることにある。このようなユナイテッドステーツ級が建造された背景には、米海軍の日本海軍に対する恐怖が前提にあるといってよかった。

 1940年代半ばにおいて米海軍が保有する最大の戦艦はモンタナ級改設計のルイジアナ、ワイオミングの二隻だった。しばしばルイジアナ級と呼称されるこの二隻は、船体長が極めて長かったために安定性を欠いたモンタナ級の欠点を是正するために全幅を増大させたものである。
 両舷に追加された対魚雷防御体を兼ねたバルジによってパナマ運河の通過こそ不可能になり、船速も低下していたが、モンタナ級と比較すると格段の安定性を誇っており、その重武装を生かすことが出来た。
 しかし、本来米海軍にとって主戦場となるはずの太平洋にルイジアナ級を展開させるのは困難であった。第二次欧州大戦末期ごろより日本海軍が大和型以降の新造戦艦を欧州艦隊に派遣していたからである。
 大戦後はバルト海海戦でソ連海軍に大損害を与えた大和、武蔵にかわって信濃型の信濃、周防が遣欧艦隊に配属された。
 日本海軍遣欧艦隊は第二次欧州大戦によって疲弊した英国戦艦部隊を補うためにあり、新たに同盟国となったイタリア海軍も含めた日英伊の連合艦隊は米国にとって相当の脅威となった。
 後に米国は一時期険悪となっていたソ連との関係を大幅に譲歩までして再構築して欧州戦線をソ連に構築させ、欧州諸国の目を東方へと向けさせたが、その背景にはこの連合艦隊が米国の心臓部である東海岸に襲来するのではないかという恐怖があることも一つの原因としてあげられた。
 この艦隊に配属された大和型、改大和型に対抗するために、政治的にも最有力戦艦であるルイジアナ級は大西洋艦隊から引き抜くことは出来なかったのである。

 ユナイテッドステーツ級はこのような状況に対して、太平洋戦線で使用するための大型戦艦として建造された。また、これまでの教訓から砲力にふさわしいだけの船体寸法も要求された。
 その備砲にはアイオワ級以降で採用されている三連装50口径16インチ砲が続いて採用されたが、これはユナイテッドステーツ級建造当時も米国海軍が大和型の主砲を同等の16インチ砲と誤認していたためである。
 ほぼ同等の砲であれば16インチ砲を三連装五基も装備したユナイテッドステーツ級戦艦の優位は間違いなかった。しかし米国海軍でも18インチ砲の試作は行われており、信濃型に続く紀伊型が18インチ砲連装三基(実際は51サンチ砲)を装備するという情報が入ったことから二番艦のアメリカは急遽連装砲塔に納められた48口径18インチ砲を搭載している。

 ユナイテッドステーツ級は打撃力を強化した一方で、装甲および機関に関してはモンタナ級を踏襲している。
 装甲配置及び装甲厚はモンタナ級の後期型とほぼ同等であるが、船体サイズが大きいため装甲の重量はきわめて大きい。米国の建艦技術の粋を尽くした装甲配置は極めて堅牢であり、対16インチ砲としては過剰であるほどであった。
 米国海軍の優れたダメージコントロール技術を考慮すれば18インチ砲戦艦とも伍して戦えるほどであった。
 しかしながら、二番艦アメリカが搭載した48口径18インチ砲に対抗できるほどの装甲は有しておらず、自艦に対する安全距離は16インチ砲艦のユナイテッドステーツと比べると極端に狭くなってしまっていた。

 機関はモンタナ級と同じものを採用しており、差異は煙路及び操縦機器のみである。船体規模がモンタナ級よりも格段に大きいため最大速力は低下しているが、元々大出力機関であるためそれでも28ノット以上を発揮しており、アイオワ級のような高速戦艦とはともかく、ノースカロライナ級やサウスダコタ級と戦列を組むのに問題は無かった。
 実際にハワイ沖海戦ではサウスダコタ級及びノースカロライナ級と戦列を組んでいる。
 もっとも、アイオワ級やノースカロライナ級の最大戦速はあくまでもカタログスペック上のことであり、実際に砲撃戦を行う際の速力は、安定性が高い分、むしろユナイテッドステーツ級の方が優位なのではないかと言われていた。

 ほかに外観上の特徴として、航空艤装を米国海軍条約型重巡洋艦と同様に煙突の間にある船体中央部に設けていることがあげられる。これは多数の砲塔を搭載したことで生じる爆風対策であると考えられる。
 航空艤装は本格的なもので、米海軍戦艦として初めて格納庫が設けられた。搭載機はエレベータでカタパルトまで引き上げられた後デリックでカタパルトに接続される。
 ユナイテッドステーツ級の搭載機としては当初OS2Uキングフィッシャーを予定していたが、ユナイテッドステーツが就役する前に退役していた。後継となる水上偵察機は、計画段階で時代がすでに水上偵察機を不要としており設計段階で開発が中断された。
 就役直前には回転翼機の運用を前提としてカタパルトを撤去することも計画されたが、この当時試作段階にあった水上ジェット戦闘機XF2Yシーダートの搭載を将来計画としてカタパルトを残すこととなった。
 実際にはユナイテッドステーツ級にはハワイ沖海戦時の頃は防空戦闘機の不足を補うためにカタパルト発進を前提に改造されたF5Uフライングパンケーキを搭載することが多かった。
 この場合、搭載機の発艦は可能だったが、着艦は不可能であり、同行する防空空母あるいは航空巡洋艦に着艦した。

 米国海軍の機体を一身に背負って就役したユナイテッドステーツ級ではあったが、太平洋戦争中の活動は不活発だった。
 これは主力艦である本級の損耗を恐れた米海軍が艦隊保全策をとった為である。そのため大戦中に活発に作戦行動に従事したアイオワ級高速戦艦と比べると戦績は少ない。
 それでも本格的に国際連盟海軍戦艦部隊と交戦したハワイ沖海戦を除いても、グアム沖で幾度か敵戦艦と交戦しており、ユナイテッドステーツが戦艦播磨を大破に追い込んでいる。
 二番艦アメリカは主砲塔の交換に伴う作業が遅延しており、就役は大戦半ばにずれ込んでいたが、予想に反して錬度は比較的高く、アメリカはハワイ沖海戦において水戸型美濃の砲塔を喪失させるなど損害を与えている。
 ハワイ沖海戦ではユナイテッドステーツは戦艦任務部隊旗艦を務めており、任務部隊指揮官であるチャールズ・J・ムーア中将が乗艦していた。アメリカも同部隊に所属していた
 同海戦では両艦共にF5Uを搭載しており、日本海軍の艦載機部隊を相手にした防空戦闘に従事している。

 同じ部隊に配属されたユナイテッドステーツとアメリカではあったがムーア中将は隊列上は両艦を切り離していた。砲戦開始時の序列は、ユナイテッドステーツ、モンタナ、オハイオ、アメリカの順となっており、これは16インチ砲艦の間に18インチ砲艦が入って同時に砲戦を行った際の混乱を避けるためだと考えられている。国連海軍に対して米戦艦部隊は数上の優位を誇っていたため複数艦で一隻づつを砲撃し確実に撃沈していくつもりだったらしい。
 18インチ砲艦であるアメリカを先頭艦となる旗艦としなかったのは、ムーア中将が三隻で敵旗艦を早期に撃沈しようとしていたこと、また就役間もないアメリカの錬度に不安を抱いていたからであるといわれている。
 しかしハワイ沖海戦で活躍したのはアメリカのほうだった。

 戦闘においてモンタナ級二隻の砲撃は、建造当初から懸念されていたとおりに高速航行によるものと波浪による動揺によって、特に第2斉射以降の散布界が拡散してしまっており、命中弾はほとんど発生していない。
 そのためユナイテッドステーツ、モンタナ、オハイオと水戸との戦闘はムーア中将が画策したように数上の優位を米国海軍が生かすことは出来なかった。また、三隻からの命中弾も対51サンチ砲防御を施された水戸の装甲に対して有効弾を与えることが出来なかった。命中弾の内一発は水戸の艦橋を直撃し、上部の射撃指揮装置を全損させたが、水戸型は船体部に搭載された47式射撃指揮装置に主砲塔の射撃指揮を変更することで迅速な射撃再開を行ったため、この命中弾も決定的な損害を与えるにはいたっていなかった。

 これに対してアメリカは敵二番艦美濃と単独で対峙したが、その強力な18インチ砲を生かして美濃の主砲塔を一基喪失させるほどの損害を与えている。
 結局ハワイ沖海戦は、水戸がムーア中将とその参謀達ごとユナイテッドステーツを轟沈させたことで、米軍側が全面的な撤退行動へ移行したことで幕を閉じようとしていた。
 アメリカはその中で日本海軍戦艦部隊の前に立ちふさがり、友軍が脱出するまで単艦で敵艦隊を食い止めた。援護戦闘開始すぐに艦橋に直撃弾を受けていたアメリカは後部艦橋からの不十分な情報のみで砲撃を行っていたため命中弾はほとんど無かったが、アメリカを撃沈するまで国連海軍は追撃をかけることが出来ず、米海軍は残存の戦艦を撤退させることが出来た。
 もしもこの時点で国連海軍側が完全なフリーハンドを得ていた場合、戦艦部隊は無理としても、残存機を纏め上げた空母分艦隊のみであったとしても米海軍は残存戦力のかなりを無力化され、西海岸防衛が難しくなっていただろう。
 ただし、艦を任されていたエドワード・スプルーアンス大佐以下アメリカの乗員はほとんどが戦死し、国連海軍に救助された生存者は二百名をわずかに超えるだけだった。

 ユナイテッドステーツ級戦艦は有力な艦ではあったが、16インチ砲艦を突き詰めた存在でしかなく、砲力を増大させていった日本海軍戦艦と戦うには不利だった。
 大戦当時の統合参謀本部議長ラドフォード大将はもしも米海軍がモンタナ級を建造せず、当初から大和型の情報を正しく把握していれば(アメリカを当初から建造していれば)ハワイ沖で沈んだのは日本海軍のほうであっただろうと後に発言している。






戻る
inserted by FC2 system