ビスマルク級戦艦テルピッツ





<要目>
基準排水量 40,000t   全長 248.0m  全幅 36m  蒸気タービン 出力 145,000馬力(3軸)
最大速度 27.5ノット  乗員 2000名
最大装甲厚 舷側 320o 0°傾斜  甲板 110o  主砲防盾 325mm

兵装
連装42口径38.1cm砲 4基
連装50口径13.3cm両用砲 8基
六連装56口径40mm機関砲 10基



 第二次欧州大戦終結時、ドイツ海軍水上艦隊は壊滅的な状態にあった。圧倒的な水上戦力を有する英日等国際連盟軍に対抗出来なかった艦隊は、大きな損害を出していた潜水艦隊以上に大戦中盤以降は急速に活動領域を狭められており、その残余もバルト海で東プロイセンから民間人を脱出させる盾となって姿を消していった。
 終戦時にかろうじて稼働状態にあった大型艦はアドミラル・ヒッパー型重巡洋艦プリンツ・オイゲン1隻のみとなっており、そのプリンツ・オイゲンも日本帝国に賠償艦として引き渡された事でドイツ水上艦隊は消滅していたのである。
 第二次欧州大戦後、国際連盟は対ソ最前線となったドイツの自陣営における再軍備を急速に進めていたが、その主力は頭数としての陸軍と防空戦力となる空軍に集中しており、バルト海と潜水艦隊を失った海軍は沿岸警備隊程度の存在でしか無く実質的に等閑に付されていた。

 しかし、終戦から数年後に俄にドイツ海軍は2隻の大型艦を与えられていた。
 ドイツ連邦海軍に編入された大型艦のうち1隻は、元はドイツで建造されたものだった。原型をドイツ客船とする日本海軍の空母神鷹が返還の形で与えられていたからだ。欧州からマダガスカル島に追放されていたユダヤ人の移送作業中に日本帝国に鹵獲されていた大型客船であるシャルンホルストは、日本海軍の手で空母に改造されていた。
 米ソ連合の脅威に対して国際連盟軍はドイツ海軍にも船団護衛任務を割り振る計画を立てており、元の名を取り戻した空母シャルンホルストは対潜哨戒回転翼機母艦と船団護衛部隊の指揮を取る旗艦能力が期待されていたのである。

 こうした比較的真当な軍備と言える対潜空母シャルンホルストに対して、戦艦テルピッツの返還は異様な経緯を辿ったものだった。元々大戦中盤にイタリアで国際連盟軍に鹵獲されたテルピッツは、マルタ島をめぐる海戦において大きく損傷した状態だった。機関部を含む艦体こそ大きな損害はなかったものの、主砲塔は全壊し、その他の上部構造物も残骸を晒すばかりになっていたのだ。
 自力航行が可能であったことから戦時中にドイツ海軍から除籍とはされていなかったものの、使用可能な兵装は副砲が数門程度でしかなく戦力価値は全く無かった。実際タラント港で鹵獲された後も技術調査の手が入った以外は殆ど放置されていたに等しかった。
 戦後の復興に必要な船舶を欲していたイタリア王国はシャルンホルスト級客船のうち唯一客船形状を保っていたポツダムを入手し、その代わりという形でテルピッツが英国に引き渡されていたが、その時点では単なる四万トンのスクラップという扱いに過ぎなかった。

 この状況が一変するのは、ソ連軍が戦時中に中断されていた工事を引き継ぐ形で旧ドイツ海軍のH級戦艦を就役させることが明らかになった為だった。42センチ砲8門を装備する旧H級戦艦ことアルハンゲリスクに対応する戦力を急遽整備する必要が生じた英国海軍は、細々と建造を続けていた戦艦ヴァンガードを急速建造するとともに、その設計を改めてより強力な姿で就役させていた。
 戦時中に建造が中止されていたライオン級戦艦の主砲と日本製の新型射撃装置を与えられたヴァンガードだったが、裏を返せば本来装備するはずだった38センチ砲と製造済だった機材の多くが余剰となってしまっていた。そこで英国海軍は解体直前だったテルピッツの艦体に目をつけていた。機関部が無事であったテルピッツに余剰機材を押し込めれば自分たちの艦隊が脅威に感じるほどではないが、ソ連海軍を牽制する二線級の戦艦程度ならば作り上げられるのではないかと考えたのだ。
 しかも、その運用や余剰機材の買取までドイツ海軍に押し付けることができれば、急遽戦艦の整備を急がなければならない英国にとって一石二鳥となるのは明らかだった。こうして自分たちが全く預かり知らぬ所でドイツ海軍は再びテルピッツを戦力化させなければならなくなっていたのである。

 英国本土で行われたテルピッツの修復は、唯一無事だった煙突を除く上部構造を一新させるものだったが、前部艦橋はほぼ従来どおりの形状でドイツ人技術者によって復旧されていた。ただし、後部のものと合わせて射撃指揮装置は主砲用、高角砲用共にヴァンガード用に製造されたものが流用されていた。
 当然その主砲も流用されたものだったが、この砲は元々はカレイジャス級が空母に改装される際に取り外されて保管されていたものであり、いわばお下がりを更にお下がりした状態だった。改装工事では艦体部のバーベットを改造する形で砲塔丸ごとを搭載していた。原型よりも200トン程軽い砲塔であったからこそ可能な荒業だった。
 使用する砲弾の口径はビスマルク級戦艦の原型とほぼ同一であったが、砲身長が短い旧式砲であることは否めなかった。初速が大きく低下していることから原型よりも特に近距離での貫通力は大きく減少しており、遠距離では落角が大きくなることから水平装甲への威力増大が望めるものの、ヴァンガードから流用された射撃指揮装置の能力に限界があったことから遠距離砲戦での命中精度は今ひとつだった。
 対空砲もヴァンガードのお下がりである13.3センチ砲と英国製の40ミリ機銃だったが、機銃はともかく両用砲は無駄に複雑だったドイツ製よりも信頼性はまだ上という意見もあった。
 機関部には殆ど手を加えられなかったが元々高性能化のために無理に高圧化して信頼性を低下させていた部分もあり、改装後は減圧運用が常態化して速力も低下していたが、いわばリミッターを外す形で出力を上げる事は可能だったと言われる。

 排水量の上では対潜空母であるシャルンホルストを上回っていたテルピッツだったが、同艦がドイツ海軍旗艦とされることはなかった。公式にはバルト海どころか北海沿岸の一部さえソ連側のドイツ民主共和国領となった状況では、四万トン級戦艦の母港となる拠点をドイツ本土で確保することが出来なかったからだ。
 英国本土の海軍基地を間借りする形となったテルピッツだったが、それ以前に僚艦どころか十分な護衛すらドイツ海軍では用意できなかったから、実質的にテルピッツは英国艦隊に編入されるも同然だった。
 陸空軍に予算を奪い取られる一方で、対外関係を考慮して空母を含む対潜部隊を維持し続けなければならないドイツにとって、英国に半ば奪い取られていたテルピッツはお荷物に過ぎなくなっていたのである。



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