信濃型戦艦





<要目>
基準排水量 74,200t   全長 276.0m 全幅 39.0m ディーゼル 出力 230,000馬力(4軸)
最大速度 28.7ノット  乗員 2400名
最大装甲厚 舷側 400o 19°傾斜  甲板 200o  主砲防盾 600mm

兵装
三連装45口径46cm砲 3基
三連装60口径15.5cm砲 4基
連装65口径10cm高角砲 14基
三連装25mm機銃 8基
連装13mm機銃 2基


一番艦 信濃
二番艦 周防


 信濃型戦艦は、日本海軍が軍縮条約明けに建造した戦艦である。信濃型の設計の大部分は、前級大和型を流用している。兵装や装甲にはほとんど変更点はなく、その最大の変更点は、大和型ではディーゼル機関と混載していた蒸気タービン機関を廃し、主機をディーゼル機関に統一していることである。
 主機の種類からして違いため機関室内の配置も大和型とは一変しており、なまじ外観が酷似しているため大和型から信濃型に配置換えとなった機関科将兵は例外なく戸惑ったと言われている。
 もっとも初代乗組員となる艤装員を除けば、大和型から信濃型に配置換えとなった下士官以下の機関科兵員はそれほど多くはない。その特徴的な機関構成のためか、ディーゼル員が極端に多い信濃型の機関科兵員は異動が他と比べると少なく、大和型等の他の戦艦よりもは補給艦のようなオールディーゼル艦との異動の方が多かった。そのため、信濃型の機関科分隊は機関長以下のまとまりが強い分、どこか排他的な集団であったと言われている。
 機関出力は大和型よりも大きく、減速機を通じて結合されたディーゼルエンジン四基で一軸を回転させる。全体で4軸という構成は大和型と同一であり、プロペラや軸受、軸なども大和型と同様のものを使用している。
 ディーゼルエンジンは高効率ではあるが、蒸気タービンと比べると大重量となるため、その代わりに燃料タンクが削られており、軽量化が図られている。それでも大和型と比べると搭載燃料タンクを含む機関重量は大和型よりも格段に大きくなっている。
 また、燃料タンクの削減分を加味すると、ディーゼルエンジンが高効率であっても航続距離は実はさほど伸びていない。ただし燃料使用量そのものは少ないために艦隊航行時には洋上補給計画が少なくて楽ができたと後に遣欧艦隊司令部の補給担当参謀は述懐している。

 機関部を除けば、信濃型の最大の特徴は、速力や機関ではなく居住性を追求したことにあった。それまで対米国海軍の迎撃、あるいはソ連のシベリア侵攻時の艦砲砲撃といった近海での作戦行動を主眼としていた日本海軍は、遠く離れた欧州での二度の大戦を経験したことにより本国を離れた遠海域における作戦行動能力の向上を図り始めたということでもあった。
 つまりそれまでの戦闘能力を極限まで高めるために、居住性を切り詰めるという設計思想を改め、ハンモックの廃止と多段ベットの採用や空調設備の強化などによって居住性を高めることによって長期間の作戦行動による兵員の士気低下を低減するようになっていたのである。
 これは信濃型に限らず、この当時に計画された多くの艦に共通する特徴だった。もちろん、従来の日本海軍艦艇に共通する戦闘力の追求は軍縮条約による排水量の制約を受けてのものであり、軍縮条約による制約が消失したからこそ、このような戦闘力を維持しつつ居住性にまで配慮する余裕を得られたのも事実である。

 幸いなことに第二次欧州大戦そのものは短期間で終結したものの、信濃型の計画当時には中世期の戦争なみの長期化などという現在からすれば苦笑せざるを得ない予想すらあり、戦乱の長期化による兵員の質の低下が真剣に考えられていたことも居住性の向上という方向性を後押ししていた。
 具体的には、ディーゼル機関の採用や自動化の推進によって大和型と比較すると各科将兵が百人以上減少しているにもかかわらず、兵員室の容積はむしろ微増しており、その分はそのまま一人当たりの容積拡大につながっている。

 信濃型では烹炊所、短艇格納庫より後部の船体が延長されており、大和型との差異となっている。延長された船尾部は、大和型より強化された各種電波兵器や空調設備を稼動させるための発電機が搭載された。また着弾観察、偵察、連絡任務に用いられていた水上機の格納庫は、第二次欧州大戦における噴進機の出現など陸上、艦上機の著しい発展を受けて水上機という種別そのものが陳腐化していたことから建造段階で搭載を中止している。
 かつての水上機格納庫はは兵員室、発電機室などあてられている。
 この点に置いて、後にジェット水上戦闘機まで搭載した米海軍と比べると日本海軍の割り切りは強かったと言える。この搭載機の削除という方針が正しかったかどうかは判断が分かれるところである。
 日本海軍においても、航空戦艦は別としても軍縮条約明け前後に建造された戦艦は信濃型を除いて全て何らかの搭載機格納庫を保有しており、水上機格納庫であっても後に改装を行って回転翼機の搭載を行っている。
 回転翼機は主機関の高出力化にともなって、当初の連絡任務に留まらず、対潜哨戒や軽便輸送にも従事するようになっており、小回りの効かない大型艦艇にとって有力な装備となっていた。
 信濃型は発着甲板としてこそ使用できたが、格納庫がないため、回転翼機の運用には随伴艦が不可欠だった。また、格納庫の空間は余剰人員の収容スペースにも有用であり、伊勢湾台風上陸による救援活動に参加した戦艦群は、回転翼機格納庫を被災者の一時収容所に使用している。

 皮肉にも欧州大戦を見据えた設計変更がなされた信濃型二隻は、就役前に大戦が終結してしまった。
 しかし長距離航行性能に優れていたことから遣欧艦隊に派遣され、対米戦勃発時も欧州におり、英伊艦隊と共に国際連盟大西洋艦隊を編成した。





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