長門型戦艦陸奥(改装後)





<要目>
基準排水量 40,000t 全長 225.3m 全幅 35.0m  蒸気タービン 出力 82,000馬力
最大速度 25ノット  乗員 1300名
最大装甲厚 舷側 305o+  甲板 200o  主砲防盾 305+152mm

兵装
連装45口径41cm砲 4基
連装65口径10cm高角砲 6基
連装65口径8cm両用砲 10基


 太平洋戦争開戦と同時に発生したグアム島沖海戦は偶発的な戦闘だったが、日本側に航空戦力が不在であったことを除けば両者の戦力は拮抗していた。夜間戦闘で水上艦艇が比較的近距離で撃ち合った結果、撃沈された主力艦は米海軍のアラスカ級大型巡洋艦プエルトリコ1隻だけだったが、戦闘に参加したアイオワ級戦艦ケンタッキー、尾張、陸奥の3隻の戦艦も中破から大破に相当する損害を被っていた。
 一時的に16インチ砲戦艦と12インチ砲大型巡洋艦の2隻を同時に相手取った尾張は第三砲塔が実質的に完全破壊されるという損傷を負っていたのだが、戦闘開始直後に16インチ砲弾を艦橋に被弾していた陸奥の損害は見た目ではそれよりも遥かに大きかった。41センチ砲と自らの主砲に耐えうる装甲を与えられた長門型戦艦陸奥は概ね最新鋭艦であるアイオワ級戦艦とも互角に撃ち合うことが出来たのだが、その一方でその艦橋構造物はほぼ全損していたし、重要防御区画外の高角砲や副砲が備えられた砲郭甲板の損害も大きかった。

 緒戦における核攻撃で旧式戦艦が一掃された結果、金剛型戦艦を除いて日本海軍で最旧式の戦艦となった陸奥は、当初大破状態からの完全復旧が難しいことから予備艦編入が妥当とされていたのだが、緒戦における大損害を糊塗するために兵部省が尾張と陸奥の「勝利」を宣伝した結果、意外なことに陸奥も世論の後押しを受けて戦艦として修理工事が行われる事になった。
 見た目上は尾張と比べて大損害であったように見えた陸奥だったが、実際には修理工事における工期はともかく工数という点では陸奥の方が少なかった。尾張が大重量の第3砲塔を撤去しなければならなかったのに対して、陸奥の主砲塔そのものはほぼ無傷だったからである。
 第三砲塔を撤去した船体後半部を飛行甲板に作り替えた航空戦艦へと改装された尾張と比べると小規模に見えたものの、陸奥の工事も決して簡単なものでは無かった。内部の司令塔ごと航海艦橋より上部を撤去された陸奥には、常陸型戦艦用に建造されたながらもその後実験施設で使用されていた艦橋構造物が最新鋭の射撃指揮装置ごと搭載されていたからだ。

 いわば戦艦の顔とも言える艦橋構造物を新鋭戦艦に類似させた陸奥だったが、実際には主砲と船体以外の主要防御区画外は全て刷新されたと言ってもよかった。砲郭甲板は副砲ごと撤去されており、その代わりに高角砲とその給弾スペースに当てられていた他、第二次欧州大戦で効果が薄いとされていた25ミリ機銃も連装8センチ砲に切り替えられていた。
 船体奥深くの主機関はボイラー、タービン共に整備がされたのみだったが、艦橋の刷新とともに多数が追加された電子兵装に供給するために関連施設事撤去された航空艤装などの空間を利用して可能な限り発電機も増設されていた。
 また主砲も砲塔自体は変更は無かったものの、内部構造の一部は改造されていた。本来磐城型以降の新鋭戦艦における将来装備用として実験開発が進められていた41センチ新型徹甲弾に対応するためだった。
 長砲弾とも呼ばれたこの砲弾は、米海軍のSHSと同様の設計思想で従来よりも長くすることで同一口径ながら重量を増大させた砲弾であり、給弾機構の改造が必要だったものの、従来の41センチ砲用徹甲弾が約1トンの重量であったのに対して1.2トンと2割増しの重量となっていた。
 弾体の重量は大きくなったものの、長砲弾の弾道特性は従来徹甲弾よりも悪化しており、艦橋構造物と共に搭載された射撃指揮装置がなければ陸奥での使用は断念されていただろう。計算機を電気化した四七式射撃指揮装置が弾種による計算式を瞬時に切り替えられたからこそ、射程距離によってはむしろ威力が低下する長砲弾を切り札として実用化することが出来たのである。
 


 

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