磐城型戦艦





<要目>
基準排水量 35,000t 全長 225.3m 全幅 30.0m  蒸気タービン 出力 130,000馬力
最大速度 30.1ノット  乗員 2000名
最大装甲厚 舷側 350o 19°傾斜  甲板 150o  主砲防盾 457mm

兵装
連装45口径41cm砲 3基
連装65口径10cm高角砲 10基
三連装25mm機銃 8基
連装13mm機銃 2基
水上偵察機 3機


一番艦 磐城 呉工廠 1940年就役
二番艦 岩代 三菱長崎造船所 1940年就役
三番艦 播磨 横須賀工廠 1940年就役
四番艦 建造中止

 磐城型は、1935年に締結された改正軍縮条約によって日本海軍に認められた戦艦の新規建造枠で建造された条約型戦艦である。
 その特徴は排水量を条約の制限である三万五千トンに抑えながら、金剛型と同等の速力、40サンチ砲戦艦として十分な装甲を併せ持たせる為に主砲を連装三基、計六門に抑えていることである。
 改正軍縮条約では日本海軍の対米英比が五対四に上昇したことに加えて三隻までの代艦建造が認められた。そこで日本海軍は磐城型を新規建造分と金剛代艦分の計六隻建造する計画を1936年に打ち立てた。
 しかし磐城型の前期型三隻が就役する前に第二次欧州大戦が勃発し、軍縮条約は破棄されることになった。
 そこで四番艦以降は設計を変更されてより大型な常陸型として建造された。

 当初、磐城型は砲撃力の不足から戦艦として中途半端という評価を受けたが、第二次欧州大戦での戦歴を見ると、手数こそ少ないものの戦艦として十分な打撃力を有しており、舷側で350ミリ、甲板で150ミリ(何れも最大)という主砲に対応した装甲もあって最小構成で最少コストの戦艦として対戦艦戦闘から空母直衛、対地砲撃とあらゆる状況で重宝されることになった。
 磐城型は第二次欧州大戦において二番艦岩代が撃沈されたが、残る二隻は対米戦時も健在で空母艦隊の直衛任務についていた。


 

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