アルハンゲリスク級戦艦





<要目>
基準排水量 63,100t   全長 282.1m  全幅 38.7m  蒸気タービン、ディーゼル 出力 165,000馬力(4軸)
速力 29.1ノット 乗員 2300名
最大装甲厚 舷側 350o 0°傾斜  甲板 120o  主砲防盾 385mm

兵装
連装48口径42cm砲 4基
連装38口径12.7cm高角砲 8基
四連装60口径40mm機関砲 7基

同型艦 無し
 アルハンゲリスクはソ連海軍が第二次欧州大戦が終結してから初めて戦力化した戦艦である。
 当時、日英を中心とした国際連盟諸国では、第二次欧州大戦で始めてその威力を発揮した空母を中心とした軍備を整えようとしていた。
 同時に、大戦の戦訓として戦艦を撃沈しうるのは、少なくとも現在では核兵器でも使用しない限り戦艦のみだという認識もあったが、戦艦は維持運用コストも莫大であり、そうでありながら対戦艦用途以外に用いるのは効率が悪い兵器だった。
 それ故に対地対艦、また防空任務と多用途にこなすことの出来る空母を中心とした艦隊を整備しようとしていたのである。
 しかしアルハンゲリスクの就役は国際連盟諸国に有力な新型戦艦の再整備を迫るに足るほどの衝撃を与えた。
 近距離砲戦に特化した高初速砲とはいえ、42センチという大口径ともなれば遠距離でも並の40センチ砲よりも強力であるはずであったし、それに見合う程度の装甲は有しているだろうと考えられたからだった。
 実際のところ、アルハンゲリスクは国際連盟諸国が考えていたほど強力な戦艦ではなく、旧式の設計案そのままであったことが判明するのはずっと先のことである。

 本来、アルハンゲリスクはドイツ海軍期待の新造戦艦として就役するはずの戦艦だった。H級戦艦42年案が当初の名称であり、進水したあかつきにはフリードリヒ・デア・グロッセの名が与えられるはずであったといわれている。
 しかし、長期化する戦況の中、より安価かつ早期に建造できるO級巡洋戦艦の建造にリソースを集中した結果、H級戦艦の建造は遅れ、結局侵攻してきたソ連軍に鹵獲されてしまったのである。
 だが、折角の鹵獲艦ではあったが当時アメリカ式の建造技術を手に入れつつあったソ連海軍の目から見ればH級戦艦は第一次欧州大戦レベルの技術を用いた艦でしかなかった。装甲配置は高初速砲に基づいた伝統的なドイツ海軍方式であったため垂直装甲はともかく水平装甲はこのクラスにしては貧弱であり、第二次欧州大戦で行われた遠距離砲戦には対応するのは極めて難しかった。
 また、これらの欠点を改正して進水させるには工事は進みすぎていたらしく、結局ソ連海軍は射撃指揮装置や艦橋構造物、対空兵装などを自国式(米国式)に改めたのみで、船体や主兵装には手をつけずに進水、艤装を行った。工事が進みすぎていたのは事実だが、おそらく早期に進水させることを狙ったのだと考えられる。

 こうして洋上にその身を浮かべたアルハンゲリスクではあったが、ソ連海軍唯一の近代式戦艦の立場はソビエツキーソユーズ級の就役によって早々に奪われた。その戦力価値もソ連海軍にとってソビエツキーソユーズ級よりもだいぶ低く考えられていたが、アルハンゲリスクが第二次欧州大戦後の戦艦重視という海軍軍備の続行を各国に強制させたのは間違いなかった。
 アルハンゲリスクは、その後の第三次世界大戦における欧州戦線において、二隻のソビエツキーソユーズ級戦艦(ソビエツキーソユーズ、ソビエツキーウクライナ)と共にバルト海艦隊主力として日英伊艦隊と対峙したが、ソ連海軍が黒海艦隊とバルト海艦隊の集合を目指して艦隊を出撃させたことにより勃発した第二次バルト海会戦において格下と思われていた英国海軍のヴァンガードと交戦し、苦手であった主砲戦距離での戦闘を行い、喪失している。
 二隻の信濃型と対峙し、損害を受けながらも適切な装甲配置のおかげで沈没を免れたソビエツキーソユーズ級と比べてアルハンゲリスクは旧式の装甲配置のデメリットを証明した形になった。

 最もソ連海軍専門家の大半は、第三次世界大戦を生き延びたとしてもアルハンゲリスクは早期に退役したのではないかと予想している。中途半端な装甲以外にもドイツ海軍ですら容易に御し得なかった複雑な構成のCOSAD機関は稼働率が低く、特に高速ディーゼル機関はしばしば大整備の対象となっていたからである。






戻る
inserted by FC2 system