二式艦上攻撃機天山




二式艦上攻撃機天山


<要目>
全幅14.9m 全長10.9m 自重3.0トン 乗員3名 武装7.7ミリ機銃×2(後方上下部旋回) エンジン出力1850hp×1 最大速度480km/h 航続距離3,050km 

 二式艦上攻撃機は、九七式艦上攻撃機に代わる新鋭機として日本海軍に配備された機体である。機体構造は概ね九七式艦上攻撃機に類似しており、設計、生産にあたったのも同機と同じく中島飛行機だった。
 九七式艦上攻撃機との最大の違いは800キロ以上長大な航続距離にあった。もちろんこれは日本海軍からの要求によるものであり、九七式艦上攻撃機とは運用法そのものが異なるということを意味していた
 この航続距離に関する要求は、日本海軍が仮想敵である米海軍と太平洋で対峙する際に敵空母部隊の攻撃圏外から一方的に攻撃を加えるアウトレンジ戦法を実施するためであったと言われている。
 概ねこの長大な航続距離を除けば、九七式と二式には搭載兵装などの違いは殆どなかった。主兵装である胴体中央部に吊り下げられる雷爆装は航空魚雷一本あるいは800キログラムまでの爆弾でありこれは九七式艦上攻撃機と全く同一だった。速度の向上にともなってより高速で雷爆撃が可能なように照準器は更新されていたが、兵装搭載量は同一だった。
 銃兵装は7.7ミリ機銃が2丁に増えているが、操作員は電信員一人きりであり当然同時に使用することは出来なかった。これは九七式と同じ後方上部に一丁と、雷爆撃後の目標離脱時に制圧射撃を実施する後方下部に一丁だった。他に攻撃前の目標の制圧に使用する前方機銃も試作段階では要求されていたのだが、重量対策などから制式機からは省かれていた。

 二式艦上攻撃機の試作は概ね九七式の改良として進められていた。当初エンジンには中島飛行機が試作中だった護が想定されていたが、当時の中島飛行機は二式戦闘機や九七式重爆撃機の初期型などに搭載されていた中島製エンジンの不評に悩まされていた。
 中島飛行機は、機体及びエンジンの試作開発に複数の開発班を編成してあたっていた。これは機体開発では同時並行して複数の機体を試作することができていたが、エンジンの開発では取りまとめる担当者がほぼ不在だったので開発力が不足していたと考えられており、この後中島飛行機上層部は英国ブリストル社との技術提携などと共にエンジン開発部門の再編制を実施した。
 この再編制は実質上開発中のエンジンの絞り込みであり、試作中から問題の少なくなった護もその対象となり開発が中止された。
 その代わりに三菱がすでに試験が進められて制式が内定していた火星エンジンの搭載が決まっていた。もっとも海軍関係者は護エンジンの精緻な設計と貧弱な開発陣を危惧しており、火星エンジンの搭載を当初から推していたようだった。

 制式化した二式艦上攻撃機は概ね日本海軍の要求性能を満たしており、もしも当初の想定通り仮想敵である米海軍の空母部隊が目標であれば長大な航続距離が大きな武器となっていたかもしれなかった。
 しかし、実際に二式艦上攻撃機が投入された戦場で実施されたのは巨大な魚雷を抱えての対艦攻撃ではなく、欧州での地上支援のための対地攻撃だった。この想定とはことなる戦闘では二式艦上攻撃機の長大な航続距離は殆ど必要がなく過大であった一方で、同時期に採用された二式艦上爆撃機と同じく防弾板などの防御力や搭載量には不満が抱かれていた。
 また、近接地上支援ではより命中率の高い急降下爆撃が好まれたこともあって、第二次欧州大戦中盤からは二式艦上攻撃機が攻撃作戦に参加する例も少なくなっていた。
 攻撃任務と同時に三座と搭乗員数の多い艦上攻撃機の重要な任務である哨戒偵察任務に置いては、九七式を上回る長大な航続距離を活かす機会もあったはずだが、やはりこれも欧州での戦闘では、目標の位置が判明している地上部隊の要請による出撃が多かったこと、二式艦上爆撃機の方が優速で敵機からの攻撃を回避しやすかったことなどから多用されるまでには至っていなかった。
 大戦中盤から後半には、二式艦上攻撃機の任務は魚雷型の機外搭載型の電波探信儀を使用した電波哨戒任務が主なものとなっていた。


 


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