大鯨型潜水母艦





<要目>
基準排水量 15,000t   全長 215.7m  全幅 20m  ディーゼル 出力 26,000馬力(2軸)
速力 23ノット  乗員 450名

兵装
連装65口径10cm高角砲 2基
三連装25mm機銃 6基
連装13mm機銃 2基
水上偵察機 3機


 大鯨型潜水母艦は、旧式化した迅鯨型潜水母艦などの代替艦として日本海軍が建造した潜水母艦である。大鯨型は、新型の伊号潜水艦を支援することを前提としており、それまでの潜水艦隊に配備されていた商船を原形とした特設潜水母艦や水雷母艦改造の潜水母艦に比して、主力艦隊に随伴することを可能とするために格段に高速かつ大型の潜水母艦として完成していた。
 日本海軍が基本戦略としていた漸減邀撃作戦において、艦隊型潜水艦である海大型潜水艦が、主力艦隊同士の決戦前に、敵主力艦に対して雷撃を敢行して戦力を低減させることが期待されていた。
 このような作戦に航続力の劣る潜水艦を投入するためには、燃料、兵装の補給や兵員の急速などの支援を行う高速潜水母艦が必要不可欠を判断されたことから、大鯨型潜水母艦の要求要目は策定されていた。
 しかし、本来大鯨型潜水母艦が想定していた支援対象であった海大型は、日本海軍の潜水艦整備方針が海大型から巡洋潜水艦である巡潜重視となる転換にともなって新規建造が中止されており、艦隊型潜水艦の主力は、海大型よりも一回り小さい海中型である呂33号潜水艦、あるいはその戦時量産型とされた。もちろん大鯨型の支援対象も海中型へと変更されることとなった。
 この変更は大鯨型の設計に大きな影響をおよぼすこととなった。

 海大型の諸級と比べても航続距離、魚雷搭載数共に小さい海中型を支援するために、大鯨型潜水母艦にはより大きな母艦能力と共に、自衛戦闘能力の向上が求められた。
 場合によっては、当初の想定よりも敵主力に対して接近して、近距離から出撃して反復攻撃を実施する海中型を支援する必要があったためである。特に米偵察艦隊に付随するであろう航空母艦からの航空攻撃に耐えうることが要求されていた。米海軍では偵察飛行であっても爆装することが珍しくないため、出会い頭の爆撃を警戒したものと考えられる。
 このため、当初従来型の連装12.7センチ高角砲を搭載する予定であったものが、高射装置とともに最新鋭の長10センチ高角砲に設計段階から変更されている。
 これに加えて、近接防空戦闘に備えて、六基もの三連装25ミリ機銃座が格納庫後部に増設されていた。
 また、防空巡洋艦に匹敵するほどの対空、対水上電探も増設されており、防空能力に限ればこれまでの潜水母艦と比べて格段に有力であった。
 対水上、対空電探に加えて、各種周波数用の通信用マストも当初計画より増設されており、伊号潜水艦に比しても通信能力の限られる呂号潜への通信中継も想定していた。
 なお、防空火力を強化したと言っても、あくまでも自衛戦闘目的であり、積極的に艦隊に随伴しての防空戦闘を行う事は想定していなかった。

 大鯨型は純粋な潜水母艦としての能力も大きく、補給用燃料として約1000トン程度を搭載する他、海中型一個戦隊分の魚雷、銃砲弾を搭載し、一個潜水隊分の乗員休養用空間を配置するなど、長期にわたって潜水戦隊を運用するための設備が整っていた。
 また、通信マストや各種電探に加えて、偵察能力の劣る海中型を情報面から支援するために、大型の三座水上偵察機の搭載を前提とした大容積の格納庫と射出機を有しており、巡洋艦に匹敵する航空艤装と偵察能力といえた。
 なお、水上機の運用母艦としては珍しく、中央楼中部に格納庫と、上構頂部に設けられた射出機まで機体を移動すためのエレベータが備えられていた。この格納庫は機関室天井と接しており、仕切り用の取り外し式天井扉を開放すれば、格納庫内の天井クレーンを用いて、機関室内の物品を陸揚げすることも可能だった。
 このような特殊な構造をとっていたことから、大鯨型は戦時には空母として改装されるという噂もあったが、格納庫容積が大きくとられたのは、巡潜型の伊号潜水艦などが搭載した潜水艦搭載水上偵察機などの他艦搭載機を、一括して集中整備を行うことを目的としたものであり、水上機運用艦としては珍しいエレベータの装備も、格納庫天井が高く、デリックを用いた水上機の射出機への移動が困難であるためであった。
 また、格納庫床面が機関室天井となるデッキであることから、主機関整備時に部品を陸揚げするために格納庫と機関室をつなぐハッチが設けられており、これが空母改装時に主機関を変更するためと言われていたが、実際には日本海軍の大型水上艦艇として初めて搭載されたディーゼルエンジンに十分な信頼性がなかったために、容易に整備が行えるように設けられたものであって、機関全体の換装を前提としたものではなかった。

 大鯨型は、第二次欧州大戦が勃発した後は、当初計画通りに呂号潜水艦の母艦として配属されて、潜水艦隊の戦隊旗艦を兼ねる母艦として一部の艦は欧州へと派遣されていた。





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