アミオ359




アミオ359



<要目>
全幅22.83m 全長14.5m 自重4.9トン 乗員3名 武装20ミリ機関砲×1(後部旋回×1) 7.5ミリ機銃×2(機首固定×1) エンジン出力1,475hp×2 最大速度550km/h 航続距離2,000km

 第二次欧州大戦直前、不景気や先の大戦への嫌悪感などの理由から、フランス共和国空軍は多数の老朽化した機体を抱える旧態依然とした組織になってしまっていた。
 だが、ナチス党が政権を握って再軍備宣言を行ったドイツへの警戒感などからようやく軍備拡張が開始された。これにより航空業界の国営化が行われたがこの政策も中途半端なもので逆に航空機生産機数は大幅に減少してしまっていた。
 このためにせっかく新規に採用された新鋭機も、本格的な生産が開始される前に対独戦の敗北とこれに伴う軍備縮小が行われたこともあって同時期の列強他国と比べて生産数は極めて少なかった。
 長距離高速郵便機として開発されていたアミオ340を原型として、三座の高速双発爆撃機として改めて完成したアミオ350も、200機程が生産されたところで生産中止になっていた。

 リオレ・エ・オリビエ社が開発したLeO451と共に新世代の高速双発爆撃機として期待されていたアミオ350だったが、休戦期もLeO451がほそぼそとしたものながらヴィシー・フランス空軍や進駐したドイツ軍で運用されるために生産が継続されていたのに対して、一時期は完全に生産が打ち切られる事態となっていた。
 この両機は性能は同程度だったものの、生産ラインはレオレ・エ・オリビエ社の方が大きく、また主機が同じノームローン社の空冷星形エンジンであったためにエンジンを奪い合う事態となっており、結果的にアミオ350の方が割りを食った形になっていた。
 ただし、アミオ社でもエンジン生産数に関しては危機感を抱いていた。ノームローン社だけではなく、イスパノ・スイザ社などのフランス国内エンジンメーカーはどれも生産規模が小さく、戦時における大量生産体制には不安があったからだ。
 そこでアミオ350では機体自体の変更だけではなく、ノームローン空冷エンジン以外にもイスパノ・スイザ製水冷、英ロールス・ロイス製水冷など多種多様なエンジンを搭載する試作機が同時並行して開発が進められていた。
 ただし、ノームローン製空冷エンジン搭載の最多量産機以外のこのようなエンジン試作機の存在が、アミオ社の元々から乏しい生産能力をさらに削っていったのも事実だった。

 当然の事ながらこれらの試作機も休戦にともなって開発が中止されていたのだが、皮肉なことに国際連盟勢力への反感からヴィシー・フランスが正式に枢軸国として参戦を決意して再軍備が開始された際に、このアミオ350系列の多様なエンジン搭載試作機の存在が再生産決定に繋がることになった。
 この時期ヴィシー・フランスでは休戦期に技術開発が停滞して他国から遅れていたレーダーやエンジン関連技術に関して、ドイツからの技術供与を受けて一気に問題を解決しようとしていた。
 その一環としてダイムラー・ベンツ社のDB605水冷エンジンをルノー社でライセンス生産させることが決定していたのだが、その搭載機の一つにアミオ350系列が選ばれていたのである。
 ヴィシー・フランス空軍上層部としては、倒立と正立というエンジン方式の違いはあるとはいえ、以前に水冷エンジンの搭載機を派生型として試作開発していたアミオ350系列であれば短時間で実戦機が仕上がるという目論見の他に、取り合いとなっているノームローン社製空冷エンジンをLeO451用として限定することで双方の生産数を拡大しようとしていたものと思われる。

 DB605水冷エンジン搭載機として再生産されたアミオ359は、LeO451を超える高速性能を発揮するなどヴィシー・フランス空軍でも最有力の高速爆撃機として生まれ変わっていた。
 空軍上層部の目論見通り、他社製水冷エンジン搭載試作機の設計を大部分流用したために再設計も短時間で済んでおり、単発機でありながら正立エンジンから倒立エンジンに置き換えたドヴォアチヌD.525ほどの無理もなかったことから、操縦性なども従来のアミオ350系列と大差なく、操縦員の訓練も容易だった。
 その高性能からレーダー搭載の哨戒機型や夜間戦闘機型などの派生形も生産されたが、本来ノームローン空冷エンジンをLeO451と取り合わないために選択されたはずのルノー社製DB605が今度は戦闘機の最重要生産機種となったドヴォアチヌD.525と取り合いになったこと、大戦中盤以降ヴィシー・フランスを含む枢軸側が完全に守勢に回った結果、高速爆撃機の需要が減少したことなどから最終的なアミオ359の生産数は多くはなかった。


 


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