四四式艦上戦闘機(烈風)




四四式艦上戦闘機(烈風)


<要目>
全幅12.1m 全長12m 自重3.0トン 乗員1名 武装20ミリ機銃×4(翼内×4) エンジン出力2400hp×1 最大速度650km/h 航続距離2,200km


 第二次欧州大戦に本格参戦した日本海軍は、艦上戦闘機として零式艦上戦闘機を主力としていた。元々航空母艦に搭載して防空任務を行うことを主目的として開発されていた零式艦上戦闘機は、艦隊を襲撃する対大型機戦闘を考慮して大口径の20ミリ機銃を備えており、陸軍機などと比べると重装備だった。
 初期型である11型などでは防弾装備などは貧弱であったものの、搭載エンジンの大出力化を含む改良型では火力と防護力も段階的に強化されており、エンジンを国内でライセンス生産されていたマーリン45に換装した44型に至っては原型機から約一トンも自重が増加していた。

 そのように段階的に改良がなされていたものの、性能向上がいずれは限界に達するのは明らかであり、日本海軍は零式艦上戦闘機の正式採用とほぼ同時期に次期主力機の開発を命じていた。
 零式艦上戦闘機と同じく三菱航空機が設計した44式艦上戦闘機は、概ね零式艦上戦闘機を一回り大きくしたものといってよかったが、同時期に開発が進められていた二式局地戦闘機雷電の教訓が取り込まれていた。
 空技廠で設計が進められ、生産者を三菱航空機とした二式局地戦闘機は、当初大出力の空冷エンジンを機首よりもやや後部に配置してスピナーからエンジンまでを流線型のカバーで覆う水冷エンジン搭載機に類似した紡錘形によって高速化を狙っていたものだった。
 ところが当時実用化された高速大型風洞や実機による試験、更には鹵獲されたドイツ空軍のFw190、亡命したソ連空軍のLa-5などで得られた知見は、紡錘形理論を否定するばかりだった。
 流線型のカバーなどに起因する冷却能力不足などにも悩んでいた二式局地戦闘機は、結局本格的な設計改良の余裕がないために中途半端な形状と性能のまま一応は制式化したものの、生産数は少なかった。

 44式艦上戦闘機は、この二式局地戦闘機の顛末を反映して従来のエンジン機首配置に戻すことに加えて、亡命機などの調査で得られた理論を応用したものだった。
 大雑把に言えば、44式艦上戦闘機は、二式局地戦闘機を零式艦上戦闘機のフォーマットで再構成したものとも言うべきものだったのである。
 その搭載エンジンは、次期主力戦闘機開発計画が開始された時期に検討されていた三菱製金星エンジンの気筒数を増大させたハ43や中島飛行機が同様に栄の気筒数を増大させた誉ではなかった。
 すでに零式艦上戦闘機33型で金星エンジンの搭載は試みられており、抜本的な性能の改良にはつながらないと考えられていたのである。

 44式艦上戦闘機に搭載されたエンジンは、本来は重爆撃機などに搭載する大型エンジンとして開発されていたはずの火星エンジンを原型として気筒数増大による出力増強を図ったハ42が選択されていた。
 従来であればこのような大口径エンジンの搭載は戦闘機では試みられることはなかったのだが、空冷エンジン艤装に関する技術の発展がこの選択を可能とさせていた。
 二式局地戦闘機ではすでに火星エンジンを搭載していたこともあって、エンジン艤装さえ工夫すれば大出力大口径エンジンを搭載した機体でも戦闘機としての性能を発揮できると考えられていたのだ。
 エンジンは通常のように機首に配置されていたが、従来機と比べるとカウリングはエンジン外形に合わせた余裕のないものとなっており、機体外径の増大を抑えていた。
 これまでは冷却空気不足となるそのようような余裕のない配置は避けられていたのだが、ソ連機に習った高温、高圧の排気ガスを利用した吸い込み効果を利用する事によって開口部の極限と冷却空気の増大を両立させていた。
 ただし、このエンジン配置の妙は大口径エンジンの戦闘機搭載を可能としていたものの、エンジンカウリングの形状を変更するのが難しいために発展余裕は制限されていた。

 44式艦上戦闘機では兵装も二式局地戦闘機に倣って20ミリ機銃二丁を両翼に配置して計4丁とする戦闘機としては必要十分なものだった。同時に機体規模に対してエンジン出力が大きいことから、緩降下ならば従来の艦爆並の爆装も可能だった。欧州大戦では枢軸側勢力の艦隊航空戦力が貧弱であることから戦闘機隊による対地攻撃も盛んに行われていた。
 銃兵装を搭載した主翼は中央部で折りたたむ事ができており、大型化した着体構造にも関わらず、折りたたみ後の専有面積だけ取れば零式艦上戦闘機よりも狭いほどだった。これは日本海軍よりもより小型の空母しか運用出来なかった英国海軍からの要求もあったとされている。

 1944年後半に制式化された44式艦上戦闘機は、当初は零式艦上戦闘機の後継機として艦上運用のみならず陸上機としても大々的に使用されるはずだった。
 ところが、同時期にヒトラー総統暗殺後のドイツが対ソ戦の継続を前提とした講和を申し込んできたことから、開戦以後拡張されていた海軍基地隊の増強は止まっており、その後正式に講和がなったことで陸上機の更新は細々としたものとなった。
 その後もソ連軍に対して日本海軍の戦闘は続いていたものの、艦隊航空隊はともかく、主に地中海戦線に展開していた海軍基地隊の出番は極端に減っており、戦後も海軍基地航空隊と陸軍航空隊の合流による空軍の創設などによって基地航空隊に配備する陸上戦闘機の運用機会がなくなったことから、44式艦上戦闘機はほぼ艦上機運用のみとなっていた。


 


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