零式艦上戦闘機(44型)




零式艦上戦闘機44型


<要目>
全幅11m 全長9.9m 自重2.5トン 乗員1名 武装20ミリ機銃×2(翼内×2)、13.2ミリ機銃×2(翼内×2) エンジン出力1470hp×1 最大速度580km/h 航続距離2,130km


 日本海軍は、1942年初頭頃から頻繁に戦線に投入されたドイツ空軍の新鋭機Fw190Aに対抗するため、自軍の主力戦闘機である零式艦上戦闘機を強化するため、従来搭載されていた栄からより大出力ながら大口径の金星にエンジンを換装した33型を制式化したが、同時期に平行して空冷エンジンから、水冷エンジンに換装した機体も開発が行われていた。
 同クラスで比較すると、空冷エンジンは前方展開面積が大きいため空気抵抗が大きくなり、最高速度は低くなるが、軽量であるため上昇力は優れると考えられていた。水冷エンジンはこれに反して、機体形状をより流線型に近づけることが出来るために、空気抵抗を最小限にできるため最高速度を上げることが出来ると考えられていた。
 零式艦上戦闘機に水冷エンジンを搭載する計画は、陸上基地配備型として、最高速度に優れた高速戦闘機を目指した派生型として開発が開始されたものだった。

 零式艦上戦闘機44型と後に制式化された水冷エンジン搭載型は、これまで零式艦上戦闘機の開発、生産を行ってきた三菱重工ではなく、零式艦上戦闘機22型の一部を委託生産していた中島飛行機が担当となった。当時の三菱重工航空機部門では、艦上戦闘機としての零式艦上戦闘機の本命とされた零式艦上戦闘機33型の改設計に加えて、次期主力艦上戦闘機となる一六試艦上戦闘機の新規設計を行っており、それまで実績のない水冷エンジン搭載機の改設計にまで手が回らなかったためである。
 しかし、中島飛行機でも、零式艦上戦闘機を原型とした二式水上戦闘機という派生型の開発経験はあったが、三菱重工同様に水冷エンジン搭載機の開発を行った経験は無かった。その点を危惧した日本海軍は、この当時、海軍機唯一の水冷エンジンメーカーとして指定されていた愛知時計電機に対して改設計作業への協力を命じていた。
 もっとも、三菱重工に比べると重厚な航空機開発部門を有する中島飛行機も、この当時は問題を抱えた二式単座戦闘機「鍾馗」の改設計、あるいはキ87への発展に加えて一式単座戦闘機「隼」の生産、改設計を継続して行っており、必ずしも十分な余力があるわけではなかった。
 これは二式艦上爆撃機「彗星」に続く主力艦上爆撃機となるはずの次期主力爆撃機の試作開発に取り組んでいた愛知時計電機も事情はさして変わらなかった。また愛知時計電機にとって、この時点では、大出力空冷エンジンの搭載に方針が定まった次期主力爆撃機の設計を行っており、ある意味において、空技廠が開発を担当した水冷エンジン搭載機である彗星の実用化を押し付けられたと感じてもいたから、水冷エンジン機のノウハウは、終わった技術であったとも言えた。

 零式艦上戦闘機44型の開発を命じられた二社共に開発力の余力が様々な事情で限られていたことから、水冷エンジン搭載型の改設計部分は最小限に抑えられ、新規開発となる部分も、可能な限り既存機の設計や部材が流用された。
 もっともこれは、最適な設計とは言い切れない一方で、生産段階において既存の治具やノウハウが活かせることから、必ずしも不利な点ばかりではなかった。
 胴体部の構造は、栄系列の空冷エンジンよりもより重量のある水冷エンジンを搭載するために発動機取付架などの構造強化が行われた以外の変更点は当初は最小限に収める予定だったが、機首に水冷エンジンという大重量が加わった影響から重心バランスを取るために、胴体の延長や、尾輪部の改設計などが行われて相応に変更点が増大してしまっている。
 もっとも、重心バランスを従来型と同様に修正したために、主翼取付部や操縦席部分は既存機のまま流用することができている。ただし、大口径空冷エンジンを搭載した33型同様に、正立V型12気筒エンジンを搭載した胴体内部には、機銃を搭載する空間が無くなってしまったため、胴体機銃が廃止された33型の設計が流用されている。
 これは主翼も同様で、当初は従来の零式艦上戦闘機22型と同型の主翼を搭載する予定だったが、そのままでは胴体銃が廃止されていることから、火力が減少してしまうので、翼端が短縮された33型用に開発された20ミリと13.2ミリ機銃を共に備える主翼が流用された。
 愛知時計電気が担当したエンジン周辺部の設計は、概ね同社が生産していた二式艦上爆撃機彗星のものを流用しており、機首下部に集中したラジエーター配置などが同機と同形状になっている。
 搭載されたエンジンも、当時彗星用として愛知時計電機でライセンス生産されていたロールスロイス・マーリンが採用されており、初期型は彗星11型と同じ1150馬力のマーリン12を搭載していたが、彗星12型への生産転換と同時期にマーリン45へと切り替えられている。

 水冷エンジンへの換装による空気抵抗の低減と大出力化によって零式艦上戦闘機44型は、従来よりも格段に高速の戦闘機となるはずだったが、同時期に開発された33型に対してやや優速であったものの、当初の予想よりもは最高速度は上がらず、逆にエンジンや機体構造が空冷エンジン搭載機よりも大重量となっていたことから、上昇速度は低下していた。
 これは空気抵抗の低減が、想定よりも効果が低かったためか、同時期に試作中であり同じマーリンエンジンを搭載する陸軍の三式単座戦闘機に対して劣位にあった。二式艦上爆撃機彗星では空気抵抗の低減に大きな効果のあった冷却器の配置であったが、爆弾倉のある二式艦上爆撃機と比べると戦闘機である零式艦戦の全高は低いことから、冷却器から胴体には段差が生じてしまってその間が抵抗になってしまったのである。

 それでも零式艦上戦闘機44型は、従来型と比べると性能面での優位は認められたことから、主に陸上戦闘機として制式採用されて部隊配備された。だが、艦隊防空任務専門艦に指定されていた海防空母岩国や隼鷹、飛鷹の商船改造空母などの純粋な正規空母ではない航空母艦が搭載していたほかは、艦隊防空用の艦載機として使用された例はなかった。
 上昇力が低いことから艦隊防空任務に向いていないことに加えて、整備が困難で冷却材となるエチレングリコールの保管などが必要な水冷エンジンを艦載機として採用することが困難であったと考えられる。
 防空任務専門となる岩国の場合は、緊急時の迎撃ではなく、電探哨戒機の支援を受けた戦闘哨戒任務が主であったために上昇力よりも最高速度を重視して44型が搭載されたのだろう。
 海軍航空隊の基地配備機として採用された零式艦上戦闘機44型だったが、陸海軍の航空戦力の統合運用が進む中でより性能の高い水冷エンジン搭載機である陸軍の三式単座戦闘機と比較されることが多く、評価はさして高くなかった。
 また、空冷エンジン搭載機の33型と艦載機と基地配備機を分け合う形となって共に生産数は22型と比べると少なかった。

 同時期に開発された零式艦上戦闘機33型は、大出力空冷エンジンと短翼端の採用による高機動性と高速の両立という設計指標という形で、後に同じ三菱重工が開発した次期艦上戦闘機にも影響を及ぼしたのに対して、零式艦上戦闘機44型以降、日本海軍が水冷エンジンを搭載した機体を配備することはなく、中島飛行機、愛知時計電機共にこの機体の設計が後の機体に生かされた形跡も無かった。


 


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