九八式戦闘機




九八式戦闘機甲型


九八式戦闘機乙型


<要目>
全幅12m 全長7.8m 自重1.5トン 乗員1名 武装7.7ミリ機銃×2(機首固定機銃×2) エンジン出力745hp×1 最大速度480km/h 航続距離1,000km(甲型)


 一九三〇年代なかば、日本陸軍は制式採用されていた九五式戦闘機の後継機となる主力戦闘機の競合試作を行った。この競合試作に三菱、中島の二大航空機メーカーに加えて、当然九五式戦闘機を開発していた川崎航空機もこれに応じてキ28の試作を行った。
 キ28は、概ね水冷エンジンを搭載した複葉戦闘機であった九五式戦闘機を、単葉として高速化を図ったものと言っても良かったが、この当時川崎航空機には大きな問題が沸き起こっていた。

 川崎航空機は、ドイツのドルニエ社と提携して、技術支援を受けることで、全金属製航空機の製造技術を取得していたが、さらに一九二〇年代末にBMWから液冷12気筒エンジンのBMW Wのライセンス生産権を取得していた。
 このライセンス生産したBMW Wを元に、川崎航空機独自の改良を加えたハ9が、九五式戦闘機などに搭載されていたが、九五式戦闘機後継となる競合試作の時点で出力の向上には限界が来ていた。
 無理な改良によって九五式戦闘機に搭載されたハ9も整備や運用に支障をきたしている状態で、次期主力戦闘機用には同じく次世代の水冷エンジンが求められていた。

 しかし、同時期にナチス党が政権を握ったドイツでは、ヴェルサイユ条約を破棄して再軍備宣言がなされており、英仏を始めとする国際連盟諸国との間で緊張が高まっていた。
 川崎航空機を水冷エンジンメーカーとして育成する予定だった日本陸軍としては、競合試作用のキ28用としてはともかくとして、次世代エンジンとしてはダイムラー・ベンツ製のDB601系列のライセンス生産権を同社に取得させることを企画していたが、このような情勢下でこれ以上ドイツメーカーから技術移転を行うことは、英国などから反発を受けるのが必至であった。
 また、肝心の川崎航空機や九五式戦闘機を配備された飛行戦隊でも、寸法公差などの形で要求する部品精度が高すぎて、頻繁に故障を招くドイツ製水冷エンジンに辟易していた。
 そこで日本陸軍及び川崎航空機は、ドイツ以外の欧州製航空機用水冷エンジンでライセンス生産が可能なものを探していた。考えられるのは英国かスペインのイスパノ・スイザ社があったが、スペインが政変後にドイツと共同歩調を取り始めていたため、実質的な製造工場がスイスにあってもイスパノ・スイザ社からの技術移転を受けることは難しく、実質上選択肢は英国企業しかありえなかった。

 結局、日本政府及び英国政府の仲介で川崎航空機はロールスロイス社と技術提携を結ぶこととなった。同時期、日本海軍でも水冷エンジンメーカーとして愛知時計電気を育成していたが、同社もフランスのローレン社から技術提携先をロールスロイス社に切り替えていた。
 ただし、愛知時計電機が将来用に開発中であった、後のマーリンエンジンの生産を考えていたのに対して、目の前の次期主力機競合試作に応じる必要のあった川崎航空機は、既に生産中であり熟成されていたケストレルエンジンのライセンス生産を行うこととなった。

 キ28は、このケストレルエンジンを搭載して競技試作に応じて川崎航空機が開発した戦闘機であった。この競合試作は横方向の運動性に優れた中島飛行機のキ27と三菱のキ33に対して、水冷エンジンを搭載して高速性と縦方向の運動性に優れたキ28との争いとなったが、早々と九六式艦上戦闘機を手直ししただけの三菱キ33は審査に破れ、実質上中島と川崎の一騎打ちとなった。
 通常であればこのどちらかが次期主力戦闘機として採用されるはずだったが、欧州での政治情勢から日本陸軍は航空隊の拡張を企図しており、一社のみの供給量に不安を抱いていた。
 そこでキ27とキ28は異例なことに同時採用されることとなり、キ27が九七式戦闘機として制式化されたのにやや遅れて、川崎航空機のキ28も九八式戦闘機として制式化された。

 制式化年度こそ九七式戦闘機よりも遅かったが、これは半ば同一名称となることでの混乱を避けるための措置であり、実際には増加試作機の名目で飛行戦隊単位に配備が開始されていた。
 九七式戦闘機に比べて横旋回性能には劣るが、速度に優れる九八式戦闘機は、概ね同等の戦力を発揮しており、模擬戦でも搭乗員の練度次第で勝敗が決せられる場合が多かったようである。
 火力もほぼ同等であり、九七式戦闘機と同様に、九八式戦闘機も逐次改良が施されていった。搭載したケストレルエンジンも改良型が搭載されており、初期生産型の甲型では16型745馬力だったが、後期生産型となった乙型では三割近く出力の上昇した1000馬力近くを発揮していた。
 同時に乙型では、後方視界改良のため風防の改良が施されており、乙型の改良に遅れて試作機が製作されていたキ60やキ61に影響を及ぼしたと考えられる。

 九八式戦闘機は、九七式戦闘機と並んで各戦闘機飛行戦隊に配備され、幾度かの国境紛争で実戦を経験したが、第二次欧州大戦では旧式化していたこともあって本格的な実戦投入はされず、大戦序盤に英国本土防空戦で一部の機体が派英義勇航空隊の機材として使用されたのみだった。
 九七式戦闘機が配備されていた飛行戦隊は主に中島飛行機製の一式、二式単座戦闘機が代わって配備され、九八式戦闘機が配備されていた戦隊には、後継機として三式などの水冷エンジン搭載機が配備されていった。


 


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